
作家の読書道 第276回:松浦理英子さん
大学在学中に「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞しデビュー、寡作ながらも『親指Pの修業時代』で女流文学賞、『犬身』で読売文学賞、『最愛の子ども』で泉鏡花文学賞、『ヒカリ文集』で野間文芸賞を受賞など、毎作品が高く評価されている松浦理英子さん。深い洞察力で独自の作品世界を生み出す作家は、どんな作品を読み、なにを感じてきたのか。読書遍歴や自作についての思いなどおうかがいしました。
その5「大学2年生で作家デビュー」 (5/7)
――松浦さんは青山学院大学に進学して東京にいらしたんですよね。仏文科を専攻されたのはジュネとかの影響ですか。
松浦:そうですね。ジュネを原書で読めるようになりたいと思って入ったはずなのですが、読めるようにも話せるようにもなりませんでした。
――東京での一人暮らしはいかがでしたか。
松浦:楽しかったです。一人暮らしになるとご飯を食べながら本が読める。家族がいると行儀が悪いと言って怒られますけれど、一人暮らしだと誰にもなにも言われないので。
――本は書店で買うことが多かったのですか。
松浦:そうですね。大量に買ったわけではないですけれど、しょっちゅう近所の古本屋を覗いていました。
――在学中の1978年、「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞してデビューされていますよね。
松浦:はい。1年生が終わった春休みに書いて、2年の時に受賞しました。
――「葬儀の日」は葬式の泣き屋と笑い屋の交流を描く話です。これはどういう着想だったのでしょうか。
松浦:さきほど言った「世界の文学」シリーズなどで形式的な冒険をした小説を読んでいたので、自分も方法意識がある小説、なにか形の上で冒険したような小説、なおかつ、観念的で非日常的でありながらもある種の官能性が漂っているような小説を書きたいと思っていました。
――それまで中篇にしろ短篇にしろ、書き上げた作品はいくつもあったのですか。
松浦:ないです。高校の時は、自分が読んでいる文学作品のようなものを書こうとしても書けず、途中で投げ出していたんです。「葬儀の日」を書いた頃は、たまたまそういう体力がついていた、ということじゃないのかなと思います。
――最終選考に残ったという連絡や、受賞の連絡を受けた時はどんなお気持ちでしたか。
松浦:やっぱり嬉しかったですね。でも電話口で話した編集者に、「あまり嬉しそうじゃないですね」って言われたんです。後に自分が新人賞の選考委員をしていた時も、編集者が「受賞者に連絡します」といって出ていって、戻ってきたら「あまり嬉しそうじゃなかったです」とか言うんですよ。嬉しいに決まっているじゃないですか。なんか、若い女性タレントみたいに「わあー嬉しいです!」と言わないと喜んでいると思ってもらえないのかもしれない(笑)。
――まだ大学生の受賞者ということで注目されたと思うのですが、周囲の反応はいかがでしたか。
松浦:同級生は祝福してくれました。ただ、取材に来る大人の男性たちはこちらを侮ってくる人が多くて、ちょっと世の中が嫌いになりました。愛想よくするとなめられるような気がして、ほとんど愛想笑いをしない時期がありました。もちろん本当に面白いことがあったら笑いますけれど。その後、自分が取材する側になる経験をしてからは、相手が笑わないと怖いということがわかって、普通に愛想のある接し方をするようになりました。
――読書生活に変化はありましたか。
松浦:「文學界」が送られてくるようになったので、そこに載っている小説は全部ではないけれど、気が向くまま読んでいました。あとは編集者さんと文学に関する話ができるようになったのが楽しかったです。
やっぱり基本は外国の小説のほうが自分に合っていました。その頃は人間の激しさとか、深い部分が描けているものが好みで、日本文学だと物足りなかったんですね。どちらが優れているといった話ではなく、それはもう個人的なもので、私の狭さもあると思うんですよ。それは本を読み始めた頃から感じていたことでどうしようもないことです。
――外国文学はどのあたりを。
松浦:やっぱりジュネになっちゃうんですけれど。あとはイタリアの作家、パヴェーゼの『美しい夏』とかも好きですね。これは集英社の「世界の文学」に入っていたし晶文社からも出ていました。
フランス文学の古典なんかも日本文学にはない心理的な深みがある印象でした。ラクロの『危険な関係』とか。
――何度も形をかえて映画化されている作品ですよね。伯爵夫人が、自分を裏切った愛人に復讐するために、彼の婚約者である若い女性を自分の情人である青年子爵に誘惑させようとする。ざっくりいうと伯爵夫人と青年子爵の危険な恋愛ゲームの話です。
松浦:あの、愛情が根底にある者同士の闘いというのが私は好きなんですね。私が書いているものもそういう話が多いと思います。
――授業の一環でフランス文学を読むことも多かったのですか。
松浦:意外とそうでもないんですよ。ちょっと読み込むのはゼミくらいで、一般の専攻の授業は文法だったり作文だったりが多かったです。私は文法ができませんでしたが、訳文だけは流麗に訳すので、先生に「これはどこの訳から盗んできたんだ」って疑われたりしました。
――先ほどのロックのように、読書以外にもはまったものはありましたか。
松浦:つねに音楽がともにありました。50代くらいまでは音楽はずっと聴いていました。今はさすがに新しいものはちょっと分からなくなっているんですけれど。
――好きな音楽も変遷があるのですか。
松浦:高校に入る頃からポインター・シスターズなどを聴いていましたが、20代の半ばになるとさらにブラックミュージックを聴くようになって、プリンスと出合ったりして。白人の音楽だったらスティーヴ・ハーリイというイギリスのアーティストが好きでしたね。あとはヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか。当時は歌詞とかインタビューも熟読していましたが、そうすると柄が悪くなりますね。
――どうして柄が悪くなるのですか(笑)。
松浦:ロック・ミュージシャンの柄が悪いからです。結構気難しい人たちで、インタビューでも言いたい放題なので。
――インタビュー記事は何で読んでいたのですか。「ロッキング・オン」とか?
松浦:高校生の頃は「ミュージック・ライフ」です。田舎だからか「ロッキング・オン」はあまり目につくところになかったかもしれません。大学に入ったら同級生たちが「ロッキング・オン」を読んでいたので、私も読むようになりました。他にも、ポピュラー音楽に関する本はよく読んでいました。
そういえば、大学に入ったら同級生たちがボーヴォワールの『第二の性』を読んでいるので、私も読まなきゃと思って読みました。女性性と呼ばれるものの多くが社会に作られているんだということを非常に明晰に論証していて、納得がいくなと思いました。今なお女性論の基本文献だと思います。
――大学生活と小説執筆の仕事の両立はできていたのですか。
松浦:大学の勉強はあまりしていなくて、授業も単位がもらえる程度に出ていた感じです。全然優秀な学生ではなく、フランス語の文法なんて単位を落として二回受けました。二回受けるとそんなに勤勉に復習しなくても自然と分かるようになって楽でした。