第16回 蕎麦とテキーラ。老舗蕎麦屋の夕餉の風景。
「紀和子さん、アニスの香りがするお酒、好きですか?」
入店するや否や、そう尋ねられた。
ここはトルコ料理のお店ではない。元代々木で三代続く歴とした老舗蕎麦屋だ。
店内に入ると、身体丸ごと包み込まれそうなほどの豊かな出汁の香りが充満している。メニューもざるそば、かけそば、たぬきそば、親子丼、天丼......。正真正銘、ザ・町の蕎麦屋だ。
そこでいきなり、アニスの酒が登場するのである。
あたしが初めて「大野屋」にお邪魔したのは2016年のこと。
「蕎麦屋でテキーラの会をやりましょう」
酒友であるテキーラマエストロの佐伯和則さんが誘ってくれたのがきっかけだった。
「えっ!? 蕎麦屋でテキーラですか?」
自分の中では全く両立しない単語の並びに驚きながら足を運んだ。
テキーラといえば、ストレートをショットで煽り、そこへライムをぎゅっと絞り入れて呑むお酒。そんな概念しか持ち合わせておらず、実際にそんな呑み方をし、なぜだか人生で一回だけ経験をしたお見合いの席でもそのスタイルで、泥酔をしたことがある。
あたしのそんな認識と経験がいかに酷くてつまらないものであったかを体感をもって教えてくれたのが、佐伯さんだ。
メキシコ料理店でテキーラ講座を開いてくださり、原料であるアガベを100%使った、混じり気なしのプレミアムテキーラの上質な味わい、熟成をかけるごとに変化する風味、食事と合わせるとより一層豊かな世界が広がることを教えてくださった。
これまでの自分を自身で殴りつけたいほどの、衝撃の体験だった。
その感動を佐伯さんに伝えたところ、蕎麦屋でテキーラの会を開催してくださったのだ。
「せっかくだから店きっての人気ペアリングコース『鴨鍋×テキーラ』にしましょう」
宮城・蔵王から氷詰めで直送されてくる合鴨でお鍋のコース料理、締めはもちろん鴨出汁でお蕎麦だ。


ブランコ、レポサド、アネホと、熟成違いはもちろんのこと、蒸溜所違いでも多彩に組み立てられていくペアリングコース。デザートには高カカオのチョコレートと超高級テキーラの代名詞でもあるドンフリオ1942。
圧倒的な美味しさにやられてしまっていたところ、三代目店主・大野慎介さんも、テキーラマエストロでいらっしゃることを教えてくれた。
蕎麦屋でテキーラ。なぜそんなことになったのか知りたくて、その後、ひとりお話を伺いに再訪させていただいた折に、慎さんは、テキーラマエストロのみならず、日本酒利き酒師でもあり、ワインソムリエでもあることを知る。ますます興味が掻き立てられた。
そしてこの日。口開け時間よりも1時間ほど早くお店にお邪魔すると、いきなりアニスの香りがするお酒「アラック」で出迎えてくださったのだ。お茶でもなく、日本酒でもなく、ワインでもなく、テキーラでもなく、アラック。予想の斜め上をいく慎さん、ますます好奇心が刺激された。

事前に考えてきていた取材事項など、後回しでいい。まずはアラックのことを聞かねば。
含み香も上品なアラックのソーダ割を頂きながら、なぜにこのお酒を?と伺うと、今夏、お嬢様とドバイに旅をされたのだそう。その時出会ったのが、5年の熟成がかけられたアラック。旨味がのり、舌の上に蜂蜜感も残る。極上の一杯だ。
そしていきなり始まるのである、慎さんの"世界のお酒と文化"の話が。
「アラック」とは、ペストが流行した時に中東で薬がわりに造られたもので、蒸留酒の原点であること。
25年前に中東を旅して、イスラムの文化に触れたことがきっかけで、景色や経済など独特なカルチャーに魅了されたこと。スパイスのスーク(市場)では、黒胡椒の豊富さに驚いたこと。
「胡椒がね、特級から5級まで、ランク分けされているんですよ。中でも、特級の香りの素晴らしさは忘れ難いほどでした」
ひと口に胡椒で括られる日本とは異なる世界。
「でもね、日本も江戸時代の初期には大陸から胡椒が入ってきていて、辛味として親しまれていたんです。文献を見ると、梅干し入りすまし汁には黒胡椒が必須と書かれているし、炊き込みご飯にも使われていた。江戸っ子は黒胡椒が大好きだったんです」
そして出会ったのが、カンボジアの完熟黒胡椒、クラタペッパーだ。日本の方が当地で栽培されているものだ。
「大野屋」には、鴨鍋と双璧をなす季節の人気メニューがある。「鱧すき」だ。

