第6話 みたらし祭に行く
前回、2026年は猛暑に負けて祇園祭の宵山見物に行かなかったけれど、下鴨神社の「みたらし祭」には行ったと書いた。今回はそのみたらし祭について。
実は最近までみたらし祭を知らなかった。去年、2025年の初夏、美容院で髪を切ってもらいながら祇園祭の話になった。美容師さんは京都市のとなり町、日向市の出身だけど、通っていた高校は最近までわが家の近所にあった銅陀高校という美術系の学校だったし、現在お兄さんと経営している美容院と理容院は京都の街なかにある。現在の住まいも街なかのマンションで、京都事情にたいへん詳しい。
ちなみに銅陀高校は正式には京都市立銅駝美術工芸高等学校といったが、2023年に京都駅の近くに移転して名称も京都市立美術工芸高等学校に変わった。前身は1880年に開校した京都府画学校で、日本で最初に設立された画学校だ。場所も名称も何度か変わり、1980年に鴨川右岸竹屋町通に移って銅駝美術工芸学校になった。この場所にはかつて銅陀中学校があり、さらに戦前は番組小学校の銅陀小学校があった。このエリアを銅陀学区という。京都駅近くに移転するとき、卒業生たちからは銅陀高校の名前のままにしてほしいという声もあったそうだが、「銅陀」は平安京の「銅陀坊」に由来する土地の名前なので、現在地には持って行けないということだった。
銅陀高校の卒業生は綺羅星のごとく。漫画家のみなもと太郎、『宇宙兄弟』の小山宙哉、マルチアーティストの三代目魚武濵田成夫、シンガーソングライターのつじあやの。画学校時代の卒業生まで含めると、草間彌生も加山又造も上村松篁も堂本印象もこの学校の出身だ。
話をもとにもどす。
美容師さんから「祇園祭はどうされてますかぁ」と訊かれて(京ことばのイントネーションが文字だとうまく伝わらない)、毎年、宵山見物に出かけること、太子山か山伏山の粽をいただくこと、山鉾巡行は歩きながら見るようにしていることなどを話した。美容師さんは、「マンションの前を山鉾が通るのに、いつも仕事やから見たことないんです。子供のときくらいかなあ、間近で見たのは。でも、下鴨神社のみたらし祭は行くようにしてるんですよ。もしかしたら、祇園祭より好きかもしれない」と笑っていた。
そのときは「へえ、そうなんですか」と言っただけけれど、あとで気になって調べてみた。
下鴨神社のサイトを見ると、「みたらし祭は自身の罪穢れを祓い、一年の無病息災をお祈りする神事」だとある。「あしつけ祭」ともいうらしい。
下鴨神社は正式名称を賀茂御祖神社(「かもみおやじんじゃ」とよむ。ぼくは「かもみそじんじゃ」だと思っていた)には東西の本殿のほかにたくさんの小さな神社がある。そのひとつが本殿の隣の井上社だ。井戸の井筒の上に祀られているから井上社という。社殿の前に御手洗池(みたらしのいけ)がある。池といっても、浅くて小さい水たまりだ。
ふだんの御手洗池は「水みくじ」の場所である。授与所で300円也を払って無地の紙を受け取り、それを御手洗池の水に浮かべると、あーら不思議、文字が浮かんできて運勢がわかるというもの。そういえば、まだ水みくじを引いたことがない。
この池がいろいろと活躍する。たとえば3月3日、雛祭りの日には、「流し雛」がおこなわれる。二拠点生活を始めたばかりのころ、流し雛を見に出かけたことがある。「川に雛人形を流すらしい」というはなはだ曖昧な知識だけを頼りに、下鴨神社周辺の川を覗いて回った。浅草橋の老舗人形店に飾られているような大きな雛人形がどんぶらこどんぶらこと流れていくイメージを抱いていたのだが、そんな光景はいくら探しても見つからない。
「どこにも雛人形なんて流れていないじゃないか」と文句をいいながら楼門を入ると、人だかりがしている。近寄ってみると御手洗池で流し雛がおこなわれているのであった。実際の流し雛は浅草橋のひな人形とはほど遠く、藁を丸く編んだ舟の上に素朴な男雛女雛の人形を乗せたもの。これを御手洗池に浮かべるというもの。これが雛祭りのルーツだというが、ほんとか?
葵祭のときは、この御手洗池で斎王代が儀式(禊の儀)を行い、立秋の前夜には裸の男たちが矢を奪い合う「夏越神事(矢取り神事)」がおこなわれる。どちらもまだ見たことがない。
で、この御手洗池の水に足をつける行事がみたらし祭、別名「足つけ神事」なのだった。
下鴨神社のサイトには「御手洗池は、7月の土用になると池の周辺や川の底から清水が湧き出るところから、鴨の七不思議にかぞえられます」とある。ほんとか?
ちなみに、この御手洗池の清水が湧き出るときの泡をかたどったのが「みたらし団子」の由来だという。後醍醐天皇が御手洗池で水をすくうと、泡が1つ浮いて、すこし間をおいて4つ浮いたのだそうで、みたらし団子は串に刺した5つのうち1つだけほかと離すのが正しいらしい。下鴨本通に「加茂みたらし茶屋」がある。
というわけで、25年の7月、ぼくと妻は初めてみたらし祭に行ってみた。これが気持ちいいのなんの、楽しいのなんの。自然と笑いがこみあげてくる。妻は「もう、やみつきになりそう」と言っていた。
今年、26年は7月23日、後祭山鉾巡行の前日、みたらし祭に出かけた。後で知ったことだけど、この日の京都市の最高気温は39.7度。二十四節気の「大暑」でもある。
お昼ごはんを食べてから、猛暑の中を下鴨神社へ向かう。丸太町通から鴨川右岸を歩く。日差しを遮るものがないので暑い。それでも対岸ではベンチで日光浴をしている人がちらほらいる。命知らず!
