【今週はこれを読め! エンタメ編】大災害や事件の日に生まれた人たちの物語〜一穂ミチ『希望の子』

文=高頭佐和子

  • 希望の子
  • 『希望の子』
    一穂 ミチ
    文藝春秋
    1,980円(税込)
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 今日は〇〇さんの誕生日なんだよ。

 誰かからそう聞いたら、本人に「おめでとう」という言葉をかけてあげたくなるのが人情というものだろう。だが、その人が生まれたのが大きな災害や事件のあった日であったらどうだろう。一瞬ことばにつまり、何らかのストーリーを勝手に想像してしまうのではないか。

 小学五年生の雪花は、2011年3月11日生まれだ。大阪でお母さんと生活しているが、お父さんはずっと故郷の福島にいて一緒に暮らしたことはない。あることをきっかけに、身体はどこも悪くないのに声が出せなくなってしまった。

 スクールカウンセラーの梢先生は、1995年1月17日生まれだという。震災の日に混乱の中生まれたことで、両親からかけられた期待の重さに苦しんできた事情を、雪花に打ち明けてくれた。雪花が声を出せなくなった出来事にも、生まれた日のことが関係している。梢先生は「誕生日によって生まれながらに何らかの希望を背負わされてしまった人」が集う「反希望クラブ」に雪花を誘う。

 2001年9月11日にニューヨークで誕生した朝海、両親が信仰する新興宗教の教祖と同じ誕生日だった真......。雪花と梢先生を中心に、反希望クラブと関わりを持つ人々の心のうちが連作短編というかたちで描かれていく。記憶の中にある時代の空気と、さまざまな背景を持った登場人物たちの生き方が、繊細に編み上げられていくようだ。特に、人が欲しいと思うものは割と何でも手に入ってきたと自覚している大学生・潤が、天安門事件の日に生まれた中国人留学生と知り合ったことをきっかけに変わっていく「歌うように生きて」が印象に残った。二度と会えないかもしれない相手を、忘れるのではなく思い続けるという生き方と、最後の2行に書かれた切実な気持ちに心をつかまれた。

 互いに大切に思う気持ちがあっても、人の心はどうしようもなくすれ違う。なぜあんなことを言ってしまったのだろうか。どうしてあの時もう少しだけ想像力を持てなかったのか。なぜ気づいてあげられなかったのだろう。読みながら、自身の中にあるいくつもの後悔も思い出さずにいられなかった。

 大切なものを失った時、新しい命に希望を見出すのはごく自然なことなのだと思う。だからこそ、「希望の子」という役割を生まれながらにして背負わされた側が抱える思いに、周囲の人々は気づかない。誰かの希望として生きるのではなく、自分の希望を見つけて前に進んでいこうとする主人公たちひとりひとりを、読み終わった後も愛しく思える一冊だ。

(高頭佐和子)

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