5月13日(水)理髪店にて

 その理髪店は新宿の古びたビルの地下にある。しかも奥まったところにあるので、常連客しかやってこない。よくこれで商売してるよなあと思うほど、いついってもがらがらだ。70代の男性2人がやっている理髪店で、つまり同時にできるのは2人まで。3人目がくると待たなければならないが、そういう事態はめったにない。もう30年もその理髪店に通っているが、そういう事態に遭遇したのはこれまでたった二度だけだ。  こちらも年をとったが、その2人も年を取り、いつも「大丈夫かなあ,やってるかなあ」と思いながら行く。いつ廃業しても不思議ではないのだ。彼らも年をとっているが、客も年寄りばかり。私のように会社をやめても散髪のために新宿まで出かけて聞くといった人たちばかりだ。若い客と遭遇したことがない。  先日も隣に座った客は70代の常連客のようで、しかしこの老人がお喋りだった。こういう客は少ない。私はいつも散髪中寝ているのだが、その睡眠の邪魔になることがまったくないほど静かな店なのである。ところがこの老人は新宿にきたのが久しぶりだったようで、テンションあげあげ。政治から経済、芸能にいたるまで、あらゆることを喋りまくる。  おやっと思ったのは、「きょうよう、きょういく、ちょきんがたいせつなんですよ」と言ったことだ。年をとったらこの3つが大切なんだという。貯金はわかるが、どうして教養と教育が大切なんだ?  すると,今日用があること、今日行くところがあること、だという。なるほどね。だから「きょうよう」と「きょういく」なんだ。そして、そういうふうに外に出かけるためには金が必要だから貯金が大切ということか、と思ったら、最後も違っていた。「貯金」ではなく「貯筋」だというのだ。ようするに筋肉をためること。歩くためには筋肉がしっかりしていなければだめだというのである。  結婚式のスピーチの定番である「3つの袋」のような話だが(しかし定番というわりに一度も聞いたことがないぞ)、何かの本で読んだことの受け売りのような気がする。本当にこの老人が考えたことかどうかは疑わしい。そうは思うのだが、妙に耳に残ってしまうのである。「きょうよう」も「きょういく」もあるけれど、「ちょきん」はないなあと振り返るのだ。