第251回: 永井紗耶子さん

作家の読書道 第251回: 永井紗耶子さん

『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』で新田次郎文学賞などを受賞、2022年は『女人入眼』が直木賞の候補作になるなど、時代・歴史小説で活躍する永井紗耶子さん。聞けば小学校低学年の頃にはもう歴史にハマっていたのだとか。研究熱心な永井さんは、どんな本を読んできたのか。こちらの知識欲を刺激しまくるお話、リモートでおうかがいしました。

その6「仏教を学ぶ」 (6/8)

  • 新装版 御宿かわせみ (文春文庫)
  • 『新装版 御宿かわせみ (文春文庫)』
    平岩 弓枝
    文藝春秋
    682円(税込)
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  • 日本霊異記(上) 全訳注 (講談社学術文庫)
  • 『日本霊異記(上) 全訳注 (講談社学術文庫)』
    中田 祝夫
    講談社
    924円(税込)
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  • 源氏物語(1) 付現代語訳 (角川文庫 黄 24-1)
  • 『源氏物語(1) 付現代語訳 (角川文庫 黄 24-1)』
    玉上 琢弥
    KADOKAWA
    880円(税込)
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――産経新聞に就職されたそうですね。

永井:理由はすごくシンプルで。歴史小説家が就職した会社はどこだろう、と考えたんですよ。
 小説家は編集者か新聞記者だった人が多いんですよね。永井路子さんは小学館。司馬遼太郎さんが産経新聞。それであまり深く考えずに、私も司馬さんのように産経新聞に入って京都総局に行って、寺で小説を書くんだって決めたんです(笑)。でもいかんせん、時代が変わっていて、記者の仕事はものすごく忙しいんだと入ってから気づくんです。当然、京都にも行けないし......。全然、覚悟ができないまま、入ってしまった感じでした。

――でも氷河期でしたよね。よく入社試験に合格しましたね。

永井:ほんとうにねえ......。

――で、入社してみたら、めちゃくちゃ忙しかったという。

永井:私は西宮エリアで警察担当になったんですけれど、入った年に選挙があったり、牛乳の集団食中毒事件の工場がエリア内にあったりしてバタバタしていたんですよね。もともと体力があんまりないのに走り回っていたから、体調を崩して、倒れてしまって。自律神経失調症だと言われました。半年もたたないうちに辞めたんです。

――退社後はしばらく休養されていたのですか。

永井:はい。しばらくお休みしました。メディア研の先輩たちから、記事を書くお仕事をポツリポツリもらうようになりましたが、しばらくは浪人状態でした。母に、「あなた、そもそもなにがしたかったんだっけ」と訊かれ、「小説家になりたかった」「じゃあそれをやればいいじゃない」って言われても、その頃は本も読めなかったんです。読むことも書くこともできなくて、完全に停止状態でした。
 でもだんだん、なにか読めるものがないかなと思うようになって、はじめて平岩弓枝さんの『御宿かわせみ』シリーズを手にとってみたら、読めたんです。「あ、これなら読める」と思って。ひとつひとつの話が簡潔で、シリーズものってこんなに楽しいんだと思いました。そこから私のシリーズものシーズンが始まりました。内田康夫さんの浅見光彦シリーズとか、山村美紗さんとか。ダーッとシリーズをそろえて、端から端まで読んでいくのが楽しかったです。

――『御宿かわせみ』は江戸末期の話ですよね。

永井:私、その時まではそんなに江戸時代には接していなかったんですよね。私が当時知っていた江戸は、歌舞伎で見ていた江戸か、おばあちゃんが話すひいひいおばあさんの幕末の頃の話くらい。あとは、テレビのドラマでしょうか。何となく見ていたけれど、他の時代ほど、のめり込んではいませんでした。

――ああ、歌舞伎はよく観に行っていたのですか。古典芸能はお好きだったのでしょうか。

永井:そうですね。小学生の時、祖母の従姉妹にあたるおばあちゃんが古典芸能好きで、私にハマる目を感じたのか、「連れていってあげる」と言ってくれて。それで歌舞伎を観て、「これはすごい!」となって、好きになりました。
 能に関しては、ストーリーと衣装が好きです。落語は、大学生時代にフランスに行った時、13時間も飛行機の中でどう過ごそうかなと思って機内サービスのチャンネルを替えていたら落語に合ったので聴いてみたら、これすごく好きだな、となって。父方の祖母が湯島の出で浅草にお墓があったりして、それまでにも行き来してきたエリアの話が多かったので、そういう意味でも自分としてはツボでした。

――そして、少しずつ回復して...。

永井:はい。じわじわ回復しつつある頃に、たまたま母が「あなたがずっとやりたいと言っていた研究ってこれじゃない?」と言って、佛教大学の案内を持ってきてくれたんです。大学院の通信講座があって、それなら行けるかも、と思いました。昔ばなしコレクションをしていることもあって、説話文学について知りたい気持ちがあったし、自分の中で聖書のベースはできていたのに仏教のベースが全然できていなくて、歴史を解釈する際に欠けがあるなと感じていたんです。古典文学を読んでいても、骨身に染みる感がないというか。
 仏教って、聖書みたいに一冊にどーんとまとまっているものがなかなかないんですよね。なにを読めば仏教の世界観がわかるのかがわからなかったんです。ちゃんと系統立てて仏教の思想を知りたいなと思っていました。
 それで、佛教大学を受験して入学しました。仏教民俗学とか仏教文化を教えてくださる先生のゼミに入って、こんなこと知りたいあんなこと知りたいと言っていたら、「うん、じゃあ、天狗の研究する?」って言われて「て、天狗?」と聞き返しましたね(笑)。「まあ、『中世神道論』をちょっと読んでみて」と言われ、読んだら面白かったです。いつかネタにしようと思っています。
 他に仏教説話集の『日本霊異記』も薦められました。いちばん古い仏教説話集ですね。「『今昔物語』とかも結局、『日本霊異記』から発生しているから、そっちを研究してみたらいいよ。で、『日本霊異記』だったら法相宗だからね」みたいな感じで。
 佛教大学で、仏教の経典や思想、仏教美術の見方など、基本的なことを全部学ばせてもらいました。スクーリングで夏に20日間くらい京都の大学院に行くんですが、その時は授業のない土日にお寺をめちゃくちゃ巡りました。一人でマイナーなお寺に行って、「佛大生です」って言うと、お坊さんがものすごく丁寧に説明してくれるんですよ。
 それで仏教についていろいろわかってくると、歌舞伎にしろ落語にしろ『源氏物語』にしろ、「この言葉のこの言い回しってこういう意味だったのか」「ここで前世の何とかって言っているのはあの思想からくるのか」というのが理解できるようになってきて。すごく面白かったですね。同時に、お寺と神社がどのようにミックスされていて、近代に入ってどれくらい変わったのかなども見えてきたりして。だから先生があの時、「一番古いものからやりましょう」と言ってくれたのは、すごくありがたかったです。

――自分はそういう、仏教的解釈をぜんぜん理解していないなあと恥じ入るばかりです...。

永井:私が凝り性なだけなんです。でもそうことを知るとやっぱり古典も面白いですね。能の謡曲なんかも、仏教的な思想と夢幻の世界と地元で伝わる伝承的なものがミックスされた上で、舞台装置をできるだけ排除したうえで舞っているんだとわかってきて、あのシステムはすさまじいなと思うようになりました。ある種、コンテンポラリーアートみたいな感じがありますね。

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