第10回 ナポリタンにハンバーガー。舌を虜にする港町オーセンティックBAR。(前編)
駅の長いコンコースを抜けて地上に出ると目に飛び込んでくる鮮やかなピンク色のツツジたち。目線をあげれば、澄んだ青空。歩みを進めれば、海にプカリと浮いた白と紺のコントラストも清々しい氷川丸。横浜・山下公園の風景だ。
五月晴れも麗しき日曜日、観光客で賑わう街の雑踏を抜けて足を運ぶは、「スリーマティーニ」。土日であれば14時から、平日でも15時から、昼酒ができるオーセンティックバーだ。
あたしの若かりし頃は、上京したての人間は、ひとまず横浜でデートをするのが定番だった。元町のウインドウショッピング、海の見える丘公園、中華街の食べ歩き......。
正直なところ、その頃のあたしには、横浜の楽しさがピンとこなかった。
しかし、あれから30年近く経ったところで、突如として、横浜の素晴らしさに開眼してしまった。そのきっかけを作ってくれたのが「スリーマティーニ」だ。

「美味しいハンバーガーを食べに行きましょう」
名だたるオーセンティックバーを作品にしてこられた切り絵作家・故 成田一徹さんに連れてきてもらったのが最初だった。2007年のことだ。横浜・野毛の「ホッピー仙人」を皮切りに、同じく都橋商店街のスナック、そして野毛のバーとたっぷりとはしご酒をした後に、一徹さんがそう言って誘ってくれた。
バーを、酒場を、お酒を愛していた一徹さん。こぼれ落ちそうな大きな瞳を細めながら、「こういうのが好きなんですよね」と、〆飯にバーでカツサンドを頬張ることが、常だった。この日も一緒に〆飯をしに足を運ばせていただいたのだ。
あれだけ呑んで食べてきたのに、さらにへビー級のつまみで締める。"酒の息"のみならず"食の息"も合うのも、一徹さんと呑む楽しみだった。
酔いどれながら入った店内は、紅いベルベッド調のソファが印象的で、ご機嫌な音楽がかかっていたのが心に刺さっている。そして食べたハンバーガーがとにかく好みの味わいだったこと。以来、フードが美味しいバーとして、あたしの中にインプットされた。


それから随分と時が流れ、昨年のことだ。『ウイスキーカクテル』(いしかわあさこ著/スタジオ タック クリエイティブ刊)を読んでいたならば、「スリーマティーニ」が登場しているではないですか。しかも、カクテルとフードペアリングの巨匠として。
干し柿白和えに「響」の水割り、イチゴのフルーツサンドに「アードベッグ」のトワイスアップなど、紙面を見ているだけで涎が出まくるもの揃い。恥ずかしながらその時初めて、ちゃんと認識したのだった、ここは、フードペアリングも卓越したバーであることを。
掲載されていた中でも、発酵バターで作るナポリタンと「ボウモア」ロックの組み合わせに強烈に惹かれて、すぐに足を運んだ。


久々にお逢いする店主・山下和男さん・綾さんご夫妻は、あの時とちっとも変わらず、気さくに出迎えてくれた。
お目当ての発酵バターナポリタンは椅子から転げ落ちそうになる程美味しく、出汁の利いた山形の秘伝豆煮、ソルティないちごの白和え、青々しい香り立つ春菊入り水餃子、デザートのザバイオーネまで、バーとは思えないほどの多彩な料理を、極上のカクテルと共にペアリングで堪能。



大満喫で外に出れば、まだ明るい。この心地よさたるや。
昼酒の余韻に浸りながらひとりほろ酔い散歩した横浜の街並みが、これまた格別。
赤煉瓦で造られた横浜市開港記念会館やネオ・バロック様式も優美な神奈川県立歴史博物館など、外国の香りを纏った建築物に見惚れた。まるで海外を旅しているかのような錯覚に陥らせてくれたのだ。
以来、山下公園で潮風散歩をしてから、ここで幾杯ものカクテルとつまみのペアリングを楽しみ、その後、散歩しながら野毛へ、元町へとはしご酒をするルーティンができた。

