第5回 「バラが咲いた」は母を偲ぶ思い出の曲【ゲスト:マイク眞木さん】①
赤坂生まれ、赤坂育ち、マイク眞木さんは生粋の東京っ子
半田(以下、半):第1回目のゲストを誰にお願いしようかと考えていた時に、文化的でいい意味での遊びを知っておられて1960年代をかっこよく過ごしていた方のお話を聞きたいなあと思いまして、あっマイクさん!と思い浮かびました。
マイク眞木(マ):ほんとかよ、いいのかな俺で。
半:もちろんです。今日は赤坂のご自宅にお邪魔させていただき、ありがとうございます。マイクさんはこの家で生まれ育って、赤坂の80年を全部見てきたんですよね。
マ:そう。TBSもなかったよ。あそこには連隊山という近衛歩兵第三連隊の基地があって、小さい頃はそこの防空壕で遊んでた。
半:生粋の東京っ子ですね。赤坂というとナイトクラブの「ニューラテンクォーター」とか「コパカバーナ」とか......。
マ:よく知ってるね、若いのに。
半:いろいろと調べております(笑)。歓楽街の中心地になっていくわけじゃないですか。そういうお店がご自宅から目と鼻の先にあって、どういう感覚でした?
マ:行ったことないけど(笑)。だって1年後輩の親が「ラテンクォーター」の支配人だったり料理屋さんが女の子の友達の家だったりするしさ......。
半:はあ、ご近所さん感覚。
マ:そう。小学校から帰ってくる時には三味線の音が聞こえてきて「ああ、京子ちゃんのお母さんだな、あれはきっと」とかさ。それで夕方になると、友達のお母さんの芸者さんが人力車に乗ってたりね。
半:赤坂二丁目交番の裏とかに人力車が60年代まで停めてありましたよね。ブルコメ(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)の「雨の赤坂」のジャケットに写ってます。そうか、あの人力車はそういう芸者さん向けのものだったんですか。
マ:多分そうだよ。
半:グループサウンズでいえばパープルシャドウズのギターの今井久さんのお宅も近かったですよね。
マ:そうそう。今井くんの家はすぐそこだったけど。もうないんだろうな。

マイクさんが初めて買ったギターの元の所有者は意外な人物!?
半::マイクさんが初めてギターを弾いたのはいつ頃ですか?
マ:高校の時はラグビー部にいたの。その頃って女の子にモテたくなるわけ。ラグビー部ってモテるんだけど、汚いし男臭いから、女の子が近くに寄ってこない。どうすればいいかといろいろ考えていた時に学校の帰りに映画を観たら、プレスリーがギター抱えてポロンって「ラブ・ミー・テンダー」を歌うわけよ。そしたらスクリーンの中で女優さんなんだけどうっとりしちゃっていて。それを見た時、これだよ、と。
半:これだ! 探してたのは!と(笑)。
マ:ギターが弾ければ女の子が近くに来てくれるかもしれないなと思ったのが最初のきっかけ。不純な考えだけど。
半:みんなそんなもんだと思います。
マ:そうだよね。でもギターがないわけ。その頃、親父の友達に「スター千一夜」という番組の司会をやっていた三木鮎郎さんという方がいて、俺はその方のご自宅にお使いでよく物を届けたりしてたの。そしたらその方の家の玄関横にギターが置いてあって、「あ、そうだ、埃かぶって使ってなさそうだし、親父からちょっと頼んでもらって借りてみよう」と思って頼んでもらったら貸してくれて。最初は「1週間ギター上達法」みたいな本を買ってきて、なんとかコードを押さえられるようになって、ボーイスカウトに入っていたからキャンプソングとか、学校がクリスチャンの学校だったから賛美歌とか、そんな曲をやり始めたんです。
半:そうでしたか。借りてきたギターが初めてのギターなんですね。
マ:それで学校の友達と弾いたりしているうちに、だんだんもっといいギターはないかなとか思うようになって。今でも六本木ヒルズにあるハリウッド美容室の息子の牛山くんが同級生で、当時、毎日帰りは一緒に赤坂から青山行って六本木行って帰ってたの。それでデビュー当時、「僕、毎日学生の頃、赤坂、青山、六本木に行ってました」って言ったらめちゃくちゃバッシングされたけど。
半:それだけ聞くとすごい遊び人みたいですが、今の赤坂、青山、六本木とはずいぶん様子が違うんですよね。
マ:全然違うよ。都電に乗ってね。それである時、牛山くんのうちに遊びに行ってたらギターが置いてあったの。彼は全然弾けないしそれがいいギターだってこともまったくわからないのね。「これ、どうしたの?」って聞いたら、「うちの空いてる部屋に元ザ・スパイダースのかまやつひろしさんが居候していて」って......。
半:出た出た(笑)。
マ:かまやつひろしさんは学校の何年か上の先輩でもあって、なぜか彼のうちに居候してたんだけど、お礼ができない、部屋代も払えない。それでこれを置いてっちゃった。
半:これは相当値打ちのものですよね。マイクさんのところにこのギターが行ったことをかまやつさんはご存じだったんですか?