加茂大橋をくぐると、賀茂川と高野川の合流ポイント、通称鴨川デルタ周辺で遊ぶ人たちが見える。
出町橋に向かうゆるやかな坂を歩いていると、前方から猛スピードで自転車が走ってきた。乗っている中年男が「危ない! 危ない!」と叫んでいる。危ないのはオマエじゃあ。ブレーキを使え、ブレーキを。慌てて除けた脇をすり抜けていく。「ごめんなさい」のひとこともない。思わず「こらぁ」と叫んだ。
京都では自転車について嫌な思いをすることが多い。歩道を走るなとはいわない。でも歩道を走るなら時速5キロ以下にしてほしい。ちゃんとブレーキを使え。5キロ以上のスピードで走るなら車道に行ってくれ。
出町橋を渡って糺の森(ただすのもり)の参道に入る。涼しい! 気持ちいい! 森は偉大だ、樹木は偉大だ。縄文時代から生き続ける原生林で、広さ3万6千坪。みたらし祭なので参道には屋台が並び、たこ焼きやきゅうりの1本漬けやベビーカステラを売っている。むかし懐かしい金魚すくいもある。
8月にはこの参道で京都3大古本まつりのひとつ、「下鴨納涼古本まつり」が開催される。あとの2つはゴールデンウィークごろに岡崎のみやこめっせで開催される「春の古書大即売会」と、文化の日ごろに百万遍知恩寺境内で開催される「秋の古本まつり」だ。
南口鳥居、楼門、中門をくぐって東西の本殿にお参りする。本殿の手前にそれぞれの干支の神さまを祀った言社(ことしゃ)がある。妻もぼくも戌年なので三言社にお参りする。
中門を出て、いよいよみたらし祭へ。テント内の受付で献灯料ひとり500円也を納める。台に置かれたポリ袋を1枚取って、靴脱ぎ場で脱いだ靴と靴下を入れる。その奥に進んで先端にろうそくが刺さった20センチほどの棒を受け取り、御手洗川へ向かう。
朱塗りの輪橋(そりはし)の下、水坂から御手洗池に入る。輪橋のたもとに紅梅があり、春先には見事な花をつける。尾形光琳の『紅白梅図屏風』のモデルだというけど、ほんとか?
池に足をつける。水が冷たい。池の底の石がゴロゴロした感触も加わってくすぐったい。自然と笑ってしまう。水深はいちばん深いところで膝下くらいか。ぼくの短パンがぎりぎり濡れないくらい。みんなキャーキャー言いながら進んでいく。楽しそうだ。転ぶと悲惨なことになるので、ゆっくり慎重に歩く。
井上社の手前にろうそくを納める台がある。ろうそくに火をともして献灯。手を合わせる。
水の中にジャブジャブと足をつけるのだから、身の穢れを徹底的に祓っている感じがする。ついでに水虫も祓われるだろう。この季節になると鴨川に足をつけて涼んでいる人を見かけるが、きっとあれも気持ちいいのだろうな。
すっかり祓われた気分になり、池から上がって靴履き場へ。ベンチに腰掛け、持ってきたタオルで足を拭いて靴を履く。ここで休憩しないようにという掲示があるのに、のんびりおしゃべりしている人びともいる。中高年が多い。
地下からわいたというご神水をいただく。紙コップで飲むセルフサービスのご神水と、焼き物の器に汲んで渡してくれる有人のご神水があって、ぼくは両方いただいた。冷たくておいしい。
井上社にお参りする。小さな黒い石が樽の中に入っていて、これは子供の「かんの虫」を封じる御利益があるそうだ。わが家に子供はいないが、ときどき不機嫌になる老人にも効果があるだろうか。この石は毎年取り替えるものだそうで、ぼくも持ってきた去年の石を右横の樽に納め、新しい石をいただいた。
西の参道から下鴨本通に出ると、向かいの加茂みたらし茶屋に長い行列ができていた。みたらし団子を食べるのだろう。ぼくらは団子ではなく、ナカガワ小麦店で食パンを買って帰った。
みたらし祭に行った数日後、寺町通のギャルリー宮脇で一保堂茶舗の大女将、渡辺都さんと作家のいしいしんじさんのトークイベントが開催された。京都を描いた洋画家、井澤元一の展覧会に関連してのもの。テーマは京都についてなのだけど、都さんは山陰の出身でいしいさんは大阪の出身。京都生まれではないふたりが、京都生まれの画家について語るところが面白かった。
客席の最前列にいたご婦人は80歳ぐらいに見えたが、京都以外に住んだことがなく、現在は下鴨神社の近くに住んでいるとのことだった。「あしつけ祭も最近は観光化されてしまって人が多くて......。昔はもっと静かなものでした。最近は行きません」といっていた。京都に移住しても観光客気分が抜けないぼくとしては、いささか申し訳ない気持ちがした。でも、きっと来年もみたらし祭に行くだろう。
