『逃げ出せなかった君へ』安藤祐介

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理

 現在、日本では働き方改革が推奨されている。小説では『わたし、定時で帰ります。』がより良き働き方を訴え、断固と立ち向かう女性が泣き笑いの奮闘をし、自分たちの道を切り開いていく様が、共感を得て、大ヒットしている。

 そんな中、いま働くとは何だろうと考える。より良く生きるために働く。これを実践できている人は、この世の中どれぐらいいるのだろう。

 著者安藤祐介さんは、仕事小説で定評があり、自身も企業に勤めていた。昨年発売された『本のエンドロール』では、本好きを中心に、感動の渦を巻き起こし、自分も多大なる影響を受けた。

 本書は、三人の同期の男性がブラック中のブラックの企業に入社してしまったところから話が始まる。そのブラックさといったら、夜討ち朝駆け営業、上司の言うことはすべてイエス、朝礼での上司の罵倒、見せしめ、そして懺悔の強要。読んでいる自分も、もうこれ以上は書かないでくれと目を覆いたくなる怒りを覚える惨状だ。

 そんな生きながら死んでいる三人が、つかの間に飛び込んだ居酒屋での一杯のビール。人生で一番美味しいと実感する。そのなかの一人は、音楽の夢を諦め、「ピアノマン」として、ネットに音楽を投稿する時間が輝いた瞬間という。違う場面で、違う場所で、このビールと同じ想いをもつ人、「ピアノマン」に出会ったら、全力で応援したいと思う。

 生き地獄、人間の色が失われていき、とうとう一人「ピアノマン」が自らの命を絶ってしまう。同期は、自分は彼にもっと何かできたのではないかと悔やみ続ける。自死した息子への父親の悔恨。警察官の青年から父親への言葉が胸を打つ。

 優しさと弱さは別物。

 本書は三人を起点として、様々な人々、「人生で一番美味しい一杯のビール」「ピアノマン」が絡まり、不思議な、いや必然的な巡り合わせで、絶妙な物語をつくりだし、今伝えなければいけない想いで満ち溢れる。

 ブラック企業で寝る間もないほど酷使され、人格まで否定され、追いつめられると、会社を辞めるという選択肢も思い浮かばない。思考ができない。生きながら、死んでいるのだ。

 しかし、そうであっても、何とか逃げてほしい。

 本書は働く人たちへのエールだ。

 本当に辛かったら、逃げ出していい。よりよく生きるために働いているのだから。私は、苦しんでいる人にあなたの居場所はそこだけでないと必死で必死で何度も何度も伝えたい。安藤祐介さんの作品、何かを突き動かされる。安藤祐介さんの想いが伝染した。

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ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理
ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理
生まれも育ちも京都市。学生時代は日本史中世を勉強(鎌倉時代に特別な想いが)卒業と同時にジュンク堂書店に拾われる。京都店、京都BAL店を行き来し、現在滋賀草津店に勤務。心を落ちつかせる時には、詩仙堂、広隆寺の仏像を。あらゆるジャンルの本を読みます。推し本に対しては、しつこすぎるほど推していきます。塩田武士さん、早瀬耕さんの小説が好き。