『遠くまで歩く』柴崎友香

●今回の書評担当者●TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね

  • 遠くまで歩く (単行本)
  • 『遠くまで歩く (単行本)』
    柴崎 友香
    中央公論新社
    2,090円(税込)
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記憶力は悪い方ではないと思うけれど、昔のことは正直よく覚えていない。ときどき小学校や中学校の同級生に会って話をしたりすると、当時のことをよく覚えていて驚く。担任でもない先生の名前やエピソードとか、隣のクラスの誰々ちゃんが今どこで何してるとか。わたしはたいてい顔も名前も覚えていないので(ひどい)、いつも話についていけずに笑ってごまかしている。

人の名前は覚えていないのに、何ということのない一瞬の光景や脈絡のない誰かのセリフは頭のどこかにあって、何かの拍子にふわっと立ち上がってきたりする。柴崎友香さんの小説は、そういう自分の感覚と似ている気がして、とても好きだ。

この小説の中の作家、ヤマネは、コロナ禍で外出が制限される中、あるオンライン講座のゲスト講師を務めることになる。地図と映像をキーワードに身近なものや場所を表現する、というわかったようなわからないような内容の講座だ。受講者が切り取る写真や映像と、それを表現する言葉が順に語られていって、ヤマネはそれに講評を付けていく。

一方ヤマネの創作の方は少し滞っていて、長いこと書こうとして書けない長編を抱えている。そうして人と出会わない生活がしばらく続いたあと、コロナ禍の制限は少しずつ緩和され、人々はまた元の生活に戻ってゆく。ストーリーらしきものを説明しようとするなら、それだけの小説だ。あまりにも何も起こらない。

わたしの中に流れている時間と記憶はまさにこんな感じなのだ。取り出して語れるようなエピソードはないし、人や場所の記憶も、通り過ぎたら忘れてしまってほとんどはそのまま消えてしまうのだけど、何かを見たり、何かを聞いたり、どこかに行ったりすると強烈に蘇ってきたりする。無秩序な脳内アルバム。しかもどこにしまったのかもわからない。そんな感じ。この小説内で、講座の受講生たちが、他の人の作品を見て次々と自分の記憶を語り出すように、知らない誰かの写真や言葉で、呼び覚まされることもある。

憶って、線状にひと続きの物語じゃないのだなと思う。少なくともわたしにとってはそうだ。そして、あのときああだったから、今こうなっている、みたいに、上手に因果がつけられるようなものでもない。そしてわたし1人のものでもない。誰かの記憶の中にわたしの断片がいたり、その逆もあったり、土地や場所にこぼれ落ちているものや、普段は姿を消していて、何かのトリガーで現れるものもある。

この小説のなかでヤマネが、
「(作家としての)自分は、できごとや誰かの人生をつぎはぎにして都合よく利用しているだけではないか」と悩むところがあるけれど、

記憶や風景のかけらを、かけらのままゆるやかにつなげて小説という形にして読ませてくれる柴崎さんの作品が好きだ。ここに描かれたフィクションのかけらもわたしの記憶のトリガーになる。わたしの代わりに、記録してくれているのかなと勝手に思っている。

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TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね
TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね
愛知県岡崎市在住。2013年より現在の書店で働き始める(3社目)。担当は多岐に渡り本人も把握不可能。翻訳物が好き。日本人作家なら村上春樹、奥泉光、小川哲、乗代雄介など。きのこ、虫、鳥、クラゲ好き。血液型占い、飛行機が苦手。最近の悩みは視力が甚だしく悪いことと眠りが浅すぎること。好きな言葉die with zero。