第249回:櫻木みわさん

作家の読書道 第249回:櫻木みわさん

2018年に作品集『うつくしい繭』でデビューし、第2作『コークスが燃えている』、第3作『カサンドラのティータイム』で話題を集める櫻木みわさん。大学卒業後はタイに移住、その後東ティモールに滞在など海外経験を重ね、その間も作家を志していた櫻木さんの読書遍歴は? 帰国して作家デビューに至るまでのお話なども。リモートでたっぷりうかがいました。

その7「礎となる本たち」 (7/7)

  • こびとが打ち上げた小さなボール
  • 『こびとが打ち上げた小さなボール』
    チョ・セヒ,斎藤真理子
    河出書房新社
  • 商品を購入する
    Amazon
  • すべての、白いものたちの (河出文庫)
  • 『すべての、白いものたちの (河出文庫)』
    ハン・ガン,斎藤 真理子
    河出書房新社
    935円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)
  • 『すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)』
    ドーア,アンソニー,Doerr,Anthony,光, 藤井
    新潮社
    2,970円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • カサンドラのティータイム
  • 『カサンドラのティータイム』
    櫻木 みわ
    朝日新聞出版
    1,760円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 新装版 苦海浄土 (講談社文庫)
  • 『新装版 苦海浄土 (講談社文庫)』
    石牟礼 道子
    講談社
    836円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

――その前後、そしてプロの作家となってからは、どのような読書生活を?

櫻木:プロになる前に読んだ本ですが、チョ・セヒさんの『こびとが打ち上げた小さなボール』は本当に胸が震えて、大切な本になりました。斎藤真理子さんの訳ですね。
 私の場合、作品を書くごとに、ひとつ礎になるような作品がある感じです。書肆侃々房さんから出ていた文学ムックの「たべるのがおそい vol.7」に「米と苺」という短篇を書かせてもらったんですが、それはハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』をモチーフにして書いています。これも斎藤真理子さん訳ですよね。
『うつくしい繭』の中の「苦い花と甘い花」は、アンソニー・ドーア著、藤井光さん訳の『すべての見えない光』が頭にありました。「夏光結晶」は江戸時代に日本を訪れたイギリス人の海洋学者が出版した洋書があって、それをもとに書いていきました。その洋書は、国会図書館と、あと東京海洋大学にあるんです。東京海洋大学の図書館は部外者でも借りることができるんですけれど、触れたら紙がサラサラッとこぼれていくぐらいの古書なんですよ。それを貸し出してくれることにびっくりしました。国会図書館のその洋書は、満洲鉄道とドイツの商社の蔵書印が捺されていたんです。どういう変遷があったのかと思いますよね。物体としての本の凄みみたいなものを感じました。

――その後発表された『コークスが燃えている』でも『カサンドラのティータイム』でも作中に実在の本が登場しますね。『コークスが燃えている』は、筑豊の炭鉱町出身で、今は東京で非正規の校閲の仕事をしている女性が、40歳目前で思わぬ妊娠をしてひとりで産む決心をするのだけれど...という話です。

櫻木:『コークスが燃えている』を書いている頃は、石牟礼道子さんの『苦海浄土』や、作中にも出てくる井手川泰子さんの『火を産んだ母たち』という本を繰り返し読んでいました。

――『カサンドラのティータイム』では、東京で人気スタイリストのアシスタントを務めていたのに仕事で知り合った男性に思わぬ落とし穴に突き落とされる女性と、琵琶湖の湖畔で暮らし、夫からのモラハラになかなか気づかない女性が登場します。作中でマリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント』という本に言及していますね。

櫻木:『モラル・ハラスメント』はあの小説を書く際にとても重要な本でした。それと、上野千鶴子さんと鈴木涼美さんのやりとりをおさめた『往復書簡 限界から始まる』もその頃に読んでいました。書き終わってからも、この書き方でよかったのかなということをずっと考えていて、その時に読んだのは小松原織香さんの『当事者は嘘をつく』や、信田さよ子さんと上間陽子さんの対談集『言葉を失ったあとで』、スティーブン・ピンカーさんの『心の仕組み』などです。『言葉を失ったあとで』は性被害の話なので『カサンドラのティータイム』とは文脈が違うんですが、信田さんが中立であろうとすると加害者のほうに寄ってしまうという話をされているんですよね。それはまさに自分が『カサンドラ~』で書いたことに思えて。

――確かに。主人公の一人、未知が夫の心無い言動を辛く思って共通の知人に相談しても、「フェアでいたいから」と言ってちゃんと聞いてもらえず、彼女はより精神的に辛い状態になっていきますね。

櫻木:フェアでいたいからと言うこと自体が、すでに加害者の側に立っているんですよね。被害者の話を聞く時は、本当に被害者の言葉を信じるよという気持ちで訊かないと、「フェアでいたい」などと言われると、被害者はもうそこで話せなくなってしまうということを信田さんが語られていて、それは本当に身に沁みたというか。

――『カサンドラ~』は、モラハラの状況だけでなく、被害者が「自分が悪い」と思ってなかなかモラハラだと自覚しないことや、周囲に相談しても軽くあしらわれてしまいがちな実情を描いている点が秀逸だと思います。カサンドラはギリシア神話に登場する女性で、何を言っても誰にも信じてもらえなくなるんですよね。実際にカサンドラ症候群というものもあって、参考文献に岡田尊司さんの『カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら』という本も挙げられています。書きたいテーマとしてあったわけですね。