北海道斜里産の蕎麦と吉野の本葛を使った自家製。鱧の卵がトッピングされた特別仕様
さっぱりとした出汁にフワッと軽やかな鱧を潜らせる。淡路島の玉ねぎ、千住のネギ、大葉、茗荷の香味野菜もたっぷりに、仕上げに完熟黒胡椒。フローラルな香りが立ち上り、伽羅のような和のテイストも広がる。鱧の旨味とのコラボレーションも素晴らしい。
「鱧料理は関西のものだけれど、そこに黒胡椒を使うことで、江戸流に楽しめるようになります。先人たちの食文化も伝えたくて」
慎さんのその想いに呼応するように、この日のお客さんたちも「鱧すき」を次々に注文されていく。




口開けから1時間経った18時30分。
サラリーマン男性が一人来店。枝豆と瓶ビールを注文し、慎さんと談笑をされている。学生時代の友人のようだ。そこへ若いサラリーマンと女性も合流。鱧すきとテキーラのペアリングコースが始まる。
「今、ビールを呑んでいらっしゃったから、コクのあるテキーラを用意しますね。ソーダで割ってアルコール度数11.5%に調整しますから、ワインよりも度数は低くめです」
状況に合わせての慎さんのアレンジメント力が光る。
18時40分に入店された若めの女性と年配男性の二人連れも鱧すきとテキーラのペアリングコースだ。その前に一杯、と、男性はビールを注文。「なんでも呑みます」とおっしゃる女性に「ライチの香りがする焼酎はいかがですか?」と勧める慎さん。「面白そう!」即、オーダーをする女性。慎さんの、お客さんの好みの読み取り力も的確。
そして「鱧すき」にはテキーラと、みんな当たり前のように親しんでいる。老舗の蕎麦屋とは思えないほどの光景だ。
そんな類例を見ない蕎麦屋になったのも、慎さんのイカれた探究心ゆえだ。
「大野屋」が元代々木で創業したのは昭和23(1948)年のこと。
練兵場もあったからか、戦争中は12回も空襲を受けて、一面焼け野原。バラックが立ち並ぶ中での蕎麦屋創業だった。お祖父様、お祖母様が切り盛りする蕎麦屋。と言っても、当時の食糧事情もあり、うどんも中華そばも出す食堂みたいなお店だったそう。麺はコークスを炊いた釜で茹で、中華スープは練炭で炊く。慎さんも、近隣の精肉店から仕入れてきた豚骨や鶏ガラを朝から叩き割ることが仕事。後に、麺はガス釜に変わったものの、慎さん19歳当時でも、中華スープは変わらず練炭で炊くスタイルだった。
戦後、渋谷にマーケットができ、復興の賑わいが出てきたところで自転車での配達も始まり、元代々木は、新宿や池袋とは違う、エアポケットのような街であったがゆえに、先端ビジネスのサテライトオフィスなども開業されていった。100台規模のタクシー会社が3企業もあり、慎さんも16歳で免許を取り、スーパーカブで配達をして回っていたのだそう。
しかし配達エリアはあえて狭めてあり、注文が入ってから調理をし、トータルで20分以内で届けられる範囲内に限定していたそう。売上至上主義ではなく、ちゃんと美味しく召し上がっていただくことを最優先されてきたのだ。
そして大学生になった慎さん。前述したように蕎麦屋の手伝いもしながら、アメリカ文化にもハマっていく。
時は、80年代。アメリカンカルチャー全盛、アメカジが一世風靡をしていたときだ。アメリカ西海岸に飛んでは、古着、ジーパン、革ジャンなどを買い求めることが楽しみだった。頻繁に渡米しているうちに、現地での友人もできた。すると、体感をするのである。日本の文化がほとんど知られていないことに。
「アジア人で一括りにされてしまっていたんですね。日本の文化、アイデンティティ、伝統、フィロソフィーのことをもっと勉強せねばと強く思ったんです。そして気づいたんです、自分は日本の伝統的食文化・蕎麦屋の家系だ、と」
20代後半に差し掛かると、バブルが弾けた。と同時に、食の多様性の萌芽の兆しも見え始めた。
まだ町の蕎麦屋では地酒など置いておらず、地酒といえば高級店で呑むものだったが、慎さんは「大野屋」で地酒を出し始める。
長野、新潟、愛媛とそれぞれの銘酒たちを置き始めると、お客さんたちが目を細めて呑んでくれるようになった。
「お酒も時代にあったものをおけば、お客さんは喜んでくださる」
日本酒に傾倒していくようになった慎さん。
ネットなど無い時代。全国を行脚して、郷土料理店や、地元の人しか行かないような酒場へ足を運び、そこで出会った地元の方々のうち3人が同じように勧める店があればさらにそこへ行く、という地道さで情報を得ていき、地元でしか流通しない地酒を教えてもらい、取り扱い酒販店を紹介してもらい、酒蔵と繋いでもらっていく。
真夏ですらビールも呑まずにひたすら日本酒を愛し、
「生まれ変わったら日本酒になりたい」
と思うほどに惚れ込んだ。
そんな時に出会ったのがワインのプロたち。交流を深めていく中で、持ち込みのワイン会もお店でやるようになった。
「その都度、ボトルに少量だけ、ワインを残していかれるんですよ、この料理とこのワインの相性が良かったよ、という言葉と共に。なんてスマートな気配りだろうと感銘を受けました。そして美味しさに驚きました」
