『一度きりの大泉の話』萩尾望都

●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター京急上大岡店 平井真実

 まさか本の雑誌から連載の話をいただくとは、母が定期購読をしており毎月届いて楽しそうに読んでいるのをみながら、早く回ってこないかなあとワクワクしながら待っていた時間を思い出します。

 こんにちは、そして初めまして。これから一年間どうぞよろしくお願いいたします。

 プロフィールに書いたように、私の読書傾向は母の影響がとても大きく、家の本棚には海外文学、文学全集、エッセイ、推理小説、コミックとジャンルレスに並んでおり、そこにある本を端から読んでいたので、いまだにこれが好きなジャンルです!と胸を張って言えるものはありません。ただ心に残ったものをここに少しづつ記していこうと思います。

 子供のころ家の本棚にあった赤い表紙のコミックが特に大好きでした。普段なら1回読んだものは再読することもなかったのにそれだけは何度も何度も繰り読み、意味はよくわからないのだけど背筋がひゅっとなったり、心が温かくなったり、ワクワクしたり、ものすごく寂しくなったり悲しくなったり。今考えるとあの時に本を読むことの楽しさを身体で無条件に感じていたように思います。

 その赤い本が『萩尾望都作品集』。萩尾さんの初期の短編、長編の作品集でした。その中でも今でも鮮明に覚えているのが「白い鳥になった少女」。靴が汚れるのが嫌なあまりにパンを踏んで沼を渡ろうとした主人公が沼の底に沈み、鎖につながれそこにかつて羽をむしった虫が這う。絵がとても美しいのにものすごく怖く、今後一生なにがあっても食べ物を踏んではいけないと子供ながらに心に誓ったほどです。

 この作品集の中にはトーマの心臓や11月のギムナジウム、アメリカン・パイ、11人いる!この娘うります!など一つのジャンルに偏らず様々な物語があり、今読んでも全く色あせません。

 なぜ急に記憶の奥にあった子供時代を思い出したかというと、とある本が新刊で入荷してきたからなのです。それが『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)。

 子供の時に何度も読んだ作品のご本人による解説が読めるのだろうか、と勢いよく開いたページに書いてあったのは
「これは私の出会った方との交友が失われた、人間関係失敗談です」という言葉。なんのことだろうかと思いながらめくったページ。

 それは50年前の出来事だったということだけれど、書かれている一つ一つに苦しみが伴っており読んでいるとその痛みに息苦しくなるほど。その頃のことを冷蔵庫にしまって鍵をかけて鍵はなくしましたと言いながらも書かなければいけなかったそのことの意味。

 一つの時代を切磋琢磨しながら築いてきた多くの70年代の漫画家さんたちの名前と作品が出るたびに、この作品の時にこんな横のつながりがあったんだなと知り、そしてあの頃家で繰り返し読んでいた作品がそのような経緯で連載をしていたのか!という驚きもありました。

 ポーの一族の連載の経緯や単行本発売時の編集者とのやりとりには思わずにやっとしてしまい、さらにはトーマの心臓はいつ打ち切られるかわからないから、オスカーの子供時代の話を無し無し!っていう萩尾さん。作品が良くても読者のアンケートで順位が決まり、作品の連載をも左右される厳しさ。食費が足りないので命がけでパチンコをして醤油や油の景品をもらうアシスタントさんの話なんてなかなか聞けないのではないでしょうか。

 そんな楽しさがあふれる日常や、呪いをかけるのに忙しかったとさらっと書かれている一方で、ところどころに挟み込まれる静かな苦しい叫び。

 後書きに書かれている、「どうぞどなたにも、このことに触れないでいただければ幸いです。過去は再び埋めて、静かに暮らしたいと思っています」との言葉が守られる世界でありますように。

 これからも人生のふとした瞬間に萩尾さんの作品に触れることが多々あると思いますが、この本のことはそっと心の奥深くに置いておこうと思います。

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八重洲ブックセンター京急上大岡店 平井真実
八重洲ブックセンター京急上大岡店 平井真実
サガンと萩尾望都好きの母の影響で、幼少期から本に囲まれすくすく育つ。読書は雑食。読書以外の趣味は見仏と音楽鑑賞、ライブ参戦。東大寺法華堂と阿倍文殊院が好き。いつか見仏記のお二人にばったり境内で出会うのが夢。