『楽園の真下』荻原浩
●今回の書評担当者●BUNKITSU TOKYO 成生隆倫
小学生だった成生少年は、「大きくなったら虫博士になって、世界中の虫を見てみたいです」と全校生徒の前で堂々と語っていた。
鈍器のような昆虫図鑑を毎日何時間も眺め、何百種類もの昆虫の名前をすらすら言えていたという逸話まで残っている。
ただ、虫博士を目指すうえで、彼には致命的な弱点があった。
生きている虫が大の苦手なのである。
コクワガタの入った飼育ケースにゼリーを置くことさえ怖がっていたし、父親が捕まえたバッタを胸につけられ、大泣きしたこともある。窓ガラスに蛾がとまっているコンビニには入れない。マンションの廊下に蝉が転がっているので学校を遅刻する。遠足のお弁当タイムは、忍び寄るアリの影におびえながら過ごさなければならなかった。
とにかく、虫と共生することは大きなストレスなのだ。紙面で躍動しているぶんにはよいのだが、自分の生活圏に入ってきた途端、それらは恐怖の対象に変わってしまうのである。
「速いもの、飛ぶもの、足が長いもの、噛むもの、刺すもの、毒があるもの。それらすべてが嫌いです」
いつしか彼はそう公言するようになっていた。
え、動物もだめなの?と聞かれるが動物もだめである。
哀しいかな、地球との相性の悪さには太鼓判を押せる。
そしてあれから二十余年。
上記に挙げた六つの他に、もうひとつ対象が加わってしまった。
「速いもの、飛ぶもの、足が長いもの、噛むもの、刺すもの、毒があるもの。あと、大きいものが嫌いです」
成生氏は、まっすぐな瞳でうったえる。
すべての元凶は『楽園の真下』。巨大ハリガネムシに寄生された巨大カマキリが、人間を襲いまくるというパニックホラーだ。
もともと『アナコンダ』『ジュラシック・パーク』『MEG』などの巨大生物モノは大好きである。手も足も出ないような圧倒的な強さと大きさは、まさしくロマンの塊。現実には存在しえないものが、自分の知らないどこかで息づいているかも......想像するだけでテンションが上がる。
だが、これはだめだ。 巨大カマキリだけは絶対にだめだ。映像化など、もってのほかである。
なぜここまで拒絶するのか。挙げたい点は無数にあるが、やはり一番は咀嚼音だろう。
巨大生物ならば「ガブリ!」とか「ゴクン!」と豪快にいくべきところを、やつらは「しゃりしゃり」と食すのである。いやまあカマキリなので当たり前のことなのだが、どうしてもそれが受け入れられない。
つまり、リアルすぎるのだ。獲物を器用に鎌で抱え込み、細かく口を動かす......その描写が一般のカマキリすぎて気持ち悪いのだ。
そこにロマンなどない。あるのは緑色の怪物がもたらす恐怖である。
実は、この書評を書くべきか否か締め切りの日まで悩んでいた。
決してネガキャンしたいわけではない。むしろめっちゃ面白かったし、わりと本気で大傑作だと思っている。 ただ、やっぱり言わせてほしい。
「映像関係者の皆様はこの小説を読まないでください。そして、映像化しようとか絶対に思わないでください」
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- BUNKITSU TOKYO 成生隆倫
- 立命館大学卒業後、音楽の道を志すが挫折。その後、舞台俳優やユーチューバーとして活動するも再び挫折し、コロナ渦により飲食店店員の職も失う。塾講師のバイトで繋いでいたところ、花田菜々子さんの著書と出会い一念発起。書店員へ転向。現在は書店勤務の傍らゴールデン街のバーに立ち、役者業も再開している。座右の銘は「理想はたったひとつじゃない」。