マ:知ってるの。俺はこれをすっごく安く牛山くんから買ったんですよ。ある時、かまやつさんと一緒の仕事があったから持っていったわけ。それで楽屋を訪ねて「かまやつさん、このギターを見てください」って見せたら、めちゃくちゃ懐かしがってくれてね。それで「僕、牛山くんからタダ同然で買ったんですけど、かまやつさんに返しましょうか」って言ったの。そしたらかまやつさんが「いや、このギターはね、僕が持ってるよりも君が使ってくれたほうが喜ぶよ」って言って。
半:それ以来、マイクさんはライブとかでも使っているんですか?
マ:ライブではちょっと怖いからあんまり。レコーディングではかなり使ったし、デビュー曲のレコードもこれで録音したし。
半:「バラが咲いた」のレコーディングで! ではそれが最初に入手されたいいギターということですよね。
「バラが咲いた」のレコードジャケットのギターは長年の相棒
半:そのギターって、もしかしてそこにあるマーティンですか? 「バラが咲いた」のジャケットのギターですよね! D-28かな。何年製ですか?
マ:D-28。まったくこれ。(と言ってギターを持ってきてくださる。)多分50年代。1953年、その辺かな。
半:これ、フレットもオリジナルですかね。
マ:オリジナル。まったく何にもしてない。
半:すごいですね。
マ:狂いもしないけど、チューニングペグなんて大昔のだから結構ゆるゆるで。
半:でもかっこいいですよ、これ。ギブソンのギターはあまり使われなかった?
マ:ギブソンも持ってたけど、あんまり使わなかったかな。
半:やっぱりマーティン派。
マ:マーティン派だったかな。どっちかというと。
半:このネックのクラック(塗装のひび割れ)とかも昔はもっと綺麗だったんですか?
マ:もっと荒れてたの。かまやつさんが使ってた頃はなんかカポをギリギリで締めつけて使ってたらしくて、ギザギザになってたからちょっとそこだけ修理した。
半:かまやつさんのところでもうすでにボロボロ! そうですか。
マ:かまやつさんは、革のカバーをつけてたね。
半:プレスリーがファーストアルバム「ELVIS PRESLEY」のジャケットでつけているやつですよね。僕もD-28ちょっと欲しくなってきたな。こうやって本物を一度触らせていただくと、それと比べてどうなんだっていう判断基準になります。今のものでも「これとちょっと似てるかな」みたいに。50年代のマーティンって本当に質がいいんですよね。それからは「これがあるので次のギターはいらない」って感じでしたか?

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マ:でもこれの良さが最初はあんまりよくわからなかったのね。それでもっといいのがあるんじゃないかと思っていろいろ試したんだけど、これにかなうものはないというのにやっと最近気がついた。
半:それはサウンド面? ルックス面ですか?
マ:サウンド面もそうだし、弾きやすさとか音の質とかネームバリューとか。長年一緒に過ごしてきたっていうのもあるし。なんだかんだずっと一緒にいるよね。
半:自作曲はこの部屋でギターを弾いて作られるんですか?
