【今週はこれを読め! ミステリー編】千年にわたる歴史ミステリー連作集〜伊吹亜門『名探偵(あるいは入舟家)の一族』

文=杉江松恋

  • 名探偵(あるいは入舟家)の一族
  • 『名探偵(あるいは入舟家)の一族』
    伊吹亜門
    双葉社
    2,090円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

 特殊設定ミステリーの流行はまだ終わりそうにない。

 でも歴史ミステリーこそが本当に書かれるべき特殊設定ミステリーだと思う。伊吹亜門『名探偵(あるいは入舟家)の一族』(双葉社)を読んで、その思いをまた新たにした。

 本作は日本史の中で、目立たないが他になり手のいない務め、つまり探偵役を担ってきた、入舟家という架空の一族を軸とした連作短篇集だ。いちばん古い話は9世紀、つまり平安時代で、最終話は1990年代だから千年以上の長きにわたる物語ということになる。

 伊吹のデビュー作は2015年に第12回ミステリーズ!新人賞(現・創元ミステリ短編賞)を受賞した短篇「監獄舎の殺人」で、2018年に同作を含む短篇集『刀と傘 明治京洛推理帖』(『刀と傘』と改題して現・創元推理文庫)が初の著書として刊行された。以降、主に近世や近代を舞台とした歴史・時代ミステリーの書き手として活躍している。本書ではそれ以外の時代も扱っているので、興味を持って読んでみた。

 巻頭に置かれている「遣唐使船は西へ」が前述の最も時代設定が古い作品で、入舟家の一族は遣唐使准判官・入舟清行という人物が登場する。837(承和4)年夏の物語である。那大津(現在の博多)から出航した遣唐使船団の一隻が他の船とはぐれてしまうことから話は始まる。大時化の危機は乗り越えたものの、後に待っていたのは水と食料の不足であった。船上の人々に不安が広がっていく中、水死した船長の代理を務める入舟清行を一人の僧が訪ねてくる。比叡山の老僧・円然である。人々の不安を鎮めるために、自分が法話を行おうという。清行はそれに縋ることにした。人心は一触即発のところまで来ていたのである。

 円然が皆を集めて話をすると、驚くほどの効果があった。ひとまず崩壊の危険は乗り越えたのだが、肝腎の円然は健康が優れない。清行は僧のために申し出て、自身の船上屋形を使ってもらうことにした。しかし、その中で円然は骸になってしまうのである。

 発見された死体は、首に見紛うことのなき扼殺痕があった。しかし屋形の入口には円然の弟子僧が夜通し立っており、誰も中に入ることはできなかったはずなのである。ではどうやってその者は中に入れたのか。また高僧がなぜ殺されなければならなかったのか、ということが興味の中心となる。

 日本史においては古代後期といえる平安から中世前期の鎌倉時代を舞台とする作品は多く書かれている。その多くは京の都や幕府の置かれた鎌倉が舞台である。平安貴族たちは死の穢れを忌み、陰陽寮を中心にそれを回避するための思想体系を作り上げていた。〈探偵は御簾の中〉シリーズ(講談社タイガ)の汀こるものや、〈歌人探偵定家〉シリーズ(東京創元社)の羽生飛鳥といった作家たちは、死穢に代表される、この時代特有の精神性を推理のための重要なパーツとして用いて、現代とは違う世界のありようを見事に活写している。本作「遣唐使船は西へ」もまた、9世紀のこの時代だからこそありえる犯罪の姿を描くことに成功した短篇なのだ。

 次の「黒樂茶碗 朧」は堺政所の要職に就いている入舟清成が主役で、安土桃山時代の物語である。本篇は次々に語り手が代わって証言を行うという形式で書かれており、清成がその聞き手である。ある茶器が壊された経緯について清成は調べているのだが、最後にはある高名な人物の前に彼が現れ、自説を申し述べる。これも、中央集権体制が完成しつつあった時代背景を如実に反映した物語である。三話目の「霧の岬の男」は1849(嘉永2)年というから幕末の話である。知多半島に奇妙な水死体が漂着する。腐敗しきって人かどうかさえわからないという始末で奇怪極まりない。この一件を調べるため江戸幕府から遣わされてくるのは、書物奉行・入舟清光なのである。事件の背景には幕末期の動乱が影響を及ぼしていることを示してこの話は終わる。

