
作家の読書道 第276回:松浦理英子さん
大学在学中に「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞しデビュー、寡作ながらも『親指Pの修業時代』で女流文学賞、『犬身』で読売文学賞、『最愛の子ども』で泉鏡花文学賞、『ヒカリ文集』で野間文芸賞を受賞など、毎作品が高く評価されている松浦理英子さん。深い洞察力で独自の作品世界を生み出す作家は、どんな作品を読み、なにを感じてきたのか。読書遍歴や自作についての思いなどおうかがいしました。
その3「中学生時代の読書」 (3/7)
――中学に入る頃はどちらに住んでいたのですか。
松浦:相変わらず徳島市です。中学生になると、いうほどSFは読んではいなくて、やはり純文学系が多かった。三島由紀夫が切腹したのが小学校6年生の時だったんですよ。それで三島由紀夫を知って、作品を読むようになりました。あとは太宰治や、ツルゲーネフの『はつ恋』とか。岩波文庫から出ていたマーク・トウェインの『不思議な少年』も読みましたが、何十年か後にあれは実は他の人の手が入っているという衝撃の事実を知りました。
――マーク・トウェインは『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』とかではなく?
松浦:それらは小学生の頃に読んでいました。『不思議な少年』は人間嫌悪が描かれた小説なんです。今ではマーク・トウェインが書いた版も翻訳が刊行されていて、買ってはいるんですけれど家の中のどこにいったか分からなくて読めていないんです。
中学生になるともうわりと大人向けのものも読んでいたので、谷崎潤一郎や大江健三郎なんかも読みました。各社が出している文庫目録ってありますよね。それを見ながら次は何を読もうかと考えるのも楽しみでした。谷崎潤一郎がどういう作家かは大体分かっていて、最初に読んだのは私のイメージ通りで自分でも面白くないんですけれども『卍』です。でも、ものすごくいいとは思わなかった。最近も読み返して、興味深いところはあるんですけれども、すごく優れた作品とは思っていないですね。あれはレズビアンどうのこうのというよりもインポテンツの青年が面白いですよね。でもあまり詳しくは描かれていないから、どういう人物かをいろいろ想像しています。私は自分の小説によくインポテンツの男性を書きますが、谷崎の書いたインポテンツの青年像を自分流に補ったり、アンサーのような形で小説にしてみたりすることも考えています。
――大江健三郎は何を読まれたのですか。
松浦:最初は『性的人間』ですね。タイトルに惹かれました。刺激がすごかったことを憶えています。同級生に「なにかスケベな本を貸して」と言われて『性的人間』を貸したら、読んで「ただ卑猥なことを書いているだけじゃないか。一体なんの意味があるんだ」って私が怒られました。
――太宰治はどうでしたか。ウジウジした登場人物がお好きではない印象なので、どのように思われたのかな、と。
松浦:最初に『人間失格』を読んで、共感したわけではないんですよ。だけど太宰って、非常に上手くこちらの弱さを突いてくるじゃないですか。そのテクニックゆえに、そんなに嫌な感じはしませんでした。他の作品もいろいろ読みましたが、だからといって、熱心な太宰のファンのように心酔することもなく。まあ、当時の自分は、大人の文学はすべて、たいして理解できなかったんでしょうね。
好きな作家がいるというよりは本を読むこと自体が好きだったんですよね。だからいまだに、「好きな作家は?」と訊かれるとちょっと困るところがあります。
――中学時代、小説は書いていたのですか。
松浦:何かしらの文章は書いていたと思いますけど、そこまででもなかったです。
――部活は何かされていたのですか。
松浦:やっているように見えないでしょう(笑)。
――はい(笑)。では、放課後は家に帰って本を読む毎日だったのでしょうか。
松浦:本を読んだり漫画を読んだり。中学高校はロックに夢中だったので、ラジオにかじりついていました。レコードは買えないからラジオで聴くんですね。映画も観ましたし、小説以外のカルチャーも好きになっていった時代です。
――どんなバンドが好きだったのですか。
松浦:あの頃はT.Rexとかですね。