
作家の読書道 第268回:潮谷験さん
2021年にメフィスト賞受賞作『スイッチ 悪意の実験』でデビューして以降、斬新な設定とフーダニットを組み合わせたミステリーで楽しませてくれている潮谷験さん。幼い頃からミステリー好きだったのかと思いきや、意外にも作家を志すきっかけは司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』で、歴史小説を書こうとしたのだとか。そんな潮谷さんの読書遍歴、デビューの経緯、最近の読書生活とは?
その3「ミステリーを読み始める」 (3/7)
――卒業後は就職されたのですか。
潮谷:はい。図書館司書の資格を取って、派遣のような形でいくつかの大学図書館を移りながら10年くらい働いていました。そこで結構、働いている図書館の本を借りることができたんです。普通の図書館にはないような歴史関連の本を借りることができたので、ちょっとずつ勉強しました。ただ、小説を書く時間はなかなかなかったので、いつか書きたいと思いながら、行き帰りのバスの中でアイデアをメモ帳に書いていました。
――読書はいかがでしたか。
潮谷:大学卒業くらいの時期からようやく推理小説を読むようになって、自分の書きたい小説も変わっていきました。
まわりに推理小説を読む人が結構いたので自分も読んでみようと思っていた頃、「本の雑誌」の今月の一冊を紹介するような欄で、麻耶雄嵩さんの『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』が紹介されていたんです。普通のミステリーとは全然違う、みたいに紹介されていたので興味を持ったのが、推理小説をはじめて読んだきっかけでした。
読んでびっくりしました。とんでもない作品だと思いました。それまで、ミステリーは映画とか、夜10時45分になるとみんな崖に集まるのがお決まりみたいな2時間ドラマでしか知らなかったんですけれど、『翼ある闇』はもう定石を全部外しているような作品で。こんなのもありなんだ、こんなに自由なんだ、と思いました。ただ、『翼ある闇』ってたぶん、ミステリー初心者が読む小説じゃないような気が...。麻耶さんにお会いした時に「最初に読んだミステリーが『翼ある闇』でした」とお伝えしたら驚かれていたので(笑)。ただ、あの小説はミステリー入門としての役割も果たしていると思っています。出てくる殺人事件がクイーンの国名シリーズのような見立て殺人になっていたり、ディクスン・カーの密室講義を改良したような議論が繰り広げられていたりする。それで私もクイーンやカーといった作家がいると知り、海外のミステリーを読んでいきました。それと、解説で麻耶さんと同じ時期にデビューされた日本の作家も紹介されていたので、それで新本格の有栖川有栖さんや綾辻行人さんを知りました。なので海外の本格ミステリー黄金時代の古典と、日本の現代の新本格の作家を交互に読み進めていくようになりました。
――そのなかで、特に印象に残っているとか、影響を受けたと思う作品はありますか。
潮谷:カーだと、『三つの棺』はやっぱり自分の新刊のタイトルにもひっかけたくらいですし、好きですね。内容は全く違うんですけれど。あの複雑なプロットをすごく綺麗にまとめているなと思います。クイーンはやっぱり国名シリーズがすごく好きだったんですけれど、いちばん好きなのは『中途の家』ですね。
有栖川さんも国名シリーズの影響を受けておられますが、そのなかで一番すごいなと思ったのは『スイス時計の謎』です。短篇集ですけれど、表題作のロジックがすごく面白くて。なのでクイーンや有栖川さんからは、ロジックによる犯人当ての楽しさを学んだ気がします。
――潮谷さんの作品もロジカルですよね。
潮谷:ミステリーで一番好きな要素はロジックではないかと思います。
それと、カーなんかは話の組み立て方がすごく上手いんです。書評を読むと、カーでも「これはミステリーとして駄作ではないか」と書かれている作品もあるんですけれど、それでも話自体は面白い。コント的なものやラブストーリーなど読者を飽きさせない要素を入れていて、惜しげもなくなんでもやる作家だなと感心しています。
綾辻さんは最初に読んだのが『時計館の殺人』で、あれは有名なトリックが使われていますけれど、あのトリックを読者に思い浮かべさせないように書かれているのがすごいと思うんです。読んでいる時に全然そこに頭がいかなかったですね。読者の思考の誘導の仕方が素晴らしいなと思いました。『十角館の殺人』もいうまでもなく衝撃の作品です。
――歴史とミステリーを絡めた作品は好きでしたか。
潮谷:カーの歴史ミステリーでいうと、『ビロードの悪魔』ですね。現代の大学教授が悪魔と契約して過去にタイムスリップし、過去の世界で現代の知識を活かして無双する。今だとどこの"なろう小説"かっていう感じの作品をもう何十年も前に書いているのがすごくて。しかも悪魔との契約の内容に犯人捜しをする手がかりになるものがあったりして、今でいう特殊設定ミステリーの要素も入っているんだから、とんでもないですよね。
あと、カーの歴史小説でいうと『喉切り隊長』にも影響を受けました。これはナポレオン時代の話なんですけれど、ナポレオンがイギリスに軍を送り込む予定でいたところ、その軍の中で喉を切られて死ぬ人が続出する。喉切り隊長と呼ばれるようになったその殺人鬼を捜査官が捜していく話です。それは意外な犯人ものだったりするので、楽しく読みました。
――ハウダニットやホワイダニットより、フーダニットに惹かれますか。
潮谷:そうですね。特に歴史ミステリーの場合は、現在の人とはものの考え方とか文化が違うので、そういう要素を利用して現代では使えないロジックを使ったフーダニットにしたものが面白いな、と思っています。
――そしてご自身でもミステリーを書きたいと思うようになり...。
潮谷:はい。それと、自分で物語の世界観を作ってみたくなりました。大学卒業前後に田中芳樹さんの『アルスラーン戦記』や『マヴァール年代記』なども読んだんです。どちらもすごいなと思ったのは、たとえば『アルスラーン戦記』は古代ペルシャ風の世界、『マヴァール年代記』は中世ハンガリー風の世界という、なかなか舞台には選びそうにないところを選んでいて、しかもその設定がしっくり頭に入ってくる書き方をされているのが巧みなんですよね。
同じ頃、森岡浩之さんの『星界の紋章』という作品も読みました。これは大ヒットして、今でも5年、10年くらいのスパンで続刊が出ています。地球の人類が滅びた後の未来に、遺伝子操作を受けた新人類が銀河帝国を作っていく話で、すごく設定マニアな作品なんです。森岡さんは作品内で使われる言語とかも自分で考えてノートにびっしり書いているという逸話のある方です。そういう作品世界を自分で作り上げていくのが、すごく面白いんじゃないかと思っていました。