第7回 神田のガード下で78年。スナック情緒を纏う老舗の寿司屋。

 カウンター席で寿司を頬張っていたら、マイク片手にカラオケをやっているサラリーマンが雪崩れ込んできた。

 なんたるカオス! 初めて足を運んだ日にそんな体験をしたものだから、たまらない。

 神田にある老舗寿司屋「次郎長寿司」でのことだ。

 

 戦後間も無くの昭和22年(1947年)、現店主・梶山昭仁さんのお祖父様が、神田駅前のガード下で創業したのが始まりだ。当時は、扉もなく筵をかけての営業だったそう。そんなお店が位置する場所は、駅徒歩30秒という一等地にして、令和になってすらも昭和の香りが色濃く残る横丁だった。

「次郎長寿司」以外にも、「よねこ」、「やったるで~」などの居酒屋、壁一枚隔てて逆側にはさらに広い空間が広がり、「カエル」や「佐々文」などの間口一軒ほどの小さな間取りの酒場がコマ割りで入っていた。どちら側も共同トイレというザ・昭和な空間。今にして思えば、ガード下の通り道を囲って酒場街にしたような造りだった。だからだろうか、"今川小路"のように名前がついていたわけでもなく、「千代田の高架下」と呼んでいたと、「次郎長寿司」の二代目女将・さち子さんに教えてもらった。

 過去形で書いているのは、ここも再開発で消滅してしまったガード下横丁だからだ。

旧店舗の入り口

 あたしが初めて「次郎長寿司」に足を運んだのは、2017年のこと。

 「古典酒場部」という講座を主宰しているのだが、そこの生徒さんの facebookに、戦後すぐの闇市に紛れ込んだような異世界感たっぷりの寿司屋が紹介されており、目が釘付け。即、連れて行ってもらった次第。

 

 鉄筋高架に密接した建物の中に、何軒もの飲食店が入れ込まれている横丁。「次郎長鮨」と書かれた看板の下は、「次郎長寿司」「スナックるり」と、三段構えの看板になっている。「寿司」と「鮨」の表記の違いの蘊蓄なんて関係ない。そう思わせるような2表記の看板が心に刺さる。アルミサッシの扉を開けると、鰻の寝床のように長い通路。足元は、パッチワークのような継ぎ接ぎだらけの土間だ。

 その通路には、隣店の扉が切ってあり、ビールのピーケースも積み上がっている。店内とは思えないほど雑多なのは、大きな空間を数軒の店で共有をしているから。店内兼通り路といった趣き。そこを抜けると、「次郎長寿司」のL字カウンター、東海道清水港任侠一家の名前がしたためられた時代物の暖簾が掲げられた板場がある。ドンツキには、共同トイレと、闇市感漂う雰囲気には似つかわしくないほどの大きなテレビ。

 板場の中では、豆しぼりの鉢巻をキリリッと巻いた二代目・健一さんと、柔和な笑顔が印象的な三代目・昭さんこと昭仁さんが立っていた。

 看板酒は「沢の鶴」。それに加えて「獺祭」も置いてあったのにびっくりした。当時は今よりもさらにイケイケな上昇気流に乗った大人気のイマドキ日本酒。店の雰囲気とのギャップがなかなかのものだったのだ。

 刺し盛りを頼めば、分厚い切り口の刺身が、中トロ、ホタテなど8種類もたっぷりとゲタに盛り込まれての登場。とても一人では食べきれないほどの量だ。青柳が殊の外美味しかったのを覚えている。海苔を一枚挟んであるイカの握りも、ツメの照りもいい穴子の握りも、シャリが大ぶりで食べでがある。

 それらを頬張っていた時のことなのだ、いきなりカラオケ客がカウンター席に雪崩れ込んできたのは。あまりの事態に大笑い。ますますに惚れてしまった。

旧店舗。入り口から次郎長寿司カウンターへの通路
二代目大将とにぎり

 カラオケ客の正体は、「次郎長寿司」に併設されていた「スナックるり」のお客さん。

 この日の一杯めに、お茶割を注文したら、背中越しの小窓から、ひょいと三代目に手渡された。突然小窓から伸びる手にびっくりしていたところ、そこが「スナックるり」であることを教えてくれた。お茶割りなどの割りものはスナックで作って寿司屋に供され、スナックのお客さんが寿司を所望すれば寿司屋からスナックへ運ばれるというデュアルスタイル。

