
作家の読書道 第248回:阿部暁子さん
2008年に『屋上ボーイズ』でデビュー、時間を超えた出会いを描く『どこよりも遠い場所にいる君へ』や車椅子テニスを題材にした『パラ・スター』二部作などで話題を集めた阿部暁子さん。幼い頃から物語が好きで、高校時代に歴史の参考書がきっかけで時代ものの短篇を執筆したという阿部さんが読んできた本とは? 新境地を拓いた新作長篇『金環日蝕』の担当編集者との出会いのエピソードが意外すぎます。楽しいお話たっぷりご堪能ください。
その8「『金環日蝕』で書きたかったこと」 (8/8)
――さて、件のK島氏が阿部さんの新刊の『金環日蝕』の担当編集者なので、今ここに同席されているわけです。私はまた、鎌倉香房シリーズを読んだK島さんが阿部さんに執筆依頼をしたのかと思っていましたが、最初はK島さんが依頼された側だったんですね(笑)。
K島氏:最初に「私も講座を受けたいです」とリプライをいただいた時は冗談や軽口だと思っていたんですが、いきなり「ミステリーの必要十分条件はなにか」と質問がきたので、これは本気かなと思いまして...。
阿部:必死だったんです。
K島氏:オレンジ文庫だから軽めのミステリーを求めてらっしゃるんだろうなと思ったんですけれど、「今までどんなミステリーを読まれたんですか」と質問したら「『大誘拐』です」って。ああ、いきなり最高峰にいってしまったのか、これは確かに、分かってなさそうだな、と。
阿部:天藤真さんの『大誘拐』はK島さんがツイートされていたので、面白そうだと思って読んだのかもしれません。その時、ほかには宮部みゆきさんの『火車』なんかも挙げましたよね。そうした、自分が読んで感銘を受けたものと、自分が求められているものをどう結び付けたらいいのかまったく分からなくて、迷子になっていました。
でも講座を受けたりして、だんだん、「これがミステリーだ」という決まり切ったものはないんだということは分かってきました。いまだに、ミステリーは私にとってミステリー(謎)です。
――その後、K島さんから小説の執筆依頼があったわけですね。
阿部:はい。確か、鎌倉香房シリーズの第4巻を書いている頃でした。でもその時はリップサービスだろうなと思って、本気にしていなかったんです。「そんなお心遣いはいいんですよ」みたいな感じで。でも、もし本当に書かせてもらえたら嬉しいなと思い、たとえK島さんの言葉がリップサービスだとしても、何か渡しておこうと思い、『金環日蝕』の原型となるプロットをお渡ししたんです。話の流れは書いてあるものの「ここでなにか事件が起きます、詳細検討中です」と書いて、事件の内容はなにも書いていないプロットでした。
――K島さんからの執筆依頼に「こういうものを書いてほしい」という要望はあったのですか。
阿部:いいえ。私はせっかくだからミステリーを書きたいと思っているのに、K島さんは「ミステリーじゃなくていいです、なんでもいいですよ」と言うんですよ。鎌倉香房の感想で「ミステリーではないけれど」って書かれまくる作家だからミステリーじゃないほうがいいだろうって思われているのかなって深読みして、いじけた時もありました。
でもやっぱり、コバルト文庫時代の、自分のオリジナルの話はもう書けないかもしれないという気持ちが今もずっとあって、毎回、これが最後かもしれない、って思いながら書いているんですよね。だから、K島さんとお仕事をするのも最初で最後かもしれないという思いで、書きたいものを書いておこうと思って、詐欺を題材にしました。もう思い残すことはないです、はい。
――最後だなんて言わないでください。
K島氏:あの、僕は、「ミステリーを書きましょう」と言ったら、阿部さんは絶対に引き受けないと思ったんですよ。
阿部:あ、そっか! 確かに引き受けなかったと思います。「無理です」と言って終わっていたと思います。
――『金環日蝕』は北海道に暮らす大学生の春風が主人公の一人。彼女は近所の老婦人がひったくりに遭う現場を目撃、その場にいた高校生の錬とともに犯人を追いかけるけれど、あともう少しというところで取り逃がします。でも犯人が落としたストラップに見憶えがあって...。春風と錬が一緒に犯人捜しをする一方で、やむにやまれぬ事情で詐欺に協力している大学生の理緒の話も進行します。そこから思いもよらない展開で、いろんな人たちのほの暗い事情が見えてくる。
阿部:それまでの私の主な活動場所はオレンジ文庫で、それを読んでくれた方からお話をもらって集英社文庫で『パラ・スター』を書いたりして。どちらも、自分でいうのもなんですけれど、「いい話」だと思うんですよね。明るいし、あまり重くない。