齢50を過ぎてからの、突如の横浜開眼。
中年期も後半に差し掛かった人間に新たな世界を教えてくれた「スリーマティーニ」が創業されたのは、1994年のことだ。
学生時代を東京・国立で過ごした和男さん。カフェ「ビブロ」(現「Bar HEATHJ」)で、お酒の楽しさを知った。以来、よその町でも呑むようになり、バーならではの程よい緊張感で嗜む酒の虜になった。美術系の大学で設計を学んだのち、造園会社に就職したものの、上司や仕事仲間と行くのはスナックや赤提灯。バーが恋しくなった。そして思った。「自分は、仕事よりも酒が好きだ」と。
数軒のバーを皮切りに修業を積み、ホテルニューオータニのメインバーでは接客も学んだ。呑み手としても経験値を重ねてきた和男さん。「自分だったら次は何を呑むかな」。そんな想像をしながら、お客さんたちの要望に的確に応えていき、接客者としての手腕も磨いてきた。そして独立。まずは、横浜・野毛での開業だった。
「とにかくやりたい一心でした。一か八かでやるんですけれどね。でも、絶対に成功したい!と思って独立したんです」
和男さん、27歳の時だった。
ウイスキーをメインとするオーセンティックバー、10坪の小さな店だった。近隣のジャズレコード中古専門店の人が馴染み客だったこともあり、当時はジャズを専門にレコードをかけていた。2001年に山下公園目の前の現在の店舗に移転してからも、5年間ほどはジャズがBGM。野毛での創業以来、まるまる20年はジャズだったそうなのだが、
「ジャズのことは、大体わかるようになった」から、違う刺激を求めて、ファンクやソウルなどもかけるようになった。ここは、選曲も含め、全て和男さんがレコード盤をかけているのだ。
カクテルを作りながら、接客をしながら、その時の雰囲気に合わせてレコード盤を変えていく。選曲の肝を伺うと、
「リズムがいいもの。自分にとって働きやすい音楽。自然と手つきが乗ってくるものかな」
確かに、カクテルを作るリズムも小気味いい。
「トレースをしたような音楽ではなく、エッジが立ったものがいい。自分がまだ知らない音楽を知りたいんです」
好奇心も旺盛だ。
その好奇心を、自らのみならず、客のも満たしてくれるのが、和男さんのフードペアリングカクテルだ。
この日は、一徹さんとの思い出のハンバーガーを食べたいと、料理担当の綾さんにお願いをしていた。それに加えて、砂肝のソテーも目当てだ。『ウイスキーカクテル』著者のあさこさんから、「砂肝のソテー」に白米を追い飯してもらうのがおすすめと、前日に連絡をもらっていたので、そのスタイルで食べたい旨も伝えると
「じゃあ、ハンバーガーが先の方がいいわね」
綾さんがお手製のパテを焼き上げ始めるのに合わせて和男さんが作ってくださったのが、「キューバリブレ」。ラム酒がベースのカクテルだ。コーラもステアされ、ライムをギュッ。とろりチーズも挟まれたハンバーガーと合わせると、ザッツアメリカン! みんな大好きな味だ。この組み合わせできたかぁ。びっくりすると共に、ハンバーガーの弩級の美味しさに、改めて慄く。これは、凄すぎませんか...。


綾さんに伺うと、
「繋ぎは一切無し。牛肉100%。繋ぎを使うとパテが水っぽくなるでしょ。ステーキのイメージで作るの。牛肉の脂を繋ぎ代わりにしているから、とにかく練らなきゃいけない。練って練って、一晩寝かせて、さらに練ってから焼くの」
とんでもない労力がかかった一皿なのだ。
母方・父方、両方ともの祖母が料理上手で、調味料も手作りだったという綾さん。お店でも、作り置きは一切なし。電子レンジすらもおかず、全て手作り。砂肝は朝じめのものを仕入れに行き、メニューは日替わりで、パクチー入り餃子や手作り揚げワンタン、パテドグランメールと、オーセンティックバーとは思えないほどのラインナップ。
ハンバーガーも手間がかかるゆえ、あと一人分しか用意がなく、
「誰も注文しなかったら、自分が食べたい」
と和男さんがいうほどの逸品だ。
この美味さが、どれほどまでのものかというと、この一皿で、カクテルを3杯も所望してしまったほど。とんでもなく酒を欲するハンバーガーなのだ。そして和男さんのあまりにドンピシャのペアリングに、別の組み合わせだったらどうなるんだろうと、猛烈に好奇心が湧き上がってしまうのである。
流石に、3種類目のカクテルをお願いした時には、和男さんも苦笑されていたが、それでもザッツアメリカンな1杯目から2杯目、3杯目までの流れも完璧。
2杯目は、「カリラ」ソーダ割で、スモーキーさを肉のガッツリとした旨味に合わせて、大人な味わいに。3杯目は、ピーチの甘やかな香りで春っぽさも纏わせた「ピーチアマーロ」のカクテル。フェルネットの苦味が肉のソースにもなり、旨味を引き締める。フロート的にウォッカも忍ばせてあるので、呑みごたえもある。
緩急をつけた見事な流れが形成されているのである。これには唸った。(後編に続く)

スリーマティーニ創業30周年オリジナルラベル
