『香港 旅の雑学ノート』山口文憲

●今回の書評担当者●未来屋書店宇品店 河野寛子

「香港」と聞くと、ひしめき合う看板群が頭に浮かぶ。日本にもある珍しくもないあのネオン看板に、興味が湧くのはなぜなのか。さっそく看板の項から特徴を見ていると、どうも自分の見方がズレていることに途中から気づく。それはデザインやスタイルの細部だけ見ていても、この頭上の看板群が見えるまでに到達できないからだ。

 もともと中国北部と南部の看板の形を踏んで香港の看板もできている。これは日本も同じなのだけど、何が違うかといえば香港という土地がああさせている。本書でいえば人柄がそうさせており、それは土地柄へと表現されてゆく。看板をこしらえ、スペースを探しだし、取り付け、捨ててゆく行為そのもので出来あがっていて、きまり事をしっかりとおさえた上で突き抜けた方法を個別にとると、あの仕上がりになるようだ。一見クリエイティブに見紛う華やかさだけれど、そうではなくてこの時代ならではの限られた時間内にいかに稼ぎだせるかという、しのぎを削ったぶつかり合いが超自律的なあの看板群を作り出している。猛烈に吶喊(とっかん)していることに気付かされる。

 あらためてこの営みっぷりを考えたとき「国」の単位感覚とはまるで違っていて「社会」でもまだ広く仕組みすぎてしまう。そうして徐々に「世間」の感覚に近いように思えてくる。世間ならやりくりをし、考え、よそとすり合わせながら暮らしてゆける。「よそはよそ、うちはうち」の塊で築かれた集団区域・香港。

 私は看板から入ったけれど、他にも食事、床屋、切符の〝もぎり〟そして歴史そのものの跡を残すホテルから入ってみても、どうしたって同じ感覚を経由しながら香港らしさを各章から見つけ出すことができるのだと思う。

 この本は四十四年前に刊行されたもので情報は古い。
 くわえてウィットな文章にナウという言葉も使われてもいる。けれどこれらはシリアスにまでいかない見えたそのままの特徴や癖であり、山口さんが本当に伝えたいニュアンスを表す手段であることが、どこから読んでもよく分かる。これが面白がるだけの内容だったなら今に復刊されるはずはない。

 本書はそんな香港の特徴や性質、癖のようなものを訪れたことのない人へちゃんと伝え届けてくれている。それを言葉にまとめ表している箇所が最後にきちんと載っていた。「復刊にあたってのあとがき」が黄色の色用紙で付け加わっている。ここに角田光代さんのエッセイの中で「個性」の文字に納められていた。この本は「香港という町の個性」が描かれていると。本当にそうだと思う。
 最後に山口さんは訂正と合わせてこう洩らされていた。「ここで一つお断りしておく。復刊されたこの本の値打ちはもっぱら内容の古さにあって、実際の役に立たないところにある」。

 一度文庫に姿をかえたこの本が、また元の形や姿を変えてもしぶとく書棚に居座りつづけてほしいと願ってしまう。これは面影を写しみる価値がモーレツにある記録本です。

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未来屋書店宇品店 河野寛子
未来屋書店宇品店 河野寛子
広島生まれ。本から遠い生活を送っていたところ、急遽必要にかられ本に触れたことを機に書店に入門。気になる書籍であればジャンル枠なく手にとります。発掘気質であることを一年前に気づかされ、今後ともデパ地下読書をコツコツ重ねてゆく所存です。/古本担当の後実用書担当・エンド企画等