『アタラクシア』金原ひとみ

●今回の書評担当者●宮脇書店青森店 大竹真奈美

「結婚」それは守られた城なのか、囲われた檻なのか──。

「この度、結婚することとなりました」
 唐突にこの場で私がそう言い出しても「おめでとう」「末永くお幸せに」と祝いの言葉を掛けて下さるのが一般的だろう。結婚=祝福であり、誰も眉をひそめて「これから大変だね、せいぜい頑張って」とは大抵言わないはずだ。

 とはいえ「結婚は人生の墓場である」なんて言葉は誰だって一度は耳にしたことがあるだろうし、既婚者の愚痴は日頃からよく聞く話、芸能人の不倫だ離婚だとスキャンダルが後を絶たないのが人の世だ。

 実際のところは、私は結婚してもうすぐ20年、人生の半分を夫と共に過ごしているのだが、生まれて結婚するまでのもう半分の人生で夢見てきたような「結婚」とは異なる道のりを歩んできたのは否めない。どんな理想を描き、実際どんな結婚生活を送っているかは人それぞれ。理想と現実のあいだで、心穏やかに暮らしている人はどれほどいるのだろう。

「アタラクシア」というのは、ギリシャの哲学用語で心の平静という意味。本作の登場人物は皆アタラクシアを求め、承認欲求や存在意義、つまりは生きていく意味を求めてもがき足掻いている。

 翻訳家の由依は、シェフの瑛人と飄々と不倫している。由依の夫である小説家の桂は、彼女への強い想いを抱えながらも、何をどうすれば幸せへと向かうのかわからず迷走する。瑛人の店で働くパティシエの英美はサレ妻。浮気をくり返す夫と口うるさい母親、反抗期の息子に苛立ちは限界だ。由依の妹の枝里はパパ活、担当編集者の真奈美は、夫からDVを受けながら、同僚と不倫することで結婚生活のバランスをとっている──。

 結婚生活で満たされず平静を保てない時、人は、新たな居場所を見い出し逃げ場にするのかもしれない。シーソーの片側がどこまでも落ちていくのを感じた時、もう片側に乗り上げるように逃げる。どちら側にも傾き過ぎてはダメ。アンバランスでとるバランス。砂上のような地で、砂漏に埋もれないように、逃げ惑って這い上がって息をするような人たち。

 誰もが孤独にまみれて「理解されたい」「愛されたい」と欲求にもがき交錯し、結婚相手への期待や要求は一心に過度なものとなっているのかもしれない。

 いくら生涯を共にしようと決めた相手だろうと、互いが互いの全てを理解し満たすことは不可能だ。ましてや、その相手本人が原因でえぐられた傷や、ぽっかりと空いた穴であるのならば尚更のことだ。

 たとえ理解しあえない状況下でも、暴力を振るわれようがモラハラを受けようが、結婚相手以外に手を差し伸べては、それは「不貞」なのだ。それが結婚制度なのである。そのような括られた結婚制度の中、自分の置かれた環境で、自分がどう在るべきか。

 肯定するわけにはいかない「不倫」が、平静も不安定も、良くも悪くもある意味では影響を及ぼしている様を、圧倒的な筆致で見せられたような気がした。

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宮脇書店青森店 大竹真奈美
宮脇書店青森店 大竹真奈美
1979年青森生まれ。絵本と猫にまみれ育ち、文系まっしぐらに。司書への夢叶わず、豆本講師や製作販売を経て、書店員に。現在は、学校図書ボランティアで読み聞かせ活動、図書整備等、図書館員もどきを体感しつつ、書店で働くという結果オーライな日々を送っている。本のある空間、本と人が出会える場所が好き。来世に持って行けそうなものを手探りで収集中。本の中は宝庫な気がして、時間を見つけてはページをひらく日々。そのまにまに、本と人との架け橋になれたら心嬉しい。