 寿司屋にスナックが併設されている。そのおかしみにもヤラレテしまって、以来、足を運ぶようになった。

旧店舗では「スナックるり」でカラオケをやりながら、握りを楽しむこともできた
横丁内にあった「スナックるり」の入り口

 よその町で呑んで〆酒に、ロケ前のひとり0次会に、我が故郷・熊本から来客があれば連れてきて、ミュージシャンもご案内し、カラオケに一緒に興じたことも。寿司屋もスナックも自在に行き来し、呑みまくる。唯一無二の空間で、みんな間違いなく大喜びをしてくれた。そしてその後、再訪もしてくれていた。それほどまでに飲兵衛を魅了してやまない店だった。

 しかし、再開発の波は避けようもなく、2021222日にここでの営業の幕を下ろすことに。

 一度壊されてしまったものは、もう二度と、元には戻らない。

 あまりに惜しくて、記録を残すべく、懇意にしている写真家に最終営業日の様子を撮り下ろしてもらったほどだ。

 そして同年31日に現在の店舗へ移転。引き続き二代目、三代目の父子鷹で営業をされていたのだが、2022423日に二代目が逝去。現在は、以前の横丁で「スナックるり」をやっていた二代目女将が三代目大将と共に板場に立っている。

二代目女将と三代目大将

 口開け17時。通常は17時半のところ、この日は仕込みが早く終わったので、いつもより30分早く看板の灯りが点る。と同時に、ひとりの男性客が来店。8席あるL字カウンターの一番奥に着席。バーに呑みに行く前の一杯、を常とされている常連さんなのだそう。

 いつもと違う開店時間にもかかわらず、口開けと共に入店するとは、さすがは常連さん。感服しながら眺めていると、まずは瓶ビール赤星をオーダー。そしてトロたく巻きと鉄火巻きを注文される。握りを1人前の時もあるという。小腹を満たしてからのバー行きだ。

 あたしは、3冷ホッピーを注文。現在の店舗に移転されてから扱うようになったお酒だ。

青物を巻いたり、すじこ巻きがあったり、茗荷の巻物も。多彩にアレンジメントをしてくれる。

 以前のお店とはまた別の高架下に位置する新店舗。駅前の横丁が再開発されるにあたって、代替地として用意された場所だ。同じ小路に店を構えていた「やったるで~」、「佐々文」もお隣同士に店を構えている。

 移転するにあたり、三代目の昭さんがこだわったのが、寿司屋っぽくない寿司屋。居酒屋の要素も足したものだ。それを意識しての店づくり。設計はお店のお客さんが担当されたそう。そして導入されたのが、東京の大衆酒場で昔から愛されてきたホッピー。

 冷凍・冷蔵庫のスペースが広くなったことから、ジョッキも瓶も焼酎も全て冷やすことが可能になり、ホッピーの中でも最も美味しい呑み方とされる3冷ホッピーを出すようになった。ジョッキは、常連さんからの移転祝いだったそう。ちなみにその常連さんが、あたしをここに初めて連れてきてくれた生徒さんだ。

ジョッキもカチンコチンに凍らせてある3冷ホッピー

カウンターで寿司を握る三代目大将・昭さん
刺身盛り合わせ

 メニューも居酒屋酒肴を新たに加えた。その一つが、唐揚げだ。

「寿司屋で油物はダメだ」と二代目は反対をしていたが、今や、人気つまみの2トップ。

 ちなみにもう一つの人気酒肴は、二代目女将が作る"ママの卵焼き"。「スナックるり」時代から卵料理に定評があった二代目女将、青唐辛子がビシッと効いた酒呑み泣かせの卵焼きを新しくメニューに加えた。大人気酒肴にもかかわらず、作れるのはたったひとり。

