第248回:阿部暁子さん

作家の読書道 第248回:阿部暁子さん

2008年に『屋上ボーイズ』でデビュー、時間を超えた出会いを描く『どこよりも遠い場所にいる君へ』や車椅子テニスを題材にした『パラ・スター』二部作などで話題を集めた阿部暁子さん。幼い頃から物語が好きで、高校時代に歴史の参考書がきっかけで時代ものの短篇を執筆したという阿部さんが読んできた本とは? 新境地を拓いた新作長篇『金環日蝕』の担当編集者との出会いのエピソードが意外すぎます。楽しいお話たっぷりご堪能ください。

その3「高校時代に書いた短篇」 (3/8)

  • 炎立つ 壱 北の埋み火 (講談社文庫)
  • 『炎立つ 壱 北の埋み火 (講談社文庫)』
    高橋 克彦
    講談社
    792円(税込)
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  • 赤の神紋 (集英社コバルト文庫)
  • 『赤の神紋 (集英社コバルト文庫)』
    桑原水菜,藤井咲耶
    集英社
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――小説を書きはじめたきっかけは。

阿部:本格的に書きはじめたきっかけは、歴史の参考書なんですよ。高校受験の時に歴史の参考書を読んでいたら、源義経が藤原秀衡を頼って平泉に落ち延びていくとあり、岩手県民なのに恥ずかしながら「平泉? なんか聞いたことあるな」と思って。母に「平泉って知ってる?」と言ったら、まあ呆れた顔をされて、「車で1時間行ったところにあるでしょ!」って言われて、「え、義経そこにいたの? そこで死んだの?」ってびっくりしたんですね。
 参考書で兄・頼朝に追われた義経が平泉に落ち延び、しかし泰衡に討たれて云々という記述を見た時に、歴史上起きたことの点と点の間がすごく気になったんです。なぜ頼朝は義経を嫌ったの?とか、なぜ泰衡は自分のお父さんが助けた人を討ったの?とか。その「なぜなぜ」っていう興味がきっかけとなり、はじめて書いたのが、頼朝と義経の短篇小説でした。それを全国高等学校総合文化祭の文芸部門に応募したら、入選のいちばん下にひっかかったんですね。それで講評に、「話の展開は安易であったが、作者の筆力を感じた」って書かれてあって。生まれてはじめて自分が書いたものを読んで感想をもらうという体験をしたんですが、あれでもう「小説を書くのって面白いかも」となったんです。

――兄弟の確執とか別れを短篇に仕立て上げたわけですか。

阿部:そうですね。頼朝の義経に対する「嫉妬」とか、それでも消せない義経の兄への「思慕」とか。そういうものに自分が萌えるんだなってはじめて自覚したかもしれません。
 それで、高校総合文化祭の文芸部門に応募するのが毎年のならいとなりました。母のワープロで原稿用紙30枚くらいの短編を1年に1回書いて、高1の時は入選のいちばん下でしたが、2年の時は県で最優秀賞をもらい、それで味をしめてまた書いたら、3年の時は最優秀賞をもらいました。

――全国で1位ってことですよね。すごい。2年生の時と3年生の時は、それぞれどんな内容だったのですか。

阿部:2年の時は、浅井長政と、信長の妹のお市の方と、信長の話です。その頃、時代ものに萌えを感じていろいろと読んでいたんです。本能寺ものを読んだり、高橋克彦さんの『炎立つ』を読んでキュンとしたり。どうも私は、熱い感情がぶつかり合ったり、敵と味方なんだけれども互いに認め合う、みたいなところがすごく好きみたいです。だから北方謙三さんがすごく好きなんです。北方さんの小説って、ハードボイルドが極まっているのに、あんなにキュンとするのはなんでだろうと思います。
 3年の時に書いたものは、ウィーンが舞台でした。宮廷音楽家のおじさんが、身よりのない少年を保護したところ彼にすごい音楽の才能があると気づき、衝撃を受け、嫉妬しまくり、やがては彼が作った曲を自分のものとして発表しようとするけれども、教会でキリストの肖像を見て「神が俺を見ている」と感じて思いとどまる、みたいな話です。当時、桑原水菜さんがコバルト文庫から『赤の神紋』という演劇を題材にしたシリーズを出されていて、それを読んだら、「嫉妬、羨望、しかしそれでも消すことのできない思慕!」みたいな、私の好きなものがいっぱい詰まっていて、ハマりにハマっていたんです。それで自分も人間の強烈な感情を書きたくなったんです。

――そして全国1位となって。小説家になりたいと思うようになったのでは。

阿部:高2までは思っていなかったんです。小説家なんて一握りの才能のある輝ける人しかなれない職業だから夢見るのはやめておこう、って。
 でも全国で最優秀をもらった時に、表彰式に出るために東京に行ったら、どなたか忘れてしまったんですが現役の作家の方が講評してくださって、私の作品についていろいろ話したうえで、「書き続けていたらいつか小説家になるかもしれない」って言ってくれたんです。それを聞いた時に、「そうだ、私、小説家になりたいんだ」って認めた感じでした。
 そんな大事なことを言ってくれた方が誰だったのか、どうして忘れちゃったんだろう...。これが小説なら、知らず知らずのうちに交流を持って、「いつかのあの人はあなただったんですか!」となりそうですが、今でもどなたか分かりません。

――ふふふ。そこから、新人賞への応募もはじめたのですか。

阿部:はじめました。コバルト文庫の賞に応募しました。長篇が対象のロマン大賞と中篇が対象のノベル大賞があったんですが、高校2年生の冬、ロマン大賞に出すために一生懸命母のワープロで書いて、でも感熱紙は駄目なのでスーパーのプリンターでコピーしなくてはいけなくて、締め切りの朝になって学校に行く時間なのにコピーが終わらず、「今日の消印じゃないと駄目なの」って泣きべそをかいている私を見た母が呆れて、「やっておくから学校に行きなさい」って協力してくれて。その日は学校に遅刻しました。

――応募先にコバルトの賞を選んだのはどうしてですか。

阿部:コバルト文庫が好きだったのと、自分が書くものはやっぱり、「小説すばる」などで引き取ってもらえるものじゃないという自覚があったんですよね。でも、コバルトの賞は「なんでもこい」みたいな懐の深さがあったので、それで応募しました。私、有名になったら観阿弥・世阿弥の話を書こうという野望があって、コバルトならそういう話も書けるんじゃないかと思って。それで大学4年になるまで毎年送っていましたが、駄目だったんです。

――そんななか、他に、高校時代に読んで面白かった小説はありますか。

阿部:伊坂幸太郎さんにハマりました。書店でたまたま見つけた『重力ピエロ』を読んで、「こんな話読んだことない、すごく面白い」となり、他の作品も読むようになりました。

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