【今週はこれを読め! ミステリー編】常に走り続けるスリラー〜今村昌弘『0秒前の彼女』

文=杉江松恋

  • 0秒前の彼女
  • 『0秒前の彼女』
    今村昌弘
    双葉社
    1,980円(税込)
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 今村昌弘は、実は活劇が上手い。

 これは第27回鮎川哲也賞を受賞したデビュー作、『屍人荘の殺人』(創元推理文庫)を読んだときからの一貫した印象だ。

 新作『0秒前の彼女』(双葉社)はその資質を全面に出した作品で、絶えず事態が動き続けるスリラーである。スリルの興趣を与えるだけではなく、知的興奮を味わわせてくれるのもこの作者の抜け目のないところだ。企画段階から映像化を前提としていたらしく、10月から日本テレビ系で原作ドラマ『ハイド&シーク 0秒前の彼女』(福士蒼汰主演)が放送開始している。

 主人公の津倉勇一には恋人である高木紗奈にも言えない秘密がある。彼は公安捜査官なのである。新進政党の協創党を陰ながら支援しているリヴ・コモンズという市民団体があり、津倉はその内偵に従事していた。同団体は活動内容が明確ではなく、公安部として調査の要があったためだ。週刊誌記者を自称してリヴ・コモンズの関係者と会った時に事件が起きる。爆発があり、その建物近くにいた複数名が死亡したのだ。その中にはなぜか、高木紗奈も混じっていた。

 身分を明かさずにその場にいた津倉には爆破犯の容疑がかけられる。恋人を喪った上に窮地に追い込まれた彼に、上司の柊紘一は海外でしばらく事態をやり過ごすように命じた。カンボジアで無為な日々を送って一年が経ったある日、津倉の携帯電話が鳴る。非通知のその着信を掛けてきたのは、紗奈としか思えない声の女性だった。「勇一君、助けて」という切羽詰まった声を残し、通話は切れた。

 警察によって死亡が確認されたはずの紗奈がまさか生きているのか。勇一は密かに帰国し、通話に続いて送られてきた画像を調べて、恋人がいるのかもしれない場所を特定しようとする。紗奈の弟である高木翔太の助けを借りて辿りついた部屋で津倉は男の死体を発見する。傍らのごみ箱には「裏切りは、許されない」との文言が無数に書きなぐられた紙片が山となっていた。

 ここから津倉の逃走劇が始まる。翔太は情報系の知識が豊富なのだが、決定的な武器になるようなものは持ち合わせていない。連絡を取った柊の元から部下が派遣されてくるものの、そのために却って事態は混迷の度合いを増すのである。部屋で殺されていた男は大沼高志という刑事だった。警視庁捜査一課の刑事である江田哲夫は、爆破事件の犯人である津倉が大沼をも殺害したと考え、復讐の念に燃えて追ってくる。

 明かしていい展開は以上だろう。逃走劇であるだけではなく、終盤には時限を切られた使命を達成しなければならない展開まであり、最後まで話が転がり続ける。

 感心させられるのは、確かな足場というものが津倉にはまったく与えられず、常に走り続けていなければならないように設定されていることだ。出会う人々の誰を本当に信じていいのか、まったくわからない。しかも心の中には恋人と死別したことによる喪失感と、本当は彼女は生きているのかもしれないという一縷の望みにすがる気持ちとが共にあり、狂おしく心が揺れる。ここまで追い込まれた主人公を今村は過去に描いたことがないはずで、まったく新しい試みなのである。そういう主人公だからこそ、可愛がらず、危険な方へ、絶望の淵へと追いやっていく。エンターテインメントの常道を、今村は忠実に守っている。『屍人荘の殺人』中盤のあの展開、『兇人邸の殺人』(創元推理文庫)の生き残りをかけた闘争を読んでいれば、このくらいの技量は備わっているだろうと十分に予想できたことではあるが。

 目まぐるしく状況が変わっていく中、少しも進展せずに残されるのが、高木紗奈は本当に死んだのか、それとも生きているのか、という謎だ。物語の終盤までその興味は続いていく。もう一人重要な女性の登場人物がいる。逃走の中で津倉は、リヴ・コモンズに京佳という女性がいることを知る。彼女の存在が謎を解くための重要な鍵になってくるのである。

 主要な謎が一つあり、その周囲に刑事殺しなどの副次的なものが配置されているという構造である。その中心にあるものがずっと同じ形なのではなく、情報が増えるたび、徐々に問いの形を変容させていくのは作者の工夫である。その周辺にある副次的な謎も、一気に解かれるのではなく、分解された形で少しずつ答えが明かされていく。探偵が関係者を集めて、さて皆さん、と推理を語れるような物語ではない。何しろ津倉は走っていなければならないので、ゆっくりと謎解きをしている暇など与えられないのである。ここも今村にとっては新しい挑戦の一つであっただろう。

 スリラーと上に書いた。物語の構造はそうなのだが、謎解き小説としてのパーツが周到に埋め込まれているので、面白いからと言って速く読みすぎてしまうことは禁物だ。巻頭の「序」には、三行の文章が記されている。文章に傍点が振られているのは、作者が注意を促しているということだろう。

----彼女の言動を思い出せ。/一つたりとも見逃すことなく。/そうすれば、彼女が何者か必ず分かる。

 この文章が何を意味しているかがはっきりわかるのは中盤以降なので、ここでは触れないことにする。読者は最後に自らの頭で謎を解くよう求められることになる。某有名作家の代表作に似た趣向のものがあったことを思い出される方もあるかもしれない。作者が注意を促すとおり丹念に読んでいけば必ず答えは見つかるはずなので、どうぞご健闘を。

 小学生を主人公にして、成長物語とホラーの要素をも謎解き小説に加えた『でぃすぺる』(文藝春秋)、実は笑える小説も得意であると証明してみせた『明智恭介の奔走』(東京創元社)など、ここ数作の今村は何をしてくるか予想がつかない面白さがある。次に書評を書くときにも私は「今村昌弘は、実は○○が上手い」と書くことになるだろうか。どんどん新しいひきだしを開けて、驚かせてもらいたいと思う。

(杉江松恋)

  • 屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
  • 『屍人荘の殺人 (創元推理文庫)』
    今村 昌弘
    東京創元社
    814円(税込)
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  • 兇人邸の殺人 (創元推理文庫)
  • 『兇人邸の殺人 (創元推理文庫)』
    今村 昌弘
    東京創元社
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  • でぃすぺる
  • 『でぃすぺる』
    今村 昌弘
    文藝春秋
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  • 明智恭介の奔走
  • 『明智恭介の奔走』
    今村 昌弘
    東京創元社
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