「人と共に去っていく。墓場まで持っていく卵焼き」

と二代目女将が笑う。昭さんもレシピは知っているものの、焼き方は聞いていないのだそう。

 その卵焼きを、一番乗り客がレモンサワーと共に注文される。あたしも便乗注文。

「味噌とマヨネーズ、砂糖をちょっと。青唐とネギはケチらずどっさりと。分量はわからん」

 女将がレシピを教えてくれた。この豪快さがいいのだ。

 

 一番乗りの常連さんとの会話の応酬もいい。

「これからスナックなんでしょ」

「いや、だから、あそこはバーなんだって」

「どっちでもいいや」

 

唐揚げとレモンサワー
ママの卵焼き

 その会話の合間に、昭さんがお礼を伝えられる。

 「この前は、ポーランドからの人たちの、ありがとうね」

 一番乗りの常連さんは英語が堪能で、インバウンド客の通訳を担ってくれるのだとか。「次郎長寿司」はキャッシュオンリーなので、ポーランドの方が現金を引き出しに行かれるのまで面倒を見られたのだそう。優しい方だ。

 そこへ、更なる常連さん方が来店。近隣の会社に勤めているサラリーマンだ。3人で予約。まずは2人がやってきた。時計の針が18時を回ろうとする頃。50代の男性と、30代の男性、先輩後輩の間柄。先輩は生ビール、後輩はレモンサワーを注文。そしてやっぱりママの卵焼きを頼む。

「これだから、ね。ナマモノをやめたくなる理由」

と昭さんが笑う。

 遅れてお連れさんも来店され、生ビールで乾杯。

 3人でシェアしながら握りも食べる。マグロ、いか、中トロ。二代目大将の時と同じく、シャリが大ぶりのものがゲタ2枚に分けて美しく並ぶ。

 三代目になってからは、シャリもさらに進化。お酢を米酢に替えて、甘味も足した。少しずつ、昭さん仕様に移行されている。老舗の酒場は、時流に合わせながら歴史を紡いでいるのだ。

すじこ巻き

 徐々に変化をさせながらも、昭さんがこだわったのが、移転後も「スナックるり」の面影を残すこと。

 神田・今川小路生まれ育ちだった二代目大将。女優・浅丘ルリ子さんとは幼馴染で、「スナックるり」はルリ子さんの名前にあやかった店名と聞いている。

 以前の店舗よりもスペースが狭くなったため、スナックを併設することは叶わなかったものの、店内の奥まった場所に、小さなボックス席が作ってあり、そこで「スナックるり」の残滓を感じられるようになっている。

 と言うことは、カラオケも用意されている。カウンター席でも歌えるようになっており、遅い時間にお邪魔すると、寿司よりも先にカラオケのデンモクが渡されるという、これまた寿司屋とは思えないスタイルになっているのだ。

 

 とは言うものの、ここは歴とした老舗の寿司屋。この日、あたしの1食目は、なめろうだった。

「前もって叩いておいたから」

 準備万端で用意されていた"次郎長のなめろう"、この日は鰤と鯵のダブル遣い。

「鰤の脂があったほうが美味しいからね」と女将。

 青唐辛子がふんだんに入っていて、ビリッと刺激。それを海苔で巻いてお酢につけて食べる。これが次郎長スタイルだ。千葉の酢なめろうの変化系。あたしは、ここで初めて出会った。魚の脂を酢が塩梅よく馴染ませてくれるのだが、そこに海苔が加わることで旨味が足される。大変に好きなひと皿だ。

鰤と鯵のなめろう。酢と海苔で食べるのが次郎長スタイル

 これを考案したのが、二代目大将。東京・神田生まれ育ちの二代目がなぜに、千葉の郷土酒肴を? 

