『急に具合が悪くなる』宮野真生子・磯野真穂

●今回の書評担当者●TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね

  • 急に具合が悪くなる
  • 『急に具合が悪くなる』
    宮野真生子,磯野真穂
    晶文社
    1,660円(税込)
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「人生を変えた本」という言い方を何となく信用していない。今までで一番感動した本、とか面白かった本、ならわかる。「人生を変えた」と言うとき、「その本に出会わなかったとしたら歩むはずだった人生」が暗黙のうちに想定されている気がして、そうかな?と立ち止まってしまうのだ。
 今わたしの前には、歩むはずの道も、分かれ道も、曲がり角も、何もないから。

 哲学者の宮野真生子さんは、深刻なガン転移のため、今後「急に具合が悪くなる」かもしれない、と医者から告げられる。明日どうなるかわからない、生と死が隣り合わせの状態の自分に、正面から向き合い考え抜いてみようと思ったとき、彼女が伴走者として選んだのは人類学者の磯野真穂さんだった。本書はこの2人が、病のこと、生きること、死ぬこと、約束、未来、出会い、そして偶然について、語り合いたどり着いた魂の記録だ。

 わたしたちは普通、明日死ぬかもしれないと思って生きてはいない(ですよね?)。けれど実際は、明日事故に遭うかもしれないし、災害が起きるかもしれないし、犯罪やテロに巻き込まれるかもしれないし、突然死するかもしれない。確率で言えば、明日わたしの人生が終わる可能性はゼロではない。
 それでもわたしは、無数の「かもしれない」に一旦目をつむって、今を生きている。それは、後悔なく今日を精一杯生きよう!みたいな前向きポジティブな精神論とも違うし、どうせ何が起きるかわからないのだから好き勝手にしてやろう、というやぶれかぶれとも違う気がして。
 世の中には自分のコントロールが及ばない理不尽でどうしようもないことがしばしば起こるものだということを、ただ、何となく受け入れている。

 宮野さんは、たとえ余命わずかなガン患者であっても同じではないかと考える。周囲が押し付けてくる「患者」を生きない。病気になったことは不運ではあるが不幸ではない。わたしはずっとひと繋がりのわたしで、この先もずっとそうであり続けると。

 わたしたちは、目の前にあるいろんな人生の選択肢の中から、どれかひとつを選びとっているわけではないと思うのだ。未来に待ち受けている何か(最終的には死)を想定して、そこから逆算して今の在り方を決めているのでもない。
 われわれにできるのは、何もない真っ暗闇の中に、やみくもに一歩踏み出すことだけではないか。踏み出した先にある不条理や不運もすべて「偶然」として引き受けて、深い踏み跡をつける。宮野さんと磯野さんは、文字通り命がけで言葉を投げ合い、このことを示してくれる。宮野さんのつけた踏み跡の深さに、畏れに近い感動を覚えるし、わたしもまた、踏み出せそうだと思う。

 映画監督の濱口竜介さんが、本書を原作とする映画を制作準備中だそうだ。どんなふうに踏み跡をつけてくれるのかとても楽しみだし、この本がさらにたくさんの人に届くであろうことがとてもうれしい。

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TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね
TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね
愛知県岡崎市在住。2013年より現在の書店で働き始める(3社目)。担当は多岐に渡り本人も把握不可能。翻訳物が好き。日本人作家なら村上春樹、奥泉光、小川哲、乗代雄介など。きのこ、虫、鳥、クラゲ好き。血液型占い、飛行機が苦手。最近の悩みは視力が甚だしく悪いことと眠りが浅すぎること。好きな言葉die with zero。