マ:まあ大体この部屋の角でブツブツ言いながら弾きながらやってるね。「キャンプだホイ」もここで。NHKの「母と子の林間学校」というような生番組用に頼まれていたのを忘れてことを夜中に急に思い出して「明日までに作らなきゃ」ってここに座って作った。
半:そうでしたか。
マ:キャンプって「それ!」っていう感じでもないし、「よっしゃ!」でもないし、もっと気楽に「ホイ!」ってやると楽でいいんだよねと思って。それで「キャンプだホイ」って書いたの。2行目も「キャンプだホイ」って書いて、3行目どうしようかなと思って「キャンプだホイホイホーイ」って(笑)。
半:(笑)
マ:それで、ボーイスカウト当時のことを思い出しながら書いて生番組で歌ったんですよ。そしたら「あの後、いろいろ歌われてるんですよ」ってNHKの方に言われて、こっちはびっくりして慌ててレコーディングして。そんなこともあったね。

仮歌のつもりでレコーディングした「バラが咲いた」でデビュー
半:確か、「バラが咲いた」も慌ててレコーディングしたようないきさつでしたよね。
マ:あれは仮歌だったんだよ。
半:他の方が歌う予定だった。
マ:そう聞いてるんだけどね。本当かどうかわからないんだけど、もう言っちゃってもいいんだろうな。長沢純さんの3人組のスリーファンキーズとか、ラテン系のアントニオ古賀さんとか、ビリーバンバンって言われてた。ビリーバンバンの2人は浜口庫之助先生(「バラが咲いた」の作詞・作曲者)に習っていたから。なんで俺が仮歌のレコーディングをすることになったのかがよくわからないんだけど、あの当時、フォークが学生の間ですごく流行ってだんだんじわじわと広まってきてたんだけど、この曲をフォーク風にアレンジして歌えるプロのバンドがいなかったのかな。それでアルバイトしたわけ。
半:ちゃんとやっちゃうんでしょうね、多分プロだと。編曲もストリングスとか入れたりして。
マ:入れちゃうんですよ。バッチリいろいろ譜面書いたり。あらよってフォーク風にやってくれるバンドいなかったのかな。俺がやってた学生バンド(モダン・フォーク・カルテット)のメンバーを2人ぐらい連れていったかな。
半:あ、そうなんですね。「バラが咲いた」はギターもマイクさんが?
マ:そうそう。もう一人いたけどね。
半:築地のビクターですか? まだ青山スタジオの前ですよね。
マ:そうそうそうそう。よく知ってるよね。若いのに詳しすぎ(笑)。そう、築地のボロいスタジオでさ。本当に。
半:あそこでギターも歌も? 当時マルチレコーダーってまだないですよね。
マ:ない。一発勝負。
半:歌もギターも同時ですか?
マ:全部同時。連れていったギターのやつがなぜか鼻息が荒くて、スースースースー言うんでそいつだけマスクかけて。それでもうるさいっていうので二重にかけて(笑)。ひょっとしたら録音に入ってるかも。
半:(笑)。この曲はサイドギターとマイクさんの弾き語りのギターと。
マ:あとウッドベースね。レコーディングが終わって、僕はその後すぐに今度スキー場のアルバイトに行っちゃったの。そしたら雪が消える頃にフィリップスっていうレコード会社から電話がかかってきて「あのまんまレコードにしたいんだけどどうだい?」って言うから「いや、それはもうありがとうございます」って。当時、学生バンドはみんなペラペラのソノシートを卒業記念に自主制作してたんだけど、俺は金はかからないし、会社が全部やってくれるというんだからね。そうしたらあれよあれよという間に売れちゃったんだよね。
半:売れましたよね。売れたどころか、レコードに「日本のモダン・フォークがうまれた!」と書いてますけど「和製フォーク第一号」と言われて。
マ:そう言われてるんだけど、もっと前にフォークやってたグループがいるんだけどね。
半:売れた曲としては第1号。
マ:そうかもしれないけどね。
半:当時、浜口庫之助先生は歌謡界のヒットメーカーじゃないですか。それで、そういった職業作家がフォークソングを作ったことに関して、フォークファンの中には「歌謡曲の一種じゃないか」と言った人もいたとか。
マ:いっぱいいたいた。それでバッシングされたような気もするけど。
半:でもマイクさんはそもそも自主的にやったわけではないんですよね。バイトで吹き込んだだけだという。
マ:そう。ただ自然の流れに任せて流れてきただけ。ちょっと仮歌をレコーディングしてみろって言われて、それがきっかけでこうなっちゃったのは感謝してます。誰に感謝していいかわかんないけども(笑)。
半:そう聞けてすごく安心しました。よく大ヒット曲を持つ方の中に「俺、実はこれ、もう嫌なんだよ」という方がいらっしゃるんですよね。「元々好きじゃないんだこれは」とか「歌いすぎて飽きちゃった」とか。でも、マイクさんの口から今も「バラが咲いた」が自分の原点だというようなことを聞けて嬉しいです。
マ:あまり言わないんだけど、実は俺のおふくろが亡くなった頃にはここに小さな庭があって、バラが咲いてたの。亡くなったのが6月でちょうどバラの花がいっぱい咲いていたから、それを全部棺の中に入れておふくろを埋めちゃった。だからバラというと「棺の中のバラ」が俺にはすごく印象があって。
半:しかも「僕の庭に」という歌詞が図らずとも。
マ:そう。それで、おふくろの名前が歌子っていうの。歌の子供って書いて。
半:ああ。この曲をマイクさんが歌うことに何かの縁を感じますね。そうだったんですか。

オーケストラを断りリュート一本で紅白で歌唱
半:マイクさん、紅白歌合戦に「バラが咲いた」で出られた時にリュートを持ってませんでした?
