【今週はこれを読め! エンタメ編】巨額詐欺事件の背後にあるもの〜窪田新之助『岐山の女』

文=高頭佐和子

  • 岐山の女
  • 『岐山の女』
    窪田 新之助
    講談社
    2,420円(税込)
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 大手生命保険会社の保険外交員として、全国的にもトップクラスの実力者。「特別調査役」という肩書きも持つ。祝賀会を開けば地元銀行の行員たちが案内状を配り、有力者たちが発起人として名を連ねて数百人の人が集まる。

 そんな輝かしいキャリアや人脈を持った女性と、長年家族ぐるみで親しく付き合ってきたと想像してみてほしい。何でも相談できる姉のような存在で、助けてもらったこともある。誰より信頼できるその「姉」が、支店長とともに自宅にやってくる。売上トップの外交員だけに与えられるという会社の「特別枠」への投資を強く薦められる。迷ったが彼女の役に立ちたいという思いから、大金を預ける決意をする。

 それが詐欺だったといわれても、何が起きたのかすぐには理解できないんじゃないかと思う。よく知らない人に騙されるよりショックはずっと大きいだろう。人間不信になってしまいそうだ。考えるほど許し難い気持ちになるこの事件を、『対馬の海に沈む』(集英社)でJAの闇に迫った窪田新之助氏が書く。これは読まずにいられない。

 第一生命の保険外交員だった正下文子は、長年の顧客を相手に、総額19億5100万円という金額の詐欺を働いていた。2020年に事件が発覚した時の預金は、339万円だったという。年収だけでも1億円以上あったはずだというのに、なぜ詐欺に手を染めたのか。そして、騙し盗った金はどこに消えたのか。既に89歳という高齢だった正下は、認知症を理由に何も語ることなくこの世を去ったという。著者は事件が起きた山口県に行き、被害者や関係者を訪ね歩き、真相に近づこうとする。

 女性の働く場が限られていた時代に、保険外交員として他人の家庭を訪れ、姉妹のような信頼関係を作り、そこから人脈を繋げていく仕事ぶりが、さまざまな人の証言で描かれていく。たぐいまれな人心掌握術、「山口銀行のボス」との謎めいた関係、銀行内部への得体の知れない影響力......。それらを武器に保険外交員として圧倒的な実績を上げていくさまは、有吉佐和子氏の小説のようにドラマティックだ。

 充分すぎる収入があったはずなのに、信頼してくれている顧客を裏切って嘘の投資話を持ちかけたのはなぜなのか。長い間発覚することがなかったのはどうしてなのか。その不可解さの裏に、昭和から平成までの時代の変化と、生命保険会社と外交員を巡る構造の歪みがある。その中で必死に築き上げてきた居場所が、危うくなっていくことに焦る彼女の姿が見えてくる。

 大きな罪を犯し信用を全て失ったはずなのに、今も彼女を尊敬しているという人がいる。騙すつもりはなかったのだろうという人もいる。不正が発覚した後も、顧客には例年と同じように枝豆が書状付きで送られてきたという。彼女が本当に手に入れたかったものはなんだったのだろう。それは、詐欺という形でしか手に入れられないものだったのか。考え始めると、どうしようもなく寂しい気持ちに心が占領される。

(高頭佐和子)

  • 対馬の海に沈む
  • 『対馬の海に沈む』
    窪田 新之助
    集英社
    2,310円(税込)
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