
作家の読書道 第256回: 王谷晶さん
ノベライズやキャラクター文芸を発表した後、2018年に刊行した短篇集『完璧じゃない、あたしたち』で注目を集め、2020年刊行の『ババヤガの夜』は日本推理作家協会賞の長編部門の候補にも選出された王谷晶さん。本があふれる家で育ち、学校に行かずに読書にふけっていた王谷さんに影響を受けた作品とは? 20代のご本人いわくの「バカの季節」、作家デビューの経緯などのについてもおうかがいしました。
その3「陰惨なものに惹かれる」 (3/7)
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- 『ブラック・ダリア (文春文庫)』
- ジェイムズ・エルロイ,吉野美恵子
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- 『隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)』
- ジャック・ケッチャム,浩, 金子
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- 『オンリー・チャイルド (扶桑社BOOKSミステリー)』
- ジャック・ケッチャム
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――さきほど少女漫画が読めずに少年漫画ばかり読んでいたとのことでしたが、具体的にはどんな作品を?
王谷:いちばん好きだったのは高橋留美子先生の『らんま1/2』。描く女の子が本当に可愛かったんです。シャンプーがいちばん好きで、ずっと、別にらんまとくっつかなくてもいいじゃんって思っていました。それまで見てきたいろんなコンテンツの女の子のキャラクターって、男の子のことを気にしたり、片想い状態だったりする時はいいのに、くっついちゃった以降すごくつまらなるなと子供心に感じていたんです。シャンプーがそうなるのは絶対に嫌だ、絶対にくっつかないでくれと、面倒くさいオタクみたいなことを8歳くらいから思っていました。あかねとはくっついてもいいけど、シャンプーはずっと一人でいてくれ、って。
少年漫画を読んでいるといっても、漫画はあまり買ってもらえなかったので、近所の家の人がゴミに出した「ジャンプ」を持ち帰ったり、ラーメン屋さんでこっそり読んだりしていました。
――漫画では、怪奇とか幻想とか、グロいものは読まなかったのですか。
王谷:ラーメン屋さんで読んだ『キン肉マン』はよく憶えています。あれって結構えぐいんですよね。特に初期の頃のウォーズマン戦なんかは読んでびっくりしたんですけれど、そのグロテスクさにときめいている自分もいました。
――伊藤潤二作品とかは。
王谷:すごく好きでした。丸尾末広さんとか、そういう系はだいたい読んでいます。
なんか、自分に暴力や陰惨なものへの憧憬や猟奇趣味みたいなものがあることを、ずっと心苦しく思いながら生きている感じです。あくまでもフィクションの中でだけです、と思っているし言っていますけれど、100%そうだって言いきれる保証はどこにあるんだっていう。なので、危ない趣味だなとは思っています。
漫画といえば、アメコミを読み始めたのも高校生くらいからです。小学館さんが和訳を結構出してて、それが地方の本屋にもあったんです。今は「マーベル」という表記ですが、当時は「マーブル」でしたね。「マーブルクロス」というアメコミ専門誌みたいな雑誌があって、それでアメコミ好きになりました。
海外文学をちゃんと読みはじめたのも高校くらいから。その時に好きだったのはテネシー・ウィリアムズとブレット・イーストン・エリス。図書館で借りて読みました。
テネシー・ウィリアムズの『呪い』という、白水社のUブックスから出ている短篇集は、しんどい話ばかりですけれど、生涯ベストテンに入ります。18歳19歳までの短い間にそれなりに抱いてきた自分の疎外感が描かれている気がしたというか。自分のことが書かれていると思ったわけではないんですけれど、同じ辛さを抱えている人が昔のアメリカにいた、みたいな。昔のアメリカにもいたんだったら、今の自分が、それを何かに変えるってこともできるのかな、みたいな気持ちというか。
――ブレット・イーストン・エリスは『アメリカン・サイコ』ですか。
王谷:最初に読んだのは『レス・ザン・ゼロ』です。海なし県の栃木の貧乏人とはまったく違う世界が広がっていたんですよね。ロサンゼルスの超セレブの、ある種スカしたような、都会的なところがすごく好きでした。大量の固有名詞の羅列、あの文章のリズムに浸っているのが心地よかった。その後に『アメリカン・サイコ』を読み、これは年1回くらい読み返しています。読むたびに違うんですよね。本が違うというより、自分のほうが変わっているんだなとわかる。鏡を見るような気分で読み返しています。
――どんなふうに感じ方が変わってきたのでしょうか。
王谷:最初に読んだ時は、贅沢な暮らしを羨ましいなと思ったんですね。すごく貧乏だったんで。もちろんそういう表層だけの話じゃないので、2回3回と読んでいくと、消費というものを皮肉に見ていることとか、男性性とかをめちゃめちゃ高度に皮肉っている本だなとわかってくる。エリス先生のような皮肉な態度って、今の時代一番やりにくいだろうなと思いながら著作を追いかけています。
高校を出てからは、ほぼ海外文学中心になりました。その頃にはじめてジョー・R・ランズデールを読んで、面白すぎてびっくりして。
――『凍てついた七月』とかの著者ですね。
王谷:ランズデールは著作を集められるだけ集めて読みました。めちゃめちゃ影響を受けたと思うんですけれど翻訳なので、ランズデールというより鎌田三平さんの翻訳文の影響を受けているのかもしれません。
エルロイを読み始めたのもこの頃です。『ブラック・ダリア』なども好きなんですけれど、最初に読んだのはもっと初期の、『血まみれの月』とか『自殺の丘』とか。『キラー・オン・ザ・ロード』も大好きです。『アメリカン・サイコ』もそうですが、自分は殺人鬼の一人称ものが好きなのかもしれない。『キラー・オン・ロード』なんて本当にもう、見てきたかのように書くなと思っていて。
この時期は自分もすさんでいたので、ガサガサした本ばかり読んでいました。ブコウスキーとか、クライヴ・バーカーとか。他にはケッチャムの『隣の家の少女』『オンリー・チャイルド』とか、そうした暗くて嫌な話を読んでいました。ただ、ビデオ屋さんでバイトしていて社割で借りられたので、本よりも映画の比重のほうが大きくなっていました。
――どんな映画が好きですか。
王谷:中学生の時に「パルプフィクション」に直撃された世代だったんで、タランティーノが好きで、あとはアメリカン・ニューシネマ。「真夜中のカーボーイ」、「スケアクロウ」、「俺たちに明日はない」、「明日に向かって撃て!」...。特に「真夜中のカーボーイ」は刺さりました。自分もさっさと田舎を出て東京に行くんだと思っていた15歳くらいの時にあれを観て、泣いてベショベショになりました。
ビデオ屋でバイトしていた時期は、本当に端から観ていました。でもやっぱりアクション、コメディが多かったかな。もう今や古典みたいになった60~80年代のホラー映画も端から観ました。ロメロの「ゾンビ」とか、「悪魔のいけにえ」とか。
当時はマイナーな作品もVHSでいっぱい出ていて、まだビデオバブル期だったんです。まだ「映画秘宝」の版型が小さかった頃ですね。あれをガイドにしてB級映画を観て、その流れで平山夢明さんの文章に出会いました。たぶん、文章技法ということでいちばんショックを受けたのは、平山さんがデルモンテ平山名義で書いていた映画評です。文章っていうのはこんなことができるんだって感動しました。あれを読んでいた世代で、平山さんの文体模写をやったことがある人は多いと思います。
その頃はまだブログ前夜で、WEB日記サービスがちょっと始まりかけていたんです。そこに自分も平山さんの影響丸出しの映画評を書いていた記憶があります。