第5話 2026年の祇園祭

 葵祭と祇園祭と時代祭を「京都三大祭」というけれど、祇園祭は規模も期間も、そして京都人の関心や盛り上がり方も、ほかのふたつに比べて突出している。
 祇園祭は7月1日から始まって月末まで1か月間も続く。でも、6月からあちこちでその話題を目にする。6月の初めに長刀鉾のお稚児さんが発表される。7月17日の山鉾巡行で先頭をいく長刀鉾に乗るお稚児さんだ。5月15日の葵祭のころから、「今年のお稚児さんは誰だろう」という話題が出てくる。それは単純な興味だけでなく、「もしも商売などでつき合いのあるところの坊ちゃんが選ばれたら、お祝いをもっていかなければならない」という切実な事情もある。お祝いを届けるときは紋付き袴が必須と聞いたこともあるけれど、ほんとうだろうか。
 2026年のお稚児さんは長谷航太郎君だった。ノートルダム学院小学校3年生。どこの学校かというのも関心事のひとつだ。2025年のお稚児さん、久保堅人君は同志社小学校だった。──そういえば京都の家の前所有者は、お子さんを御所南小学校に通わせるために、学区内にあるこの家を買ったのだが、同志社だったかノートルダムだったかに合格したため不要となり、いちども住まないまま売りに出したのだった──
 長谷航太郎君は長谷ビル社長の息子さんである。長谷ビルは京都市のオフィス街、烏丸通にたくさんオフィスビルを持っている。イメージとしては森ビルの京都版みたいな感じの会社で、京都人なら誰でも知っている。新聞によると、航太郎君のおじいちゃん、長谷ビル会長の長谷幹雄さんも幼いときに稚児を経験したそうで、そのことも話題になった。航太郎君はおじいちゃんが70年前に着た衣装を纏ったそうだ。
 稚児決定の発表以降、稚児が八坂神社にお参りしたとか、結界のしめ縄を切る練習をしたとか、なにかと稚児の話題が新聞に載る。稚児のこと以外にも、どこそこの山鉾は装飾品を修理したとか新調したとか、そういうことも話題になる。ぼくが二拠点生活を始めたばかりのころは大船鉾が復活して大変な話題になったし、最近は鷹山が復活してこれまた注目を集めた。
 7月1日から四条通や寺町通で祇園囃子が流れ、旗や垂れ幕が掛けられる。あちこちの店ではお神酒札が貼られる。7月2日は山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が京都市議会議場でおこなわれ、結果を発表。これも一番くじを引いた人のコメントなどとともに新聞に載る。9日から前祭の山鉾を組み立てる山鉾建てが始まる。長刀鉾をはじめ巨大な山鉾が少しずつ姿をあらわし、四条烏丸界隈を歩いていると気分が盛り上がってくる。
 山鉾が完成し、7月14日から宵山だ。巡行の前夜祭みたいなものだが3日間続く。14日から厄除けのお守りである粽の授与も始まる。浴衣姿の子供たちが「粽、どうどすか」と声をそろえて打っている。
 以前はぼくも宵山がはじまると山鉾見物に出かけていた。山鉾を眺め、巡幸のときに載せられる御神体を会所で拝み、山鉾町のお宅がご自慢の書画骨董などを披露する屏風祭を格子ごしに覗いて回った。でも去年、2025年は猛暑に負けて断念。そして、今年26年もあきらめた。
 しかし、宵山見物はあきらめても粽はほしい。粽のない玄関なんて考えられない。ぼくが好きなのは聖徳太子を祀った太子山である。昔から聖徳太子が好きで、聖徳太子が印刷された紙をコレクションしていた(という冗談が伝わるのは何歳以上だろう)。御利益は知恵(学問成就)と厄除けだ。
 太子山の御神体は、大阪の四天王寺を建てるための木材を探し、杉の木に斧を入れる、まだ少年である聖徳太子。お寺の材料を探しているのだから、御神体じゃなくて御本尊というべきか。粽には杉の葉が飾られている。粽の授与が始まるのは午前10時。太子山はわが家から一番遠いところにある山鉾で、徒歩で1時間弱かかる。ぼくは宵山初日、14日の9時に家を出て油小路仏光寺の太子山に向かった。朝から暑い。9時45分に到着すると、神主が御神体の前でお祓いをしているところだった。ぼくも太子山の町内の人々にまじって、ちゃっかりお祓いを受けた。なんだか得した気分だ。10時、一番乗りで粽をいただいた。
