『四十九日のレシピ』伊吹有喜
●今回の書評担当者●書店員 成生隆倫
父と過ごす最後の時間を、書き残しておきたいと思った。
自室のドアを開放し、介護ベッドが見える位置でパソコンを広げる。
『混濁する意識のなか「お茶しよう」なんて愉快なこと言いやがって。そんなキャラじゃなかっただろ。一人で映画を見ながら黙ってピザを食べている、そんなあなたしか俺は知らないんだからさ。』
キーボードに指を走らせ、砂のようにこぼれゆく日々を記していく。涙を拭っている暇はない。今この瞬間にも、父との別れは近づいているのだから。
なんか会話してあげて。
母が小声で言う。
なんかってなんだよ。
仲は良いほうだが、サッカー日本代表の話題くらいしか俺たちの間に会話らしき会話はなかった。父も話すことはなさそうだった。
次の試合まで命を延ばしてほしいよね、そんなジョークとか意外と好きそうだけども。
「成生さんはとてもおしゃべりだった」
父の同僚の方が語り始めた。
人望があって、格好良くて、話が抜群に面白くて...。
写真を見つめながら、ハンカチでそっと目元をおさえる。
え、待って!
全然違うじゃん!
たまらず遺影にツッコんだ。
もし知っていたら、一人でピザ食べてたなんて寂しいことは書かなかった。寡黙で人付き合いが少なくて、淡々とした印象はなんだったんだ。
クールに煙草を吸っている姿しか、息子は見たことないんだけど!
なんだかこの感じ、『四十九日のレシピ』に少し似ている。
「自分の四十九日は大宴会をしてほしい」という乙美の願いを叶えるためにやってきた金髪ギャル・井本。
生前に乙美が世話をした美佳。
俺は、二人の存在をぼんやり思い出していた。
彼女らが明かしていく思い出が、空白だらけだった乙美の年表を埋めていく・・・。
彼女らが語る華やかな景色が、乙美の人生にきらめきを添えていく・・・。
「実は昔、居酒屋やってたんですよ、お父さん。飲むほうが好きだってすぐ辞めちゃったけど」
「あいつ、学生時代に旅先で一文無しになってさ。ビアガーデンでバイトして、帰り賃を稼いでたんだ」
乙美と同じだ。誰かの昔話が、父の歴史を鮮やかに彩る。
活発な父の影が胸のなかで踊った。
その様子がなんとも言えずおかしくて、おかしくて。
気付けば涙がぼろぼろと頬を伝っていた。
「四十九日は大宴会をしてほしい」
父の死をきっかけに、乙美の願いの意味が理解できた気がする。
苦悩や寂寥感に苛まれてばかりじゃなく、幸せな気持ちになることも大切なのだ。
全てを伝えることはできない。
しかし絆や愛情のしるしを残すことはできる。
それは誰かの心を前へと動かし、人生に喜びやときめきをもたらす。そうやって人は生き続けていくのだろう。それが枝葉のように分かれて伸び、また誰かの未来を照らすのかもしれない。
あれから三年経った。
「週末まで原稿の締め切りを延ばしてほしいよね!」
俺は呟いている。
決してジョークなんかじゃない。結構、本気だ。頭を抱える息子の傍で、写真の父は今日も爽やかに笑っている。
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- 書店員 成生隆倫
- 立命館大学卒業後、音楽の道を志すが挫折。その後、舞台俳優やユーチューバーとして活動するも再び挫折し、コロナ渦により飲食店店員の職も失う。塾講師のバイトで繋いでいたところ、花田菜々子さんの著書と出会い一念発起。書店員へ転向。現在は書店勤務の傍らゴールデン街のバーに立ち、役者業も再開している。座右の銘は「理想はたったひとつじゃない」。