こういう言い方が正しいのか分かりませんが、自分の場合、これまで書いてきた物語は引き算で書いているところがあるというか。人間はすごくどうしようもなく残酷になる瞬間があることを、あまり深くは書かずにきたんです。それを書かないことで一番書きたいことがキラキラする部分があるし、もちろんそれを楽しんで読んでもらえたらすごく嬉しいです。
ただ、これまで書かずにきたものが自分の中に溜まってきたというか。それで『金環日蝕』を書いた感じがします。人間は弱いし、ずるい部分も持っていることに、K島さんから「なんでもいいですよ」と言ってただけたことで、はじめて向き合って書けたかなと思います。
――後半はぐっと重く鋭いテーマを突き付けてきますね。一方で、会話がとにかく活き活きとしていますし、コミカルで可愛いキャラクターもいて愛おしいです。
阿部:やはりそれはダイアナ・ウィン・ジョーンズの影響ですね。とにかく何を喋っているのも可愛いキャラクターとか、会話のテンポのよさ、掛け合いの面白さで読ませるということはすごく学んだので。
それと私、眼鏡をかけていて足が速くて、ちょっとひねくれた性格の少年というか青年が好きみたいです。今回の錬もそうですが、自分の作品を読み返していると、「あ、また出てる!」って思うんですよ。今月集英社文庫から出たアンソロジー『短編旅館』に「花明かりの宿」という短篇を書いたのですが、そこにも気づいたらと同じタイプの男性が出ていまして、読み返して「ああ、また出してしまった」と...。
――錬君、魅力的です。彼の双子の弟妹や、ご近所さんのシャイな正人君たちも可愛かったですね。
阿部:正人のように、「自分コミュニケーションが全然ダメなんで」という気持ちが私の中にもあるので、「正人、すごく気持ちわかるぞ」「お前好きだな」って思いながら書いています(笑)。いや、本当に人見知りなんですよ。引っ込み思案なんです。
――執筆に際して、今回は詐欺に関する本を読んだりしましたか?
阿部:ああ、ええと...、『ピアノ・ソナタ』とか『チャイナタウン』を書いた人の短編があるじゃないですか、なんでしたっけ。
K島氏:(即答)S・J・ローザンの「ペテン師ディランシー」ですね。短篇集『夜の試写会』に入ってます。
阿部:そうですそうです「ペテン師ディランシー」。こういうことがすっと出てくる生き字引のようなK島さんになまじ会ってしまったので、これがミステリーを書く人の標準なんだと思い「自分にはとても無理」と恐れ慄いたんですよ。でもだんだんK島さんが特殊だということが分かってきてほっとしています。
――『パラ・スター』の時は相当取材もされたようですが、人見知りで引っ込み思案でも、取材はためらわないほうですか。
阿部:勇気をふりしぼって聞けるだけの話を聞きます。引っ込み思案だし根暗なんですけれど、書くためなら身を投げ出せる。三谷幸喜さんの本当はシャイなんだろうに、笑いのために身を投げ出している感じが好きです。三谷さん、尊敬しています。
――前に脚本家の野木亜紀子さんがお好きだとおっしゃっていましたが、小説以外にドラマや映画などまた違う形で物語を楽しまれているのかな、と。
阿部:物語中毒みたいなところがあるので、小説以外でも漫画だったり映画だったりドラマだったりアニメだったり、毎日なにかしら見ている気がします。野木亜紀子さんの『アンナチュラル』とか『MIU404』とか、映画の『罪の声』とかを観ると、「それって違うんじゃない?」と感じる瞬間が1秒たりともないんですよね。胸を撃ち抜かれるんです。ただ、そんなにたくさんの脚本家の人をきちんと知っているわけではないです。宮藤官九郎さんは面白いなって思って見ています。
――今、1日のタイムテーブルってどんな感じですか。朝型なのか夜型なのか、とか。
阿部:朝型です。我が家は活動が始まるのが早くて、5時か5時半くらいに起きて、朝の家事だのなんだのをやって、なるべく9時くらいには書き始めます。そして夕方5時頃には終えます。
専業になった時に、全然リズムが分からなくて書けなくなったことがあったんですね。会社に行かないっていう生活がうまく呑み込めなくて、家でこんなことしてていいのかなってドキドキしてしまって。それでなかなかリズムをつかめなかったので、もう会社勤めの時と同じような生活にしようと思い、9時5時にしました。
――参加されたアンソロジー『短編旅館』が出たばかりではありますが、今後の執筆のご予定を教えてください。
阿部:農業をテーマにした小説を書きたいと話していたんですが、コロナ禍で取材に行けなくなってストップしたままになっているんです。落ち着いたら書きたいです。
それと、女性2人の話を書く予定です。刊行時期は未定です。
(了)