
作家の読書道 第276回:松浦理英子さん
大学在学中に「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞しデビュー、寡作ながらも『親指Pの修業時代』で女流文学賞、『犬身』で読売文学賞、『最愛の子ども』で泉鏡花文学賞、『ヒカリ文集』で野間文芸賞を受賞など、毎作品が高く評価されている松浦理英子さん。深い洞察力で独自の作品世界を生み出す作家は、どんな作品を読み、なにを感じてきたのか。読書遍歴や自作についての思いなどおうかがいしました。
その4「高校時代に出合った二人の作家」 (4/7)
――高校時代も徳島にいらしたのですか。
松浦:高校の時は香川県にいました。高校時代に、ジャン・ジュネや稲垣足穂に出合いました。それは好きと言える数少ない作家の二人です。
――足穂やジュネはどうやって見つけたのですか。
松浦:書店の棚を端から端まで舐めるように見るんですよ。そうすると、足穂だったら『少年愛の美学』というタイトルを見て、これは私が読むべき本じゃないかと思うわけです。ジュネは『薔薇の奇蹟』というタイトルに、なんかピンときました。ジュネはその頃雑誌の「ユリイカ」が特集したんじゃなかったかな(「ユリイカ」1976年2月号)。
くだらない話ですけれど、『薔薇の奇蹟』は、「薔薇族」という雑誌があったので、「薔薇」というワードに引っかかったところがあったのかもしれないです。
――高校生でいわゆるゲイ雑誌の「薔薇族」の存在を知っていたのですか。
松浦:中学生の時から知っていました。友達と回し読みしていたんです。すごく漫画が上手でかつ今でいうボーイズ・ラブ好きな同級生が一人いて、その人が先輩から「薔薇族」という本があるよと教えてもらって、本屋で買ってきたんです。あの頃はゾーニングもなくて、中学生が普通に本屋で買えました。成人指定でもなかったと思いますし。それを借りて教室のカーテンの陰に隠れて見たり、家に持ち帰ってこっそり読んだりしていました。
――ジュネと足穂はどんなところが好きだったのですか。
松浦:ジュネは永遠に思春期にとどまっているようなところですね。ネオテニーというか、決してすれっからしの大人にならない。大人が「これはもう知っている」といって適当に流すことを、ジュネはすべての瞬間に全身で体験する。いつまでも思春期の少年のように、感じやすく、純真なんですね。そういう存在の仕方がすごく好きだったし、共感できました。
足穂はちょっと違うんですよね。足穂は時間のつかみ方の感覚が独特のような気がします。横にずっと流れていくものではなくて、縦に切断しているかのような時間感覚がありますね。美少年のことを、「ゆでたまごの表面がちょっと指痕でよごれているような愁い」というような形容をするのが、今思い出してもいいなと思います。それと、足穂は女嫌いでもないですしね。「『美少女』は美少年に範を採った仮象なのだ」と言っていて、今だと「なぜ美少年を基準にして女を語るのか」というふうな批判をする人がいるかもしれませんが、高校生の私は女性である自分が引き上げられるような気がした。あんなことを言った作家ってほかにいないですよね。
足穂がよくエッセイにオスカー・ベッカーの『美のはかなさと芸術家の冒険性』を引用しているので、それを私も大学に入ってから読んだりしました。
――高校時代は、他にはどんな本をお読みになったのですか。
松浦:集英社の「世界の文学」が出始めた頃で、その洗礼も受けました。第一回配本がアラン・シリトーの『華麗なる門出/長距離走者の孤独』で、第二回はフィリップ・ロス。フィリップ・ソレルスもわりと早い時期に出ていました。毎月小遣いで買おうと思っていたんですけれども、やはりそんなにお金がないので、あまり買えませんでした。
それと、中上健次と村上龍ですね。私が高校生の時に村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞したんです。爆発的に売れたので田舎の本屋にはなかなか入らなくて、『性的人間』を読んで怒った友人がたまたま見つけてくれて、やっと読めました。
中上健次と村上龍の対談集が出たのは大学に入ってからだったかな(単行本は『中上健次vs村上龍-俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、―』1977年刊、文庫版は改題して『ジャズと爆弾 中上健次vs村上龍』1982年刊)。単行本は、ランボーの詩からタイトルをとっているんですよね。私は単行本で読みましたが、大人の文学の読者になってからはじめて本格的に文学的な刺激を受けたのはその本だったかもしれません。主に中上健次の小説の読み方に感銘を受けました。文章そのものに対する感覚が非常に繊細で、1つの文章からさまざまなことを読み取る。自身が書く人であり読める人でもあると、こういう読み方をするんだなと思いました。私、中上健次って、芥川賞を獲った時(1976年)の記者会見の印象が非常に悪かったんですよ。「男というものはお天道様の下で汗を流して働くものだ」と言い、記者に向かって「あなたたちみたいなのは男じゃないよ」というようなことを言ったんです。そんなマッチョな男に好意を持てるわけないじゃないですか。今だったら、それは中上健次のパフォーマンスであり、自己プロデュースであり、サービスとしてそういう役割を演じていたんだと分かるんですけれども、十代の頃は真面目に受け取っちゃって、「この男は私の敵に違いない」と思いました。
といいつつも非常に世評の高い方なので気にしていたから対談本も買って、その小説の繊細な読み方に感銘を受け、以後中上健次の小説もよく読むようになりました。
――印象に残っている中上健次作品は。
松浦:『枯木灘』や『千年の愉楽』でしょうか。今の若い作家たちには想像がつかないことだと思うんですけれど、本当に80年代の中上健次の尊敬のされ方と影響力はすごいものがありました。女性の作家も非常によく読む人でしたし、中上健次に小説を読んで欲しいと思っていた後輩作家は多いんじゃないですかね。