 帰りは木賊山や船鉾、鶏鉾、月鉾、函谷鉾、長刀鉾などを眺めながら歩く。長刀鉾の粽を求める行列が長く伸びていた。太子山の粽をいただいたので、六角堂にもお参りする。聖徳太子が伐った杉で建てたと伝わるお寺だ。
 7月17日は前祭(さきまつり)の山鉾巡行。山鉾は午前9時に四条烏丸を出発して東に進み、河原町通を北上し、御池通を西へ進む。ゴールは新町通。二拠点生活を始めたばかりのころは河原町通御池の角や、四条河原町交差点で巡行を見ていた。いちばんの見所は山鉾が方向転換する「辻回し」だと聞いていたからだ。たしかに高さ25メートル、総重量12トンの大きな鉾の進行方向を90度変える一連の動きは迫力がある。とはいえ猛暑のなか、そして東京のラッシュ時の通勤電車内並みの人混みのなか、じっと立ったまま見ているのはかなりつらい。毎年、救急車で運ばれる人が出るのもわかる。今年は25人が救急搬送されたらしい。
 そこでぼくたち夫婦は、歩きながら山鉾巡行を見ることにした。まずは京都市役所前の河原町御池交差点へ。道路は閉鎖されて横断できないので、地下街を通って御池通の南側に向かう。地下街には京都橘大学の社会人向け教養講座「たちばな教養学校Ukon」の巨大看板があり、学頭の河野通和さんの顔がドーンとある。中央公論社で「婦人公論」「中央公論」の編集長を、新潮社で「考える人」の編集長をつとめ、「ほぼ日の學校」の校長をつとめた河野さんだ。河野さんに見送られるようにして階段を上がると、ちょうど行列の先頭、「祇園会」の幟を持った道彦(というのかな)が来たところだった。角から少し下がったアンジェの前あたりで長刀鉾を見る。アンジェはふたば書房が経営するおしゃれな雑貨店だ。ここからだと稚児とサポート役の禿たちの様子がよく見える。アンジェの2階・3階の窓からはどうだろう。
 以前は祇園祭にしても葵祭にしても写真を撮るのに夢中だった。昨年あたりからは写真はあまり撮らず、双眼鏡で山鉾や人びとをじっくり見るようになった。鉾の真ん中に立つ柱を真木(しんぎ)というが、その上の方、先端の鉾頭の少し下に天王台があり、人形が立っている。この人形は鉾によって違っていて、これを観察するのも楽しい。
 長刀鉾に続いて今年のくじ一番の郭巨山(かっきょやま)。極貧の郭巨が子供を捨てようとしたら、土の中から黄金の釜が出てきたという伝説にもとづく山で、鍬を持ってびっくりしている郭巨と、花と団扇を持った童子の人形が御神体だ。以下、占出山(うらでやま)、山伏山、函谷鉾(かんこほこ)、油天神山と続く。
 河原町通の歩道は見物客でいっぱいだが、歩けないほどではない。人にぶつからないようゆっくり歩き、ときどき立ち止まって山鉾を見る。粽をいただいた太子山は、丸善が入るBALの向かい側で見物する。
 月鉾や鶏鉾、菊水鉾など、大きな鉾が停止した状態から動き出すとき、鉾の前に乗った音頭取りが「えんやらやー」と扇を振って声をかける。するとギシギシと音を立てながら鉾が動き出す。見物客から拍手が起きる。
 四条河原町交差点に近づくと混雑が激しくなり、警察官が「立ち止まらないでください」と叫んでいる。ときどき羽を広げるカマキリを載せた蟷螂山を見送って、四条河原町交差点から四条を西へ向かう。いくぶん人の数は減り、余裕を持って歩ける。四条通の店から流れ出る冷気も涼しい。夫婦和合の芦刈山、くじ取らずの放下鉾・岩戸山を見送り、柳馬場の交差点で最後の船鉾を見送る。これで前祭の巡行見物はおしまい。
 でも、祇園祭はこれで終わらない。まだまだ続く。17日の夜、御神輿が八坂神社を出発して四条河原町の御旅所に向かう。直線距離にすると1㎞ほどだが、中御座・東御座・西御座の3つの御神輿プラス子供神輿の東若御座が、東大路・二条・寺町通・松原通の4本の通に囲まれた内側を、それぞれ複雑に曲がりながら「ほいっと、ほいっと」と練り歩く。神幸祭という。
 この御神輿が祇園祭の主役で、山鉾は御神輿の露払いのようなもの。山鉾巡行だけ見て京都の人に「祇園祭を見た」というと、「それはよろしおしたな。で、御神輿も見はった? 見てへん。あちゃー、そら残念でしたな。御神輿が祭の主役で、いちばん見事なのに。わざわざ東京から来て御神輿を見んとは、それは残念やったなあ。ああ、残念やなあ......」とむちゃくちゃ嫌みったらしくいわれることがある。
