第248回:阿部暁子さん

作家の読書道 第248回:阿部暁子さん

2008年に『屋上ボーイズ』でデビュー、時間を超えた出会いを描く『どこよりも遠い場所にいる君へ』や車椅子テニスを題材にした『パラ・スター』二部作などで話題を集めた阿部暁子さん。幼い頃から物語が好きで、高校時代に歴史の参考書がきっかけで時代ものの短篇を執筆したという阿部さんが読んできた本とは? 新境地を拓いた新作長篇『金環日蝕』の担当編集者との出会いのエピソードが意外すぎます。楽しいお話たっぷりご堪能ください。

その4「大学時代の読書と作家デビュー」 (4/8)

  • 私が語りはじめた彼は (新潮文庫)
  • 『私が語りはじめた彼は (新潮文庫)』
    しをん, 三浦
    新潮社
    605円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 氷点(上) (角川文庫)
  • 『氷点(上) (角川文庫)』
    三浦 綾子
    角川書店(角川グループパブリッシング)
    704円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

――大学進学で北海道に行かれたそうですね。

阿部:はい。大学の図書館がすごく大きかったので、入り浸っていました。

――北海道の大学、というのは決めていたのですか。

阿部:東北よりも南下すると暑くて生きていけないので、北上する道を選びました。都会に出たいという気持ちもありました。センター試験の後期で受かった他県の大学もありましたが、遠くに行ってみたくてそちらを選びました。

――大学時代の読書生活は。

阿部:やっぱりデビューしたいという気持ちがあったので、いろんな作家さんのデビュー作を読んでいました。ぱっと思い出すのは吉田修一さん。吉田さんの本がすごく面白くて読んでいた記憶があります。

――『最後の息子』とかですか。吉田さんは文學界新人賞出身ですが、エンタメか純文かは気にせずに読んでいたということですか。

阿部:ジャンルは気にしていませんでした。なにを読んだらいいのか分からなかったので手あたり次第気になる小説を読んでいた気がします。
 その頃から三浦しをんさんの小説を読むようになって、端正で柔らかいのに強い感じに憧れていました。『私が語りはじめた彼は』がすごく好きでした。あれは連作短編の形でいろんな話が入っているのに、全体でひとつにまとまっているところがすごいなと思って。あと『秘密の花園』も好きでしたね。

――『私が語り始めた彼は』は、三浦さんの作品のなかでは、なんというか、しっとり系といいますか。

阿部:そうですね。あれがはじめて読んだ三浦さん作品だったので、その後エッセイとかを読んで、明るくてびっくりしたんです。そうした三浦さんのチャーミングな部分と、『私が語り始めた彼は』などのしっとりした面との振り幅に弱いのかもしれません。三浦さんのことは好きすぎて、その後もせんだい文学塾にいらっしゃると聞けば仙台まで聴講に行って、遠くからじっと見つめています。
 大学の時は他に、三浦綾子さんの『氷点』も読んで、あれも衝撃を受けました。サスペンスに触れたのはあれが初めてでした。もしかしたらそのへんで起きてもおかしくないことが丹念に描かれているだけなのに、ものすごく面白くて読むのをやめられなくて。それで三浦綾子さんの本を読むようになって、『塩狩峠』でまた衝撃を受けて。「そこで飛び込むのかお前ー!」って。
 三浦さんと同じにクリスチャンという繫がりで、遠藤周作さんも読みました。高校の時にも『沈黙』を読んでいたんですけれど、大学に入ってから目についた他の作品を読むようになりました。キリスト教徒だからとは一概には言えないですけれど、三浦綾子さんも遠藤周作さんも、人間のどうしようもなく汚い部分と、しかしすごく崇高な部分を描かれるんですよね。その振り幅に魅せられたところがあるかもしれません。

――前に別のインタビューで、『沈黙』に衝撃を受けたお話も聞かせてくださいましたよね。

阿部:はい。それもすごく衝撃を受けました。『沈黙』は、たまたま古本屋で、棚差しじゃなくて面陳で置かれていて、それが運命でした。手に取って裏のあらすじを読んで、「神の沈黙」というテーマに挑んだと書かれてあって。思春期だったので「神様がいるなら、なぜいろいろやってくれないんだろう」と考えたりもしていたので、それで読んだんです。

――大学時代、どのような作品を応募していたのですか。

阿部:歴史ものを送ったこともあれば、普通の高校生たちの話を送ったこともありました。でも駄目でした。
 大学4年生の春、就活も含めていろいろ嫌になり、大学のパソコン室で何も考えずに書きたいように書いた短篇をコバルト文庫の短編新人賞に送ったんですが、そのまますっかり忘れていたんです。そうしたらある日突然、東京03の番号から携帯に電話がかかってきたんですよ。「東京03は詐欺」と言われていたのでそのまま放置していたら、またかかってくるんです。これはと思って電話に出て無言のままでいたら、「もしもし、もしもし」「集英社コバルト文庫の者ですが」って女の人が言うんですね。慌てて「はい!」って返事をして話を聞いたら、短篇小説新人賞に入選したという連絡だったんです。
 それでまた頑張ろうと思って、就活しながら卒論とロマン大賞応募用の原稿を書いていました。

――ああ、就職活動はされたのですか

阿部:しました。当時、根暗な自分がすごく嫌だなって思っていたんですけれど、自分で自分を養えないと餓死しちゃうわけですから、面接に備え、一念発起していろいろやったんです。就活用のセミナーに行ったりして。
 あの時に、自分はその気になれば人とコミュニケーションを取れるんだと発見しました。今こうして普通に喋っていますけれど、当時はこんなことできないような根暗な大学生だったんです。でもその気になれば何とかできると分かったのが、就活での最大の収穫でした。

――では、就職されたのでしょうか。北海道で?

阿部:いえ、地元で。父の体調が悪かったので、母だけに任せておくのは無理だと思い、地元に帰ることにしました。温泉旅館に入ったんです。ただ、朝は早いし夜は遅いし、中休みはぽっかり時間が空いたりするんですけれどいろいろ大変で、小説を書く時間がまったく取れなかったんです。どうしようと思っていた時に、また、東京03からの電話がかかってきたんです。「コバルト編集部の〇〇ですが、ロマン大賞の最終選考に残ったのでご連絡です」って言われて。その後、「受賞しましたよ」って連絡がありました。

――それが2008年に刊行された『屋上ボーイズ』なんですね。

阿部:応募した時は違うタイトルだったんです。恥ずかしいんですが、ぜんぜんいいタイトルが浮かばなくて、「いつまでも」っていうタイトルで...今なら自分でもアウトだなってわかるんですけれど。
 その時にいったん、退職しました。受賞したということと、父の病状が悪くなったということもあって。
 ここまでが第1章という感じですね(笑)。

» その5「ミステリーが書けなくて」へ