マ:そうそう。
半:僕、リュートで弾き語りしてる人を初めて見たんですけど、あのリュートはどういういきさつで。
マ:いとこの家になぜかあって、ギターと同じチューニングだから借りてきた。形が面白いから。
半:琵琶みたいでね。
マ:そうそう。だからリュートギター一本で歌った。
半:後ろの楽団は何も弾かず?
マ:断っちゃったの、俺。超生意気だよね。
半:それはちょっと、なかなかですね(笑)。
マ:ディレクターが「『バラが咲いた』はフルオーケストラをつけますから」って言うのを「いりません。僕、ギター一本でやりますから。フルオーケストラがいるんだったら僕出なくていいです」って言って。
半:確かに、あの曲をフルオケっていうのも無理がありますけどね。
マ:まだ21か22の若造がさ「いや、この歌は僕にとっては墨絵なんです。墨絵に油絵の具を注ぐようなことはしないでください」ってね。
半:なるほど、かっこいいですね。
マ:生意気なこと言っちゃったよ、俺も(笑)。
半:でもそれを受け入れてくれたNHKもなかなか懐が深いですね。
マ:「そうでなきゃ俺は帰る」って言っちゃったから、周りが「いやいやそう言わずに」みたいになって。
半:そうでしたか。大先輩の怖い方がいっぱいいるわけじゃないですか。どうでした? 空気は。
マ:楽屋があいうえお順なのね。そうすると、三田明さん、村田......。
半:村田先生!
マ:そういう人が4、5人ずつ一緒の楽屋に分かれていて、みんな鏡前にいろんな衣装とか化粧道具とかだーっと。俺のところは何もないわけよ。学校帰りのまんまの格好でそのままリュートギター一本持ってリハに行ったから。着替えてくださいって言われても、このまんまですよ、って。
半:脱力したまんま紅白に出たんですね。テレビ中継では音声はマイクから録ってますけど、今みたいにPAってないじゃないですか。自分の歌っている声はどの程度聞こえたんですか? 返りというか。
マ:まあ俺一人だったから。
半:一応スピーカーはあるわけですよね。
マ:スピーカーはあったけど、今みたいに転がしのスピーカーがあるわけじゃないし、マイク1本ポンって立ってて。
半:しかもステージから生えてるやつですよね。
マ:そうそう。だからなんとなくリュートギターを上で高めに構えたような気がした。
半:1本で録るわけですからね。バタヤン(田端義夫)さんもそうですけど、昔はみんなギターのポジションが高いのはボーカルマイクで一緒に録るためでしたよね。(つづく)

【ゲストプロフィール】 マイク眞木(まいく・まき)
1944年、東京・赤坂生まれ、赤坂育ち。日本大学芸術学部在学中にモダン・フォーク・カルテットに参加。1966年「バラが咲いた」で歌手デビュー。大ヒットとなりその年の紅白歌合戦出場を果たす。モービル石油CMソング「気楽にいこう」も話題に。また、「キャンプだホイ」の作詞・作曲も手がける。アメリカ大陸、ハワイに長期在住の経験を経て1997年、ドラマ「ビーチボーイズ」の出演を機に帰国。千葉ご当地アニメ「とーがね!クロニクル」ではゲスト声優で出演し半田健人と共演。デビュー60周年を迎え、精力的にライブ活動を続けている。マイク眞木オフィシャルホームページ(https://mikemaki.capital-village.co.jp/)
【近日開催のイベント】
■マイク眞木
- 9月15日(火)OPEN 18:00 LIVE 19:00 「マイク眞木 with Kuleana(クレアナ)」(曙橋・Restaurant & Live House BACK IN TOWN)
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■半田健人
- 9月6日(日)18:30~ 「だんだん好きになっていきましょう 」(中延・隣町珈琲)
- 10月17日(土)12:00~ 「仮面ライダー555 ファイズリマインド」vol.30(お茶の水・ワテラスコモンホール)
※詳細は半田健人公式X(@handakento)をご確認ください。
