『自転しながら公転する』山本文緒

●今回の書評担当者●精文館書店中島新町店 久田かおり

 熱海には行ったことがないかもしれない。いや、幼少のみぎりに一度くらいは行ってるかも。そもそも温泉もおいしい海の幸も県内にあるところで育っているのでわざわざ熱海に行く必要もなかったようだ。それなら若狭に行ってカニが食べたい。なのであの有名な貫一お宮の像も写真での印象しかない。これだけ見ればDV像。実際に「決して暴力を肯定したり助長するものではありません」という注釈が書いてあるらしい。
 でもさ、蹴られているのはお宮だけど、ふられて泣いているのは貫一である。ふむ。

 そんな貫一とお宮の物語、ではなく、主な舞台も熱海ではない。

 牛久大仏が見えるアウトレット内のアパレルショップ店員、34歳の都。友だちはミャアと呼ぶ。ネコだ。主人公以外の、もう一人の重要な登場人物はベトナム人のニャン君である。またネコだ。きっとネコが何か大きなカギを握るのだな(にやにや

 そして貫一。寿司屋の息子で今は都と同じアウトレット内の回転ずしで寿司を握っている。二人の出会いは最悪である。こんな出会い方から恋人同士になるなんて、いやぁ、恋って不思議だね。恋はするもんじゃなく堕ちるもんだ、という名言もある。なるほど。

 ともあれ、最悪の出会いをした二人がひょんなことから再会し、そして付き合い始める。
 この二人のこれまでの人生と、そして今の状況が、読み手の「あるある感」をくすぐる。
 付き合い始めのころって、こんな感じで毎日楽しかったよね、とか、結婚意識し始めるとなんとなくぎくしゃくしちゃったよな、とか。わかるーわかるー。

 都は洋服が好きであこがれの店で働いていたのに母親の体調不良のため実家に帰ってくる。勤め先は好きじゃない系の洋服を売るアウトレット内ショップ。もうここだけでもうつうつとした毎日が目に浮かぶ。しかも34歳。周りは結婚したり子どもを産んだり、と人生の次のステップに進んでいる。

「私はこのままでいいの? これからどうしたらいいの?」焦りとあきらめとそれでも捨てられない小さな何か。そんな時に知り合った貫一は、回転すし職人。ぶっきらぼうだし、読書好きだけど無駄に薀蓄を語りたがるし、年下だし、なんだかつかみどころがない。でも一緒にいて安心する。不安定だけどこのまま一緒に暮らしていくのもありか、と思い始める。

 すったもんだのあれこれを通り過ぎて、そんな中での、熱海である。

 貫一お宮が熱海でどうなるか...あぁ...

 ふふふふふ。と先に読んだ者としてここで笑う。全く笑える状況じゃないのに、今まさにここを読んでいるみんなの胸の内を想像してにやにやするのである。

 おっと、大事なことを忘れるところだった。この小説、本文をプロローグとエピローグで挟んでいる。このプロローグが曲者だ。
 これを読むと、物語の終わりが「わかってしまう」のだ。来たるべき未来を知ったうえで二人の恋の物語に一喜一憂してきたのである。

 アタクシは完全におみや(都のことを貫一はおみやとよぶ)に感情移入し、貫一ばかやろー!!しっかりせいや!!となるのであるが、某40代後半のおじさんは、逆におみやばかやろー!!と言いながら読んだらしい。
 性別年代今いる場所によって二人の関係への思いが真逆になるのだ、面白い。かつて自分も通ったであろう恋からの愛からの結婚、という道筋に思いをはせてしまうのである。

 そこからのエピローグ!!
 やぁ、そうきたか、である。いやこれ、プロローグとエピローグなくても全然問題ないんですよ。これだけでもアタクシは大満足なんです。でもそれにはさまれて、あるいは囲まれているからこその、この「恋愛」なんですね、はい。額縁のように二人の物語を際立たせているのです。
 詳しいことは書けません。おくちチャック。

 これは二人の恋の物語、だけじゃなく都が実家に帰ってきた過程や、母親の更年期問題、働くということ、などさらさらと読めるけどたくさんの物語をはらんだとても奥行きのある物語だったのだ。あ、ネコは関係なかったですね。ごめんにゃぁ。

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精文館書店中島新町店 久田かおり
精文館書店中島新町店 久田かおり
「活字に関わる仕事がしたいっ」という情熱だけで採用されて17年目の、現在、妻母兼業の時間的書店員。経験の薄さと商品知識の少なさは気合でフォロー。小学生の時、読書感想文コンテストで「面白い本がない」と自作の童話に感想を付けて提出。先生に褒められ有頂天に。作家を夢見るが2作目でネタが尽き早々に夢破れる。次なる夢は老後の「ちっちゃな超個人的図書館あるいは売れない古本屋のオババ」。これならイケルかも、と自店で買った本がテーブルの下に塔を成す。自称「沈着冷静な頼れるお姉さま」、他称「いるだけで騒がしく見ているだけで笑える伝説製作人」。