第249回:櫻木みわさん

作家の読書道 第249回:櫻木みわさん

2018年に作品集『うつくしい繭』でデビューし、第2作『コークスが燃えている』、第3作『カサンドラのティータイム』で話題を集める櫻木みわさん。大学卒業後はタイに移住、その後東ティモールに滞在など海外経験を重ね、その間も作家を志していた櫻木さんの読書遍歴は? 帰国して作家デビューに至るまでのお話なども。リモートでたっぷりうかがいました。

その2「9歳の衝撃」 (2/7)

  • 罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
  • 『罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)』
    フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー,郁夫, 亀山
    光文社
    900円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)
  • 『窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)』
    黒柳 徹子
    講談社
    880円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 飛ぶ教室 (岩波少年文庫)
  • 『飛ぶ教室 (岩波少年文庫)』
    エーリヒ ケストナー,ヴァルター・トリアー,Erich K¨astner,池田 香代子
    岩波書店
    748円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

――この作家が好きだな、と思った人はいましたか。

櫻木:芥川龍之介に親しみをおぼえました。私は父が大正生まれで、当時からみんなに「おじいちゃん」と言われるような年齢で。その父が若い時に、鈍行列車で東京に受験に行く時に緊張のあまり途中駅で降りて、気が付いたら精神病院に入っていて、ネズミが自分に話しかけていた、というんです。当時の言葉でいうと電気ショックみたいな治療を受けてもとに戻ったそうです。その話を小さい時から聞いていたので、芥川龍之介が、母親が精神を病んでその後亡くなったことで、自分もそうなるんじゃないかと怯えていたと知り、親近感を持ちました。私も子供の頃、父のことは大好きだけど、いつか自分も若い頃の父みたいになるんじゃないかって、いつも考えていたんです。

――お父さん、大正生まれだったのですか。『うつくしい繭』の表題作の参考文献のところに〈シベリア抑留体験については、多くは亡父の談話を参照しました〉とあったので、おいくつなのかなとは思っていました。

櫻木:父は本当に浮世離れした人でした。いつも本を読みながら道を歩いていて、ポケットから小銭がどんどん落ちているのに気づかないような人で。逆に母は社交的で現実的で、すごくパワフルで明るいんです。母は最初、町で父が本を読みながら歩いている姿を見て、『罪と罰』の主人公みたいな風貌だと思い、友達と「ラスコーリニコフ」と呼んでいたらしいです。歳の差もすごくあるし、正反対な二人なんです。
 私が小さい時にはもう父は退職して家にいて、人から頼まれて夜に進学塾や家庭教師の仕事に行くくらい。一方の母は外でバリバリ働いていました。父は運転ができないのでいつも母が運転し、父は助手席で本を読んでいました。そんな感じなので、うちはみんなの家とは違う感じだなって、ちょっとコンプレックスを持っていました。のちに結婚して別れたフランス人の元夫は私のよき理解者だったんですが、彼に、私は父と母の両極端の部分両方を持っていて、引き裂かれているところがあるのではと言われました。その通りだと思います。

――ごきょうだいはいらっしゃるんですか。

櫻木:三つ下の弟がいます。弟はすごく天真爛漫なんです。なので家族の中では母も明るいし弟は天真爛漫だしで、私は風変りな父にいちばん共感していました。

――おうちにはお父さんの本がいっぱいあったのでは。

櫻木:父の書斎にすごくたくさん本がありました。小学校3年生の頃から父の書斎に行って、自分が読めそうな本を探すようになりました。これは母の蔵書だと思いますが、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』もそこで読んで大好きになりました。
 その書斎に、お菓子のカンカンがあって開けてみたら、手紙の束が入っていたんです。読んでみたら、両親が結婚前に文通していた手紙だったんですよね。父はリルケとかを引用して文学的な手紙を送っているんですが、母は「火事があったので見に行きました」みたいな内容で。二人は父が社会人に英語を教えていて、母がそれを習いに行って出会ったようなんですが、母の手紙に「先生も奥様とお子様のことが心配だと思います」と書いてあったんですよ。私、それで、父に家庭があったことをはじめて知って衝撃を受けました。9歳の時でした。衝撃的すぎて両親には何も聞けませんでした。その人のことはなんでも知っていると思っていた人に、自分の知らない歴史があって、知らない人間関係があるということをはじめて知った日でした。

――9歳でそれは衝撃かも...。

櫻木:ですよね。私はミラン・クンデラも好きなんですけれど、クンデラが「年齢という謎は小説だけが解明できる主題のひとつで、9歳というのは人間にとって境界の年だ」という内容のことを書いてるんです。9歳の女の子が主人公だという、アイスランドの作家の小説に寄せた評でした。その本も探したんですけれど、翻訳されていなくて読めなくて。なんか、私自身にとっても9歳が分かれ目の歳だったと思うんです。父の過去を知ったのもその歳でしたし、世界は安心できるところだと思っていたのに、ケストナーの『飛ぶ教室』を夢中で読んでいる時に知らない男の人に声をかけられて物陰に連れていかれそうになったのも9歳の時で、それもすごく衝撃でした。

» その3「中学から寮生活」へ