第14回 生き残ってしまった
夜になると町はとても静かだ。いつもは酔客待ちのタクシーの行列が並んでいた通りに、今は一台もない。目の前にあるコンビニ「ポプラ」の赤い看板だけが煌々と光っている。こんな夜でもお客さんは来るのだろうか、と開けている自分でさえ思ってしまう。二三時にいつも通りに開店。すると、多くはないがひとりふたりとお客さんがやってくる。なんだか奇跡のように思う。ほんとうに思う。
八月は毎年、定休日をなくし無休営業をしている。かれこれ四年くらいか。最初のきっかけは、その年の七月売上が悪く、ならば毎日営業したらどうかと勢いではじめたものだった。あの頃は掛け持ちのバイトもやりつつだったので、四六時中何かしら働いていることになる。阿保やなぁと思いながらも、次の年も、その次も続けていくうちに八月は毎日開けていないと落ち着かない体になってしまった。
店を始めたからには、なるべく多く開けていたいと思った。センスも才能もお金もない自分にできることは、ただ毎日開け続けることだけだった。せめて、それだけはできると思った。
今年の八月もいつもながらに毎日営業をしようと思って始めたものの、異例の長雨とコロナに振りこめられた。二週間近く雨が降り続けた。真夜中に降る雨は西日本豪雨を彷彿とさせる。そういえば、無休営業をはじめた年は豪雨災害の年だったか。
雨があがったと思ったら、今度はコロナの拡がりで、二度目の緊急事態宣言となってしまった。呑み屋は軒並み休業。昼の飲食店も閉めるところも多く、いよいよ町は暗く静かになった。静かな戦争だと思った。見えない何かと戦っている。それは未知のウィルスと、というよりも人が人たらしめるための何かを試されているような、そんな戦いだ。
僕の店は休業対象ではないため、開け続けるしかない。明日の酒のため、飯のため、本を売らなきゃならない。幸いなことに、客足は減ったものの、町に暮らすお客さんに足繫く通っていただいた。常連のおじいさんに「ここはいい本がたくさんありますね。図書館よりもいいです。」と言ってもらうと、泣きそうになるほど嬉しい。なんとなく常連の何人かの顔を思い浮かべながら、本の紹介をツイッターに投稿すると、一分しないうちに取り置きの連絡がくる。深夜でも日中でも。みんなはいつ寝ているのか。
八月の無休営業中に、もうひとつの企画をたてている。毎晩、閉店後に詩の朗読をしてはインスタグラムに投稿する。朝起きたら、それを消す。「深夜の朗読」と銘打って、八月の年中行事と化してしまった。なるべく季節、時候にもあわせつつ、あまり詩に馴染みない方にもいろんな詩人を知ってもらう機会になればと続けている。睡眠時間がみるみると削られていくので無休営業とあわせて、良い感じに体力が奪われていく。そういう時の朗読こそ、詩のもつ温度感に近づけられる気がしている。
店を毎日開けながら、たびたびツイッターを眺める。さまざまな言葉が溢れている。生活の悲痛さを語るもの、コロナ関係なく日常の余暇の楽しみを書くもの、うんざりするようなニュース、政府の発表、オリンピックの感動の言葉、新刊のお知らせ、今日の古本の入荷。そんな言葉のあれこれががないまぜに画面の向こうを流れている。おかしいよと思うことが沢山ある。間違っていると思うことがある。僕に今日できることは、本を並べて売ることだけなのだろうか。毎日、何かに負けたような思いで、もうこの世にはいない詩人が残した本を開いては、声にだして読んでいる。
人間はいないのですか
思いは繋らないのですか
世の中は このままでよいのですか
私に投げて下さるのは
空瓶、空缶だけですか
港野喜代子「街角の詩展」より(私に投げて下さるのは)
静かな町でひとり深夜店を開けていると、「生き残ってしまった」とふと口について言いたくなる。見えない爆撃と、見えない銃撃戦。静かな、静かな戦場だ。僕は夜に隠れるように店を開けている。せめて誰かの防空壕になれたのなら、と。生き残ったのならば、と。