『神の悪手』芦沢央
●今回の書評担当者●精文館書店豊明店 近藤綾子
子供の頃の得意なモノマネは、ピンク・レディーの歌を歌って踊ること、ジュディ・オングの「魅せられて」を背中にバスタオルを広げて歌うこと、そして、NHK将棋トーナメントの対局中に記録係が数える秒読みの真似をすること。
将棋は、子供の頃に、弟と遊ぶ程度で、ずっと好きだった訳ではない。御多分に洩れず、現竜王名人である藤井聡太四段誕生がキッカケで、すっかり将棋にはまった。とはいえ、最低限のルールは知っていても、ド素人の私。そんな私でも、対局の観戦は、とても面白く、気がつけば、まずは観る将になった。同時に、片っ端に、将棋に関する本を読みまくり、読む将にもなった。
勉強のため、藤井聡太先生の対局を分析する動画などを観まくっていたら、将棋は小説に似ていることに気づいた。将棋の詰みまで、持って行く手順は、小説の結末に向けて、伏線を張り巡らせているのと同じだから。また、将棋を題材とした小説も多い。
近年、読んだ中で、ダントツに面白かったのは、最近、文庫になった芦沢央『神の悪手』(新潮文庫)だ。表題作「神の悪手」を含む6編からなる短編集。どの短編集もいつも絶品の芦沢央。今作も絶品なのだ。
まずは、表題作の「神の悪手」。奨励会員の岩城は、罪を逃れるためには、自分のアリバイを証明する一手を指さなくてはならないのだが、自分が指したい一手と葛藤する。棋士としてのプライド、矜持を感じさせる場面。果たして、岩城の選択は...。奨励会という世界の苦しさ、厳しさも描かれる一篇。
「盤上の糸」はタイトル戦がテーマ。タイトルホルダーと挑戦者。盤上を見つめる二人の世界。この両者の心理描写が、とにかくいい。そして、これだけで終わらないのが、芦沢央。盤上の糸とは? そして、それはどう絡むのか。
「恩返し」。弟子が師匠に勝つことを「恩返し」という風習が将棋界にはある。この恩返しを、棋士の師弟関係ではなく、駒師の師弟関係から描くところが秀逸。弟子が作った駒から師匠が作った駒へ選択変更した棋士の真意とは果たして...。
「弱い者」。避難所の将棋大会で、才能を感じさせる少年が、突然、悪手ばかり指しはじめる。一体なぜなのか。この謎が明かされた時、とてつもない憤りを感じるとともに、これが現実であることを突きつけられ、それは、辛くて切ない。
同じように、少年が登場するのは、詰将棋がテーマの「ミイラ」である。才能を感じさせる詰将棋作品を作る少年。しかし、毎回、詰将棋として、成立しないのである。なぜか。この謎の真実、さらに奥にある真実を知ったときも、とても辛くて切ない。「弱い者」「ミイラ」ともに、真実は辛いものであるが、将棋が救いにもなっている短編である。
この短編集、面白いのは勿論だが、奨励会、タイトル戦、恩返しという風習、駒師、詰将棋、将棋大会などと、将棋や将棋界について、バランスよく描かれていることに気がつく。
しかし、将棋の小説っていうと、「将棋を知らないから...」と敬遠する人が必ずいるが、そんなことは、心配ご無用!
とはいえ、「将棋を知っていたら、もっと楽しめたかも」と思うのも事実だと思う。そう思ったら、ラッキー! 将棋のルールは、簡単な本を読めばわかるし、いやいや、ネットで調べてもいい。観戦だって、ネットで、気軽にいつでも観られる。いつの間にか、観る将になっているかもしれない。
そして、再び、この小説に戻れば、更に小説の面白さと凄さに気づくことだろう。将棋の魅力と小説の魅力を堪能出来るのである。
これはもう、『神の悪手』を読むという最善手あるのみ。
- 『イギリスのお菓子とごちそう アガサ・クリスティーの食卓』北野佐久子 (2024年6月13日更新)
- 『虎の血』村瀬秀信 (2024年5月16日更新)
-
- 精文館書店豊明店 近藤綾子
- 本に囲まれる仕事がしたくて書店勤務。野球好きの阪神ファン。将棋は指すことは出来ないが、観る将&読む将。高校生になった息子のために、ほぼ毎日お弁当を作り、モチベ維持のために、Xに投稿の日々。一日の終わりにビールが欠かせないビール党。現在、学童保育の仕事とダブルワークのため、趣味の書店巡りが出来ないのが悩みのタネ。