 二代目女将が教えてくれた。

「おっさん(二代目大将)は、若い頃、放浪してたんだよ。で、行き着いた先が、千葉の勝浦。そこで覚えてきたんだ」

 昭さんも言う。

 「砂浜にテントを張って生活をしていたんだって。今じゃダメだけれど、アワビなどの貝をとって売り歩いていたらしい。その時の仲間が今でも来てくれる。小さい頃は、年1回くらい、家族で勝浦の海に遊びに行っていたなぁ」

 二代目は大変な自由人だったのだ。

 178歳の頃から、「スナックるり」の前身である「バーるり」でシェイカーを振っていた二代目。寿司屋は板前さんたちと共に創業大将が切り盛り。当時は、寿司屋にバー機能を備えている店も珍しくはなかったのだそう。2人ギターに1人アコーディオンといった新内流しが来るなど、相当な賑わいだったのだと、生前に二代目大将が教えてくれた。

 そんな状況の中、放浪に出て、千葉・勝浦でテント生活。お店を継いだのは、30歳の時だったとのこと。

 

 「今日も山梨まで帰るんだ」

 ニコリともせずにあたしに言う二代目大将。

 ここで鯨飲したとある日、電車で眠り込んでしまい、山梨の上野原まで運ばれてしまったことがあった。そのことを、毎回揶揄してくるのだ。真顔で。そのおかしみたるや。

 「巻物は、こうやって遊びを出すんだよ」

 巻き終わりのネタを、ピョコリとわざと海苔から顔を出させるスタイルだった。その茶目っ気が、大好きだった。

巻き終わりにネタが顔を出す、二代目大将の巻物

 二代目大将の思い出に浸っている間にもお客さんは続々と来店。

 一番乗りの常連さんが店を後にするのと同時に、ひとり呑みの女性客がいらっしゃり、たった今まで一番乗り常連さんがいた席に座る。

 そしてやってくるは、すーさんだ! あたしが最もここで遭遇する率の高いひとり呑み男性常連さん。好い酒呑みなのだ。入店するや否や、みんなから「髪切った?」と突っ込まれるすーさん。愛されキャラの人。照れながら生ビールを呑んでいる。

 あたしは、大好物のイカの刺身にいくらをトッピングという贅沢つまみを堪能しながら、「沢の鶴」の熱燗と巻物にも触手を伸ばす。

「沢の鶴」は、引き続きここの看板酒だ。

「冷酒でもひやでも熱燗でも、オールマイティに美味しいお酒」

 昭さんが言うように、どんな温度帯で呑んでも落ち着きどころがいい。特に、二代目大将の酢がピシッと効いていたシャリに熱燗を合わせるのを、あたしは殊の外愛していた。

「昔からの常連さんは"ペット酒"って呼ぶんだよね」

 昭さんが教えてくれる。

 以前の店舗には一升瓶を冷やすほどの冷蔵スペースがなかったから、ペットボトルに小分けして冷やしていたのだそう。故に、常連さん達は「ペット酒」と呼んでいたのだとか。

 いいですねぇ、とっても気安くて。寿司に合わせるにはこのお酒、とか、造りの蘊蓄とかそんなことは一切関係なく、好きに自由に呑む、そんな空気が流れているのもとても好きだ。

イカ刺しにいくらトッピング
日本酒「沢の鶴」の熱燗

 ゆるゆるした時間にたゆたいながら、麦焼酎「いいちこ」お湯割りを重ねる。つまみは、常連さんの会社の愚痴だ。これぞ、酒場。そういう時間もいいのだ。

 そこへ昭さんの娘さんも来店、カウンター席で晩御飯だ。

「ななちゃんが来た!」

 今や立派なレディになった娘さんを幼い頃から知っている常連さん達、大喜び。

 さて、そろそろ最後の一貫を頂こうか。

 二代目大将考案の「穴たまきゅうり」。照りも美しい穴子の握りに卵焼きを挟んだもの。ツメと卵の甘みがとてもいい。デザート的に楽しめる握りだ。

蒸しエビ
二代目大将考案の穴たまきゅうり握り

 身も心も甘やかに満たされたところで、

「ちゃんと真っ直ぐ帰るんだよ」

と常連さんたちに見送られながら店を後にすれば、外は雪。ホワンホワンとした心持ちにぴったりの雪景色を愛でながら、ガード下をほろ酔い散歩。

店名

次郎長寿司

住所

東京都千代田区鍛冶町1-2-17

電話番号 

03-3251-3636

営業時間

非公開

定休日

非公開

アクセス

JR神田駅南口から徒歩1

※営業時間・休日は変更となる場合があります

※メニューは時期などによって替わる場合があります。