 もっとも、京都生まれの京都人は「宵山見物は高校生のころ行ったっきり。山鉾巡行はテレビで観るだけ。暑くてよういきまへんわ。御神輿? 何年も見てへんなあ」という人が多い。ぼくも御神輿は何年か前に2度ほど見ただけだ。中御座と西御座が通る寺町二条のあたりまでわが家から歩いて5分だから行けないことはないが、たしか通過時刻は夜の10時ごろで、もうその時間にはベッドに入っている。御神輿は24日の後祭まで四条河原町の御旅所に置かれる。神幸祭を見なかったかわりに、御旅所の御神輿を拝みに行く。
 前祭が終わると後祭の準備が始まる。18日から山鉾建が始まり、20日に引き初め、21日から後祭だ。ただし前祭のように四条通や烏丸通を歩行者天国にして屋台が並ぶことはなく、山鉾と屏風祭だけを見る静かな宵山だ。静かでいくぶんもの悲しさもあり、「後の祭り」の語源ともいわれる(ほんとかなぁ)。
 猛暑に負けて後祭の宵山見物にも行かなかった。でも、23日は下鴨神社の「みたらし祭」に行った。この話はまた別の機会に。
 24日は後祭の山鉾巡行。前祭の23基に対して後祭は11基と少なく、こぢんまりした感じだが、こちらの方が好きだという人もいる。巡行コースは前祭と反対。9時半に京都市役所前へ行く。以前はくじ改めという儀式を市役所の向かい側で見ていたが、この暑さではじっと立っていると頭がクラクラしてくる。コロナ以降は日陰を探して歩きながら見ている。前祭と同じく双眼鏡で細部を観察する。
 御池通の寺町交差点に行くと、ちょうど先頭の橋弁慶山が来るところだった。五条大橋で牛若丸と弁慶が戦う場面が御神体なのだが、牛若丸の右足が後ろにピョンと跳ね上がっているのがかわいらしい。五条大橋には牛若丸と弁慶の石像があり、こちらは京人形ふうだ。しかも弁慶はフルチンで、ぼくは五条大橋を通るたびに「今日も弁慶はフルチン!」と叫ぶ。
 山鉾は北観音山、鯉山(御神体の鯉がリアルで怖い)、八幡山、浄妙山と続く。北観音山と南観音山は、名前こそ山だけれどもほとんど鉾の形態だ。真木があって、お囃子の人びとが乗り、ギッシギッシと音を立てながら進む。双眼鏡で南観音山の屋台を覗くと、大きな観音様の顔が見えた。
 巡行とは逆方向に、御池通を西に歩きながら見物する。去年はクマゼミがうるさく飛び交っていたが、今年は少ない。
 外国人観光客も多いが、反応はさまざまだ。熱心に見ている人もいれば、巡行に背を向け、「なんでこんなもの見なきゃいけないのよ」とでもいうような不機嫌な表情でベンチに座る欧米系の若い女性もいた。市役所前には有料観覧席も設けられているが、日傘は禁止されているようで、この猛暑では過酷だ。空席も多い。
 2022年に約200年ぶりに復活した鷹山は、くじ取らずの10番目。つまり最後から2番目。ぼくが二拠点生活を始めたころは、宵山に御神体と装飾品が展示され、「復活しますよ」とアピールしていた。鷹山の町内で育った知人は「子供のころから、大人たちは復活するといっていたけど、まさか現実になるとは思ってなかった」そうだ。それだけに22年の後祭は大いに盛り上がった。鷹山の関係者には飲食業の人が多いそうで、ときどき行くインド料理店「ムガール」のオーナー、平田幸秀さんの姿も見える。平田さんは辻回しのとき、車輪の下に棒を入れて方向転換する役割。
 最後尾は大船鉾。つい「おおふなほこ」といってしまうが、「おおふねほこ」。こちらもくじ取らず。きらびやかな装飾品を纏った巨大な船が御池通を東に進む。何度見ても壮観。禁門の変で焼失してからお休みしていたが、2014年に復興した。毎年7月、大丸1階のショーウィンドーには大船鉾の舳先につけられる黄金の龍頭が飾られる。今年もぼくは見に行った。
 柳馬場通との角で大船鉾を見送る。これで今年の祇園祭も終わったなあ......と思いそうになるが、まだまだ終わらない。24日は山鉾巡行のあと花傘巡行があり、夜には御神輿が八坂神社に帰る。17日とは逆に、御旅所を出発して「ほいっと、ほいっと」と夜遅くまで練り歩くのだ。28日の夜は御神輿の飾りを四条大橋の上で祓い清め、31日は八坂神社境内にある疫神社で夏越祭。これでようやく祇園祭が終わる。京都の夏が本格的に始まる。

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