 以上見てきたように、どの話も時代の影なくして語れないような内容になっている。同じ国、同じ土地にいるからといって、人間の心がずっと変わらないわけはない。社会のありようによっていくらでも違う形になっていくものなのだ。現在では常識と思われる事柄も、実は歴史の浅いものであることもある。そうした社会と個人との関係を、複数のエピソードによって炙りだした作品として読むことも本書は可能であろう。

 全5篇が収録されている。最後の2篇は昭和期に入ってからの物語だ。4話目の「大洋を震わす」は、海軍少佐の入舟清四郎という人物が敗戦直後に起きた奇妙な出来事について、その遺族に対して出した手紙という形式をとっていて、その間に彼が話題に出している那智鳩平中尉の日記が含まれている。

 題名からおわかりになる方も多いと思うが、本作で扱われているのは特攻艇震洋である。物資不足の折からベニヤ板で組み合わせたモーターボートで、その中に爆弾を積んでいる。夜陰に紛れて接近してくる敵艦に特攻するのである。太平洋岸の各地に配備されており、私もその基地跡を見たことがある。軍事用の施設とは思えないほどに粗末なもので、急作りの惨めさを感じさせた。そうした拠点の一つが愛知県の知多半島にあり、入舟清四郎は第147震洋特攻隊の隊長を務めている。そのまま8月15日の終戦を迎えたのだが、部隊に異変が起きた。那智中尉が震洋にて洋上特攻をかけ、爆死したのである。戦争が終わったことはもちろん承知していたはずで、なぜそんな行動に出たかという謎が提示される。

 この短篇についても、当時の時勢などを知っているのと知らないのとではだいぶ味わいが異なるように思う。ある歴史的事実を背景にしていることが終盤でわかり、感心した。この当時の人々がどんな感情を抱き、どのように自分の未来を見ていたかということがもし今伝わりにくくなっているのだとしたら不幸なことである。ぜひ一読いただき、死者たちの境遇に思いを馳せてもらいたい。

 最後の「魚棚家の崩壊」はぐっと現代に近くなっている。1997年だからすでに平成期だ。今回は入舟清乃という女性が主役を務める。彼女はあまり売れていないミステリー作家で千葉県の内房で起きた二重変死事件の謎に取り組むことになる。一つは旅館で開発業者が首を縊って死んだ事件、もう一つはその翌日、依頼人の義父が高台から転落死を遂げた事件である。現代の話としても読めるのだが、昭和における日本の歴史的負債が影を落としていることは明らかで、前話の「大洋を震わす」と続けて読まれることが望ましい。横溝正史的な旧家の一族に伊吹が挑戦した作品として珍重しつつ読んだ。

 本短篇には横溝正史の某作を思わせる幕切れが配されている。それから想像するに、入舟清乃の登場する作品を作者はこれからも書いていくようである。歴史を背負った家系の探偵がどのような活躍をするのか、楽しみに待つことにしたい。できれば毎回本作のように、知っているつもり、あるいは知らなかった歴史を事件の一部として書き込むような作品であると嬉しいのであるが。

(杉江松恋)

  • 刀と傘 (創元推理文庫)
  • 『刀と傘 (創元推理文庫)』
    伊吹 亜門
    東京創元社
    814円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿 (講談社タイガ ミE 1)
  • 『探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿 (講談社タイガ ミE 1)』
    汀 こるもの
    講談社
    792円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 歌人探偵定家: 百人一首推理抄 (創元推理文庫)
  • 『歌人探偵定家: 百人一首推理抄 (創元推理文庫)』
    羽生 飛鳥
    東京創元社
    924円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

« 前の記事|杉江松恋TOP|バックナンバー