特にドイツワインに薫陶を受けたそう。
「日本酒好きになるほど、生酛にハマる傾向ってありますよね。あの乳酸感が良くてね。ドイツワインにもそれに通じる味わいがあるんですよね。しかもね、日本酒生原酒のアルコール度数が17~8度もあるなか、ドイツワインは8~10度なのに呑みごたえもちゃんとある。でも度数が低いから、ザブザブと呑めちゃうんですよね笑」
ソムリエの巨匠・田崎真也さんの日本酒講演にも衝撃を受けたと言う。
「ワインの人が語る日本酒のこと、その切り口が斬新で心に刺さったんです。ワインを勉強することによって、表現方法が豊かになると思いました」
そこからワインソムリエの資格をとられるところが、慎さんのすごさなのだが、ワインとの出会いによって、今度はテキーラの世界へと繋がっていくのだから面白い。
「ワインの勉強をしていると、シャンパンしか呑まない、特殊な世界があることを知るんです。そこに興味を持って、シャンパン漬けの生活を始めました。すると、さまざまな感動の地図ができていくんです。そしてついに神のようなシャンパンに行き着いてしまったんです」
シャンパンまでも極めてしまった慎さん。同じ世界観を感じたのがテキーラだった。
「ヨーロッパではシャンパンが高級酒の代名詞だけれども、北米ではテキーラなんですよね。ハリウッドスターのアカデミー授賞式でもテキーラだし、昨年の大谷翔平さんの50/50達成時のロッカールームでの乾杯酒もテキーラでしたよね。華やかで高級で、そして最上級の祝いの酒のアイコンがテキーラなんです」
テキーラマエストロにもなり、ドンフリオを筆頭にメキシコの名蒸溜所にも足を運んだ。そして新たな世界の扉を開くことになる。
「北米でも20年くらい前から高級和食屋さんにテキーラが置いてありましたが、メキシコに行ったとき、トランジットの空港内にまでも寿司&テキーラのお店がありました」
蕎麦屋である慎さん、今度は和食とテキーラのペアリングの世界を極めていくのである。
日本では角ハイブームが巻き起こっていた。現地スタイル同様にテキーラをソーダ割で供すると、ウイスキーよりもしなやかで食事に合うと人気に。「大野屋」にテキーラが自然と根付いていった。
そしてこの日。本格的に晩酌が始まる頃合いの19時。
外国の若人たちが続々とやってきて、各国の言葉で慎さんと挨拶を交わしていかれる。おなじみさんのようだ。階下でテキーラ酒宴をされるらしい。今や、テキーラ愛飲者が世界中から足を運ぶ蕎麦屋になっている。
かといって、個性的な蕎麦屋をウリにしているわけではない。
この日も、口開け17時半に一番乗りされた年配の女性ひとり客は、ノンアルで温かい鴨南蛮そばを楽しんでいたし、若い女性ひとり客は、これまたノンアルで鱧天ざるを食べていた。
以前お邪魔した時は、小学生くらいの娘さんにカツ丼を食べさせながら、鰹のタタキに瓶ビールを召し上がっているお父さんがいたり、幼児連れのお母さんたちがいたりと、町蕎麦屋ならではの夕餉の様も繰り広げられていた。
この共存感に胸を打たれたのも「大野屋」を好きになった理由だ。
老いも若きもお子様も集う蕎麦屋は、町の宝だと強く思った。
慎さんは言う。
「町の蕎麦屋というのは、ふらりときて楽しめるのがいいんです。蕎麦前だって本来は気を衒ったものではないんです。蕎麦の具材である蒲鉾、卵焼きを単独で楽しむものなんです。
田舎から親戚が上京してきたら蕎麦屋から"店屋物(てんやもん)"をとる。銭湯帰りに立ち寄る。そんな日常なんですね。週刊漫画雑誌の発売日に、店に置いてあるそれを読みながら食べるのを楽しみにしている人もいたり。恋人の家に遊びにきたけれど台所が充実していないから、その日は大野屋で食事をする。そんな店なんです」
さらに嬉しそうにおっしゃったのが
「冠婚葬祭でね、代々木八幡宮で挙式をした後に、うちで会食をしてくださることもあるし、お店で結婚式を挙げる方もいるんですよ」
生活に密着したなんでも屋であるのが町の蕎麦屋であり、それを変えたくない。地域に根ざした蕎麦屋でありたい。そうおっしゃる慎さんの、お客さんを出迎える眼差しは温かい。
あたしもそんな客の一員になるべく、「大野屋」の美味いもんを食べ呑み進める。
まずは「おまかせ 季節のおつまみ五点盛り合わせ」、ひとり呑み用の限定メニュー。品のある出汁が煮含まれた「冷なす 出汁おひたし」、1ヶ月熟成された自家製玉ねぎドレッシングがかかった「フルーツトマト」、しっとり食感と胡麻のコクたっぷりの「自家製塩麹の蒸し鶏 自家製胡麻野菜ソース添え」、蕎麦出汁たっぷり江戸前な味わいの「厚焼き玉子」、マデラ酒を入れて塩茹でされた「生落花生 塩茹で」は千葉・四街道のおおまさりだ。大野屋スペシャリテで"万能つまみ"の「里芋鶏味噌チーズ」は、クリームチーズのコクにいぶりがっこの燻製香、鶏味噌の旨味と、食べるほどに様々な味わいが広がっていく。日本酒にもワインにもテキーラにも合わせてみたくなるのだが、アラックにもピッタリだったのはさすが。

