第276回:松浦理英子さん

作家の読書道 第276回:松浦理英子さん

大学在学中に「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞しデビュー、寡作ながらも『親指Pの修業時代』で女流文学賞、『犬身』で読売文学賞、『最愛の子ども』で泉鏡花文学賞、『ヒカリ文集』で野間文芸賞を受賞など、毎作品が高く評価されている松浦理英子さん。深い洞察力で独自の作品世界を生み出す作家は、どんな作品を読み、なにを感じてきたのか。読書遍歴や自作についての思いなどおうかがいしました。

その6「卒業後の読書と執筆、女子プロ」 (6/7)

  • 葬儀の日 (河出文庫 ま 1-3 BUNGEI Collection 初期作品集)
  • 『葬儀の日 (河出文庫 ま 1-3 BUNGEI Collection 初期作品集)』
    松浦理英子
    河出書房新社
    660円(税込)
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  • 親指Pの修業時代 上 (河出文庫)
  • 『親指Pの修業時代 上 (河出文庫)』
    松浦 理英子
    河出書房新社
    946円(税込)
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  • 犬身 上 (朝日文庫)
  • 『犬身 上 (朝日文庫)』
    松浦理恵子
    朝日新聞出版
    792円(税込)
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  • 増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫) (文春文庫 フ 1-4)
  • 『増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫) (文春文庫 フ 1-4)』
    アンネ フランク,深町 眞理子
    文藝春秋
    1,056円(税込)
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――卒業後は専業作家でやっていこうと思われていたのですか。

松浦:そうですね。在学中はわりとうまくいっていたので、贅沢しなければ食べていけるんじゃないかと思って就職しなかったんですけれど、そこから不遇の時期が始まったので就職すればよかったなと思いました。

――1980年に『葬儀の日』、翌年に『セバスチャン』を出された後、なかなか新刊が出ませんでしたが、そういう時期だったわけですか。

松浦:批評家の評価は高くなかったし、「なんだあいつは」と言っているような高齢の作家などもいましたし。筆が遅いからたくさん書いていたわけではないんですけれど、いくつかボツになって、何年か小説を発表できない時期がありました。

――その間、読書生活はいかがでしたか。

松浦:いろんな小説を読んではいましたが、楽しみで読むというよりは勉強みたいな感じになっていました。私自身が非常に狭い人間なので、どれが好きというのはあまりなかったかもしれません。
小説以外のノンフィクションや批評的な本も読んでいました。20代前半は心理学や精神分析の本もよく読み、性愛について思索していました。『キンゼイ・レポート』や『マスターズ・アンド・ジョンソン』『ハイト・レポート』等のアメリカの性の実態レポートや、クラフト・エビングの『変態性欲の心理』、メダルト・ボスの『性的倒錯』、男性の性的ファンタジーを調査した『メン・イン・ラヴ』など。ウィルヘルム・シュテーケルの『女性の冷感症』という本の中の「セックスは両性間の闘いである」という一文は今に至るまで非常に強く頭に残っています。そういう知識や思索の積み重ねがあるから『親指Pの修業時代』や『犬身』が書けたのだと思っています。
ナチスおよび強制収容所に関する本もよく読んでいました。発端は親の本棚にあった『アンネの日記』で、巻末の強制収容所生活の描写が非常に恐ろしかったのですが、時代の熱狂に飲まれて普通の人間が人としての道を踏み外してしまうということの恐ろしさにも強い興味があって、ナチス関連の本を読み始めた感じです。一番好きなのが『パサジェルカ(女船客)』で、映画の方を先に見たのですが、映画も小説もいいですね。強制収容所の看守である女性主人公が囚人の中に非常に心の強い権力に屈しない女性を見出して、好意を抱いて優遇したり命を救ったりもするのですが、女囚の方は全く感謝する素振りを見せない、という、感傷的な優しさを厳しく斬る作品で、私も読んで斬られた時の傷からずっと血が流れているような気がしています。

――ノンフィクション系もよく読まれていたのですね。

松浦:そうですね。その頃、読書好きと言われていた友達に会って「最近読んだ本は」という話になった時、私がクラッシュギャルズの本、相手がマッケンローの本を挙げたこともありました(笑)。

――クラッシュギャルズは一世を風靡した女子プロレスのコンビ、マッケンローは当時大人気だったテニス選手ですね。松浦さんは小説にも女子プロレスのことを書かれているし、雑誌の企画で女子プロレスラーたちにインタビューもされていますね。いつから観るようになったのですか。

松浦:1986年くらいからかな。ものすごくブームになっていたので目に入ってくるし、闘う女性が好きなので、一回観に行ってみたいなと思いました。それで仕事を絡めて観に行ったら、はまりました。でも私はクラッシュギャルズではなく、極悪同盟のほうのファンだったんですよ。

――ヒール側のユニットですね。

松浦:ブル中野のファンだったんです。クラッシュギャルズも尊敬していますけれど。

――なぜヒール側のブル中野さんに惹かれたのですか。

松浦:ヒールの悲しみっていうのがあるんですよ。どんなに傍若無人に振る舞っているように見えても、最後はベビーフェイスのクラッシュギャルズのほうを立てるのがヒールじゃないですか。そのヒールの悲しみを体現した人に見えました。フェリーニの映画に出てくるような、悲しみをたたえた風貌に見えたんです。プロレスのことを考える頭を持っていて、自分の持てる知力をフルに使ってプロレスを面白くしようとしていたプロレスラーでした。今でも、非常に偉大な人だと思っています。

――よく試合を観に行っていたんですか。というか会場ってどこなんでしょう。

松浦:後楽園ホールがプロレスの聖地と言われていますね。川崎体育館とか大宮スケートセンターとか、両国国技館でもありました。私はそんなにお金がないので、何度も行っていたわけではないです。あの頃はテレビでも毎週女子プロが放送されていたので観ることができましたし。

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