『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン

●今回の書評担当者●丸善お茶の水店 沢田史郎

  • スマホ脳 (新潮新書)
  • 『スマホ脳 (新潮新書)』
    アンデシュ・ハンセン,久山 葉子
    新潮社
    1,058円(税込)
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 さて、『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳 新潮新書)だ。
 既に何となく気付いてはいる、という人は多いだろう。「スマホを使うようになって、集中力が無くなったな」と。「SNSで、余計なストレスが増えたな」と。そう感じつつもやめられないのは、何故なのか?
 人類が、生存の為に太古より発達させてきた脳。その進化を逆手に取って、「今すぐスマホを開くべきだ」「早く"いいね"の数を確認すべきだ」と、我々に錯覚させる。それがスマホの、そしてSNSの、開発者たちの手口なのだと現役の精神科医である著者は言う。

 その企みにまんまと乗せられた結果、僕らは集中力を失くし、妬みや苛立ちを増幅させ、孤独感を募らせ、睡眠の質を悪化させ、もっと創造的な何かをする時間を浪費しているのだとしたら、さぁどうする?

 とは言え、スマホの弊害を説いた本は既に何冊も出版されていて、本書の警告が特別に新しい訳ではない。また、新奇なテクノロジーが台頭する時に、それを批判する意見が沸き起こるというのは世の常で、テレビが普及し始めた頃には「人間の知能を後退させる」と非難されたそうだし、ウォークマンが登場した時には「コミュニケーションの放棄だ」と叩かれたりもしたらしい。

 だから『スマホ脳』もその類だろうと思ったら、それは早計である。何しろ、主張の根拠として挙げられている実験の数が尋常ではない。多過ぎて数えていないが、《5000人を超える人々の心の健康を2年にわたって調査》したり、《1万人近い10歳児に5年間、精神状態、友達や自分の見た目、学校や家族に満足しているかという質問》を続けたりといった、労を惜しまない研究が幾つも挙げられている。

 それらの実験、研究で明らかにされつつある事、或いは、高い確率で予測される事が、門外漢にも一読で理解できる平易な文章で語られている訳だが、その中身が凄い。

 例えば「もしかしたら~かも知れない」との期待が持てる時、我々の脳は、それを確かめずにはいられない方向に進化したのだそうだ。
 人類が誕生して以来、数十万年という時間──言い換えると人類の歴史の99%以上──を、我々の祖先たちは「あの木の上に栄養豊富な実がなっているかも知れない」と期待し、その期待が外れても「次こそはあるかも知れない」と隣の木に登る、といった努力で命をつないできた。"かも知れない"という期待をないがしろにしていては餓死してしまう環境で、人類は進化してきたのだ。
 ところがこの進化が、現代人の生活にはマッチしていない。
「この木はダメだったけど、あの木なら果実が手に入る"かも知れない"」という脳の働きが、何かに似ていると気付かないだろうか?

「もしかしたら、耳寄りな情報がUPされている"かも知れない"」「ひょっとすると、『いいね』が幾つか増えている"かも知れない"」......。そうだ。スマホを、SNSを、つい開いてしまう時のあなたの心理だ。

 本書によれば、この類似は偶然ではない。先にも述べたように、IQの高い開発者たちが、人間の脳と心の仕組みを研究し尽くした結果なのだ。

 勿論、勉強中や仕事中にはスマホをシャットアウトできる、強固な意志の持ち主だっているだろう。ところが敵は、こちらが考えているよりも遥かに手強い。と言うのも、"何かを無視する"というのは《脳に働くことを強いる能動的な行為》なのだそうで、机の上にスマホを置いておくだけで、僕らの脳は処理能力の何割かを常に、スマホを"無視する事"に費やす羽目になり、結果、作業の効率はガタ落ちするらしい。しかも、自分では集中している気でいるのだから始末が悪い。

 だから、であろう。あのスティーブ・ジョブズが、《iPadはそばに置くことすらしない》だけでなく、使用する時間も《厳しく制限している》と明言したその訳は。或いは、子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったというビル・ゲイツも、然りである。
 要するに、シリコンバレーの天才たちは、自分たちが作り出したものの正体を当然ながら熟知していたと、どうやらそういう事のようである。そうとでも考えなければ、iPadの発表会で「可能性に満ちた比類なき存在」と豪語した本人が、《そばに置くことすらしない》説明がつかないではないか。

 そして、SNSだ。かのセオドア・ルーズベルトは《比較は喜びを奪う》なんて言葉を遺したらしいが、そうは言っても当時の比較の対象なんてたかが知れたもんだろう。それに比べて21世紀の我々は、《何百万人もの相手と張り合っている。何をしても、自分より上手だったり、賢かったり、かっこよかったり、リッチだったり、より成功していたりする人がいる》。......そりゃあ、心も折れるわな。

 確かにスマホのお陰で、僕らが情報に接する量も早さもケタ違いに上昇した。けれど、そろそろ一度立ち止まってみる頃かも知れない。「その情報、本当に今すぐ必要なの?」「充実感って、誰かと比較する事なの?」と。

 そんな事をしみじみと考えていた時に、たまたま手に取ったのが伊与原新の作品だったのだから、これはもう運命の巡り合わせに違いない。『月まで三キロ』と『八月の銀の雪』の二つの短編集は、まさに、世間との比較ではなく、自分自身の価値観のかけがえの無さを再認識させてくれる芳醇な作品揃いであった。
 直木賞を受賞してもしなくても、いいものはいいのだということで、来月はこの2作を採り上げたい。

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丸善お茶の水店 沢田史郎
丸善お茶の水店 沢田史郎
小説が好きなだけのイチ書店員。SF、ファンタジー、ミステリーは不得手なので、それ以外のジャンルが大半になりそう。 新刊は、なんだかんだで紹介して貰える機会は多いので、出来る限り既刊を採り上げるつもりです。本は手に取った時が新刊、読みたい時が面白い時。「これ読みたい」という本を、1冊でも見つけて貰えたら嬉しいです。