*おひとりさま限定メニュー
「新さんま塩焼き」は、まるで名刀のようなオーラを放ち、脂のノリも秀逸。根室産の秋刀魚だ。とくれば、日本酒だ。
呑み頃まで自家熟成をかけてある銘酒揃いの中から、茨城の「剛烈」を頂けば、名前とは裏腹にすっきりとした味わい。香り控えめで後口キリッとドライ。秋刀魚の脂と溶け合う。滋賀「松の司」純米吟醸の生酛の乳酸感も抜群だ。



慎さんの日本酒コレクションにもあたしは絶大なる信頼を寄せている。なぜならば
「四合呑んでこそ、味がわかる」
とおっしゃるからだ。これには大拍手。きき酒の量ではその酒の本質は掴みきれない。その想いへの同志よ!と思っていたら
「そして酔い心地もわかる」
と続けられた。あたしには、その観点が欠落していた、と思わず笑う。
さて締めの蕎麦は信州産 石臼挽き特選更科の「鴨せいろ」。小盛りにしてもらったのだが、それでもなかなかの量。さすが町の蕎麦屋と感服していたところへ合わせるは、テキーラ「G4」のレポサドソーダ割。心地のいいスモーキーさが鼻に抜ける。鹿児島・指宿の特上本枯鰹節の出汁とのユニゾンが素晴らしい。


さすがのペアリングと唸っていたところへ、
「はい」
と一杯のグラスが慎さんから手渡された。チェイサーの水かと思いきや、タイの蒸留酒「ラオカオ」だった。優しい甘味もあり気品のある味わい。
「これはタイ米と黒麹で作られたもので、泡盛の源流なんですよ」

最後の最後まで、酒文化をレクチャーしてくださる慎さん。
「貴方様はお酒を愛しすぎてますね(笑)」
そう心の中で呟きながら、店を後にする。
***
店名 |
そば處大野屋 元代々木町店 |
住所 |
東京都渋谷区元代々木町3-10 |
電話番号 |
03-3467-7513 |
営業時間 |
11:30 - 14:00 17:30 - 22:00(L.O. 21:30) |
定休日 |
土曜昼夜営業 不定休 |
アクセス |
小田急線「代々木八幡」北口より階段を降りてそのまま左へ真っ直ぐ。踏切を渡らず、山手通りの大ガードをくぐってすぐ。約2分。 東京メトロ千代田線「代々木公園」出口1(八幡口)からは、地上に出て右へ。小田急線の駅横の山手通り大ガード下の踏切を渡り正面。約5分。 |