『私の万華鏡ー文人たちとの一期一会』井村君江

●今回の書評担当者●蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里

  • 私の万華鏡―文人たちとの一期一会
  • 『私の万華鏡―文人たちとの一期一会』
    井村 君江
    紅書房
    2,700円(税込)
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 人魚の研究をしていたおじから、10代のころにもらったちくま文庫の中の一冊は、井村君江さんの妖精の本でした。コティングリー妖精事件に関する書籍や、いまはない、福武文庫からも井村さんの『妖精の国への誘い』が出版され、当時MOE出版から出ていた雑誌『モエ』でも、振り返るとこのころは妖精の特集が多かったと記憶します。

 小さい、愛らしい、花のまわりにいるような妖精ではなく、どちらかといえば妖魔に近いものとして「妖精」をとらえた文章も多く、「井村君江」という名まえは、私のなかでそんな「妖精」とイコールで結ばれ、書店で「井村君江」と見れば、あ、「妖精の人が書いた本」だ、と手にとっていました。

 次に井村さんの書籍に出合ったのは、国書刊行会から2015年2月に出版された『日夏耿之介の世界』でした。"詩人で英文学者、キーツやイエイツの専門家、芥川龍之介や萩原朔太郎の友人"である日夏耿之介さんが、井村さんにとって"永いこと公私ともに私淑した恩師"だったとこのときはじめて知り、その後、間を置かず紅書房から秋に出版されたのが、本書『私の万華鏡一文人たちとの一期一会』でした。

 1932年生まれの今年84歳になる井村さんが、多くの出逢いのなかから"この本を読んで下さる方が、きっと知っているだろう名前の知れている"36人の文人たちを選び、その出逢い・交流を記した本。"精一杯生きた日本のある女性の一生の足跡"と、"その女性の「万華鏡」に映った人々の生涯の足跡"が、同じ路の上で重なったり、または数歩後ろをそっと横切ったり、立ち止まって見つめたりした、その、足跡(そくせき)。

 菊池寛からはじまり、川上澄生、日夏耿之介、堀口大學、佐藤春夫、三島由紀夫、小堀杏奴......。妖精学、ケルト文学の権威である、井村君江さんの足跡のうえを、読むこちらもそっと踏みしめていきます。

 菊池寛氏との出会いは、戦時中に栃木県に菊池が家族で疎開してきたことからはじまります。戦後の文化復興のため、菊池は宇都宮市内に経営する民衆映画劇場の内装工事の相談で、当時、市会議員や製材インテリアの会社など手びろく商売をしていた著者の父に会います。そのときついていった小学生だった井村さんは、東宝映画劇場の事務室で、"チョビ髭に黒い眼鏡の小太りのおじさん"菊池寛と出会い、一緒にいた"可愛い女の子"は、当時名子役の女優・高峰秀子さんだったと、のちに振り返ります。

 ある日、菊池寛の講演があるというので聴きに行くと、なぜ自分が小説を書くに至ったかなどを話しているなかで、"小学生の頃いつも上着のポケットに生きたカエルを入れており、それが急に飛び出し自分も会っていた人も驚いた"という、カエルの逸話が印象的で、菊池寛というとカエルが出てくるようになったと井村さん。(すっかりわたしも頭の中で、本の雑誌社さんが昨年受賞した菊池寛賞の授賞式に、カエルが飛び出してきたイメージができて笑ってしまいました。)

 版画家・川上澄夫氏は、通っていた宇都宮女子高の英語の先生でした。"先生がオペラ歌手のような素晴らしいお声の持ち主だったことは、存外知らない方が多いのでは""あんながっしりとした黒眼鏡のおじさんの口から、なんであんな優しい良いお声が出るのかしら"と思ったとあり、掲載されていた川上澄夫の白黒の顔写真から、色を湛えて大きな鮮やかな歌声が聞こえてくるかのようでした。

 堀口大學氏の、"ご自分のサインをされるときには「大は小さく、學は大きく」と独りごとを言いながらかいて下さった"思い出や、佐藤春夫氏は著者が持っていた初版本の見返しに偶成詩を書かれた思い出(この詩は全集未収録とのこと)。三島由紀夫氏が死んで、二十年余り後に突然届いた舞台サロメのチケットは、演出家の富岡紀子(旧姓・平岡紀子:三島由紀夫の長女)さんから。楽屋へ御礼にいくと、日本は住みづらく好きなこともできないから、これからカナダへ行って住む、と話されたことなど、井村さんの万華鏡に映った一期一会が眩しく反射します。

 記憶は鮮明で、ささやかなふとした会話やつぶやきや、井村さんの目からみた相手の方の佇まいが、こちらの文人のイメージに万華鏡のかけらとしてそっと肉づけされていきます。矢野峰人さんが"イエイツが太く低い声だった"と教えてくれた、というのも想像を膨らませてくれます。残された作品や、生涯をたどった文献ではわからない、声や佇まい。そして出会った方ではないとわからない、その人のもつ雰囲気。主観的かもしれませんが、感じたその人の一面を教えてもらうということは、その人のこころに近づくひとつの橋になります。

 1999年に倒れてから車椅子生活をされているという井村さん。まえがきで、"自由に使えた右手も今はしびれ始め、壊れて使えなくなりそうである。しかし、書き残しておきたいことが山ほどあり、肉体の制約があるが、心は焦るばかりである。"と書かれていました。あとがきでは、"まだ書くべき人、例えば窪田般彌氏、由良君美氏、平井照敏氏、岸田今日子女史、立松和平氏など沢山いるが、後日を期したい。"と。なんとか書いていただきたい、井村さんの万華鏡に映ったまだ記されていない方達の側面を知りたい。

 記憶は、思い出は、その人が書き記してくれれば、文字として残してくれれば、物よりも長く生きれる。井村さんが記憶している数少ない父親の言葉は、「一つのことは見る角度によって様々に異なって見えるものだ」。新聞や週刊誌を全て本屋さんに届けてもらっていた時にいった言葉だそうだ。この本は、井村さんの視点からみた文人の側面で、別の方から見たら別の側面が浮かび上がることを、あえて最後にもう一度念をおしていった形になる。まさに万華鏡のように、その人に接したときの様々な言葉やエピソードの集積で浮かび上がるかたちは、また見る角度で変わる。わたしも言葉を、万華鏡にいれるかけらをかき集めたくなる。文人ではない、いま、そばではなしを聞ける人のかけらも、集めなければ、気づいたときには手にはいらない。

 たくさんの言葉のかけらがちりばめられた万華鏡は、乱反射してきっと美しいだろう。
 いま生きている人がひとりもいなくなる、百数十年後の未来にも、その光は届くだろう。
 一人の人の生涯の、たとえかけらでも、文字として残るということは、そういうことなのだろう。

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蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
1971年東京生まれ。学生の頃は本屋さんは有隣堂と久美堂が。古本屋さんは町田の高原書店と今はなきりら書店がお気に入りでした。子どもも立派なマンガ好きに育ち、現在の枕元本は、有間しのぶさんに入江喜和さん、イムリにキングダムに耳かきお蝶・・とほくほく。夫のここ数年の口ぐせは、「リビングと階段には本を置かないって約束したよね?」「古本屋開くの?」「ゴリラって血液型、B型なんだって」 B型です。