櫻木:それは人がもたらしてくれるというか。カサンドラ症候群が、自己愛性パーソナリティーの人の周囲でも起こり得るというのは、岡田先生の本で知りましたが、自己愛性パーソナリティーについて教えてくれたのは、海外の友人でした。むかしタイで一緒に働いていたイタリア人の友達で、今は研究者をしている人なのですが、私が身近な人の言動で自分の心がこわれそうになっていると、そのときの状況を話したら、「ナルシスティック・パーソナリティー・ディスオーダーについて調べてみて」と言ってくれたんです。それをキーワードに調べていったら文献に出合えた、という感じでした。

――それと、さきほどの『限界から始まる』ですが、この連載で少し前に高瀬隼子さんにご登場いただいた時、高瀬さんが櫻木さんに薦められて読んだとおっしゃっていて。高瀬さんと交流があるのですね。

櫻木:はい。高瀬さんの家に泊めてもらったり、高瀬さんが私の住む沖島に来てうちに泊まってくれたこともあります。

――創作講座でもいろんな方との交流があったわけだし、作家仲間は多そうですね。

櫻木:高瀬さんや李琴峰さん、古川真人さんや中西智佐乃さんたちと、会ったり、オンラインでよく話したりしています。創作講座で一緒だった方たちもたくさんデビューしているし、その人たちの作品も好きです。例えば麦原遼さんは、発想や言葉の使い方が独特で魅力的です。麦原さんとは「海の双翼」というSF短編を共作して、『アステリズムに花束を』というアンソロジーに収録されました。

――その後、創作とは関係なく、読んですごく好きだった作品はありますか。

櫻木:これもある種、越境文学になるのかもしれませんが、韓国系アメリカ人のミン・ジン・リーの『パチンコ』はすごくよかったですね。四世代にわたる在日コリアン一家の話です。作家だと、ナイジェリア出身で渡米したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが好きです。『半分のぼった黄色い太陽』や『アメリカーナ』。エネルギーがあって、くぼたのぞみさんの翻訳も生き生きとして。『アメリカーナ』は人にもプレゼントしました。
 それと、インド系アメリカ人のジュンパ・ラヒリも。ラヒリは『停電の夜に』が有名だと思いますが、私は彼女がイタリアに移住してから書いた『べつの言葉で』というエッセイと、イタリア語で書いた『わたしのいるところ』が大好きです。ひとりで知らない街を歩いている感じ、ひとりでノートになにかを書きつけている感じに、自分も小説を書きたくなる。手元に持っておきたくて、島に移り住むときも持って来た本です。
 他に日本の小説家だと、金原ひとみさんと川上未映子さんはデビュー作から全部読んでいます。古谷田奈月さんも、小説が凛としていて好き。他の同時代の作家も、好きな作品がいっぱいあります。

――今は琵琶湖の沖島にお住まいですよね。1日のタイムテーブルって決まっていますか。

櫻木:沖島の文化や生活を学びたいと思っていて、島の方たちもそれを知ってくださっているので、「今日はこういう行事があるよ」とか「今日はこれを作るよ」とか教えてくださるんです。それに出かけていると予定がどんどん埋まってしまう感じです。
『カサンドラのティータイム』でも琵琶湖湖畔の町を書きましたが、もう一度この周辺を舞台にしたものを書きたいと思っています。

――書き上げたら別の場所に引っ越します?

櫻木:今後、ここを拠点にするのか、全然違う土地に行くのかの二択で本当に迷っています...。

――今後の刊行予定は、その琵琶湖周辺を舞台にした小説になるでしょうか。

櫻木:それはまだ、書きたいと思っているだけなんです。今後の刊行予定としては、双葉社から、日本のいろんな土地を舞台にした短篇集が出る予定です。

(了)

  • モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない
  • 『モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない』
    マリー=フランス イルゴイエンヌ,Hirigoyen,Marie‐France,優, 高野
    紀伊國屋書店
    2,205円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 往復書簡 限界から始まる
  • 『往復書簡 限界から始まる』
    上野 千鶴子,鈴木 涼美
    幻冬舎
    1,760円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 当事者は嘘をつく (単行本)
  • 『当事者は嘘をつく (単行本)』
    小松原 織香
    筑摩書房
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 言葉を失ったあとで (単行本)
  • 『言葉を失ったあとで (単行本)』
    信田 さよ子,上間 陽子
    筑摩書房
    1,939円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)
  • 『心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)』
    スティーブン ピンカー,Pinker,Steven,直子, 椋田
    筑摩書房
    2,090円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)
  • 『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)』
    S‐Fマガジン編集部
    早川書房
    950円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • パチンコ 上
  • 『パチンコ 上』
    Lee,Min Jin,リー,ミン・ジン,真紀子, 池田
    文藝春秋
    2,640円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 半分のぼった黄色い太陽
  • 『半分のぼった黄色い太陽』
    チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ,くぼたのぞみ
    河出書房新社
  • 商品を購入する
    Amazon
  • アメリカーナ 上下合本版
  • 『アメリカーナ 上下合本版』
    チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ,くぼたのぞみ
    河出書房新社
  • 商品を購入する
    Amazon
  • 停電の夜に (新潮文庫)
  • 『停電の夜に (新潮文庫)』
    ジュンパ ラヒリ,Lahiri,Jhumpa,高義, 小川
    新潮社
    693円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)
  • 『べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)』
    ジュンパ ラヒリ,Lahiri,Jhumpa,浩郎, 中嶋
    新潮社
    1,760円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • わたしのいるところ (新潮クレスト・ブックス)
  • 『わたしのいるところ (新潮クレスト・ブックス)』
    Lahiri,Jhumpa,ラヒリ,ジュンパ,浩郎, 中嶋
    新潮社
    1,770円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto