『タイム・アフター・タイム』吉田修一
●今回の書評担当者●本の森セルバ岡山店 横田かおり
「オッソー」「久遠」
どしゃ降りの雨の中、二人は二十年ぶりに互いの名前を口にした。
それは世界でいちばん愛しい言葉だった。
別れを選んだ二人が再会した東京。恋が始まった長崎と、愛を手離した沖縄。
彼らと近しい人物の過去と二人の今が交差しながら、人生と言う名の物語が紡がれていく。
高校時代を長崎で過ごした尾崎颯ことオッソーと、久遠(くおん)愛は、まぶしすぎる初恋を経験した。高三の夏、二人の間に芽生えた恋は瞬く間に互いの心に住み着いた。オッソーの母が事故で死を遂げた時。天涯孤独になった彼が親戚の家で暮らし始めた時。もう会えないと決断せざるを得ない状況は、たびたび二人に訪れた。
くだらないことを延々話し、いつも笑っていた二人だった。そんな彼らを羨望と嫉妬の目で見つめる者がいたとして、何の障壁にもならなかった。
きっと、誰も悪くなかった。周囲が思っていたよりずっと、二人は無鉄砲で真っ直ぐだった。捻じ曲げられた運命が、紺碧の海に浮かぶ島へと二人を誘った。
二人が沖縄に向かったのは、重すぎる現実から数日でも逃れたかったから。オッソーが乗った空港行きのバスに、息を弾ませた久遠が駆け込んだ。島に残ると決めた彼の元に、別れたばかりの久遠が戻って来た。何度も離しかけた手を何回だってつなぎ直し、二人は未来を作ろうとした。
どんなに想い合っていても未成年の彼らに、互いの人生を背負うことなど出来るはずもなかった。だから二人は沖縄の海にすべてを置いてきた。
二人の恋は他者の物語の中で、いっそう鮮やかに描かれる。屈託なく笑う二人の姿は金色に包まれ、互いに向けて発せられる声はどこまでも甘くやさしかった。誰の瞳を通しても、二人の姿はまばゆいほどに輝き、思い出の中の彼らが色褪せることはない。
大人になった二人は、美術館建設という大規模プロジェクトの一員として邂逅を果たした。ここに至るまでどんな苦労を要したのか、詳細は語られない。高校を卒業せぬまま、涯に流れ着いた二人は、羞恥や孤独に苛まれた夜を何度越えてきただろう。
二十年という長い歳月を経た二人は、もうあの頃のように肩を寄せ合うことはない。引き裂かれそうな胸の痛みを抱えながら、それぞれの人生を立て直してきた。選べなかった人生があったからこそ、出会えた大切な人が二人の今を形作っていた。
フェリー埠頭の寂れた待合室に置かれた卓球台。思わず身を乗り出して見た空高く跳び上がるクジラ。祝福のように香ったオレンジ。夏の到来を告げる青い青い海。
物語の中で見た景色が、二人の恋で色づいた数々の情景がありありと浮かび、痛いほどに胸を締め上げる。互いの顔ばかり見ていた二人はもういない。なのに、こんなにも心に居座るから、私の方が泣き出しそうになる。
あなたの恋を、あなたたちが選んだ人生を、忘れたくないと強く思う。
一生消えない刻印が、痛みとともに私の心にやどったとして。
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- 本の森セルバ岡山店 横田かおり
- 1986年岡山県生まれ。書店員歴20年。担当は文芸書、児童書。おかやま文学フェスティバル実行委員おかやま文学創造ラジオMC、note担当。【 おかやま文学創造ラジオ|note 毎週ポッドキャスト配信中】本は友だち。人生の伴走者。この世界に本があってよかった。

