その1「物語にピンとこない子どもだった」 (1/8)
――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。
櫻田:この連載はいつも最初にその質問があるので、前もって考えてみたんです。それで、児童書の『もりのへなそうる』が、はじめて自分で文字の本を読んだ記憶かなと思って。おそらく幼稚園か小学校1年生の時、推薦図書のカタログみたいなものから選んで買ってもらったんです。今もあるかなと思って調べてみたら、まだ現役で売っていたので買って改めて読んだところ、たしかに僕が好きそうな話でした。5歳と3歳の男の子の兄弟が森に探検に行くところから始まるんですよね。小さな子が行ける場所ですからたぶん近所の森なんでしょうけれど、わざわざ地図を書いたりして。そういう探検とか冒険めいたところに惹かれました。それと、言葉遊びというか、弟が卵のことを「たがも」としか言えないところなんかも面白くて。森で大きな卵を見つけて、次にそこに行ったら卵から生まれたのか怪獣がいて、一緒に遊ぶんです。とても優しい冒険譚でした。僕はあまり物語に心が動く子どもではなかったんですけれど、これは憶えていました。で、今回考えた時にすぐ浮かびました。
――あまり物語に心が動く子どもではなかったのですか。
櫻田:そうなんですよね。物語の面白さにピンとこないタイプの子どもだったんじゃないかと思います。家に「世界童話全集」みたいなものがあったんですが、それを読んでもピンとこなかったですし。
なので小学生の頃は、漫画は別として、あまり本を読んではいませんでした。読書感想文を書かなきゃいけない時も、とにかく薄い本を選んでいたし、読んでも自分が何を感じたかよく分かっていませんでした。
――図鑑などは好きでしたか。
櫻田:家にあったので昆虫図鑑は読んでいました。ただ、そういうものに対しても、今ほどあまり感動がない子どもでした。物語同様、特に心が動かされない、みたいな。
――櫻田さんのデビュー作『サーチライトと誘蛾灯』から始まるシリーズは、昆虫好きの魞沢という青年が主人公ですよね。著者も小さい頃から昆虫が好きだったんだろうと思う読者は多そうですが。
櫻田:虫採りはしていたんですけれど、その虫の体がどうなっているのかとか、どう飼育するかといったことに深く興味を持つタイプではなかったです。あまり探求心がない、ぼーっとした子どもでした(笑)。
――漫画はお好きだったのですか。
櫻田:僕らの世代は子どもの頃に「少年ジャンプ」が流行っていたので、それこそ『キン肉マン』とか『キャプテン翼』とか『北斗の拳』などを読みました。ただ、最初に好きになったのはやはり『ドラえもん』ですね。小学生の頃は藤子・F・不二雄さんがご存命で「コロコロコミック」に描かれていて、僕は「大長編ドラえもん」がすごく好きでした。映画版の『ドラえもん』ですよね。普通の『ドラえもん』の単行本やアニメも好きではあったんですけれどそこまで熱心ではなくて、「大長編ドラえもん」のほうが好きで単行本版も集めていました。
今思うと、「大長編ドラえもん」って、ミステリー的な手法が使われているんですよ。僕が好きなのは『大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険』とか『大長編ドラえもん のび太と竜の騎士』なんですけれど、それがミステリーの原体験というか、張られていた伏線が回収されることに驚くというはじめての体験でした。
――他に映画やヒーローもの、ゲームなどで夢中になったのもの、影響を受けたと思うものはありますか。
櫻田:ゲーム世代なのでもちろんゲームも好きでした。ヒーローものだと、僕は世代じゃないんですけれど、とにかく初代の「仮面ライダー」と「ウルトラマン」が好きでした。初代って渋いんですよね。当時、初代の「仮面ライダー」や「ウルトラマン」はテレビでもうほとんどやっていなかったので、再放送があればかじりついて見ていました。家にビデオデッキが導入されてからは、親にどうしても見たいと言って、レンタルビデオを借りてきてもらったりして。
――初代が渋いというのは、どういうところなんでしょう。
櫻田:あまり子ども向けになっていないというか、ヒーローヒーローしていないヒーローだったんですよね。特に「仮面ライダー」の初代は、主人公が怪人に改造されて自分の人間性を失っているという原作の設定を引きずっていて、暗い部分を背負ったヒーローだったかなと思います。話自体もちょっと容赦がない感じで、そういうところになぜかはまりました。
他も、ヒーローヒーローしているような物語ではないものが好きといえば好きだったかもしれません。祖父母が近くに住んでいたのでよく家に遊びに行っていたんですけれど、テレビのチャンネル権を絶対に譲らない祖父だったんですね。週末に祖父母の家に行くと、野球を見て、その後は洋画劇場みたいなものを見るのが絶対で、僕もつきあって見るんです。それで衝撃を受けた映画が「俺たちに明日はない」。主人公があんな最期を迎える物語にびっくりしたんです。だから、絶対的な正義ではない主人公の物語がちょっと好みだったかもしれないですね。その後もヒーローものは、「いつか主人公負けないかな」と思いながら見ていたんです。劣勢だった主人公がなんかよく分からないうちに逆転して勝っちゃうのが不満でした。「今回こそ主人公負けないかな」って思いながら、ちょっと敵側を応援しながら見ているタイプでした。
――北海道ご出身ですよね。
櫻田:はい。埼玉大学に進学して実家を出ましたけれど、それまで北海道に住んでいて、実家は今も北海道にあります。
――本を貸し合うようなごきょうだいはいらっしゃったのですか。
櫻田:妹がいて、読むものの趣味がすごく合ったんですよ。妹が少女漫画誌の「りぼん」とかを買うようになると僕も一緒に読んでいたし、妹も僕が買った漫画や小説を読んでいました。学生時代以降は離れて暮らしていましたが、推理小説もほぼ同時に似たようなものを読んでいました。
――インドアな子どもでしたか。それとも、アウトドアなタイプでしたか。
櫻田:小さい頃はそれこそ虫を採ったり、自転車で友達と出掛けたりと、外で遊ぶのが好きでした。でもだんだんファミコンとかテレビゲームが出てくると、みんなでうちに集まって遊ぶようになりました。インもアウトもという感じでしたけれど、うちの親がそんなに外に出掛けるタイプではなかったので、なんとなく内側志向ではありました。
子どもの頃の最初の夢が漫画家で、周りもみんな漫画を読んでいたので、家に集まって漫画家ごっこみたいなこともしましたし。
――どんな漫画を描いていたのですか。
櫻田:いやもう真似事です。自分で何かを作るというより、ただ『キン肉マン』や『ゲゲゲの鬼太郎』や『ドラえもん』を真似して描いている感じでした。ストーリーも本当に、味方と敵が出てきて戦ってどっちかが勝つ、というだけのお話でした。それを本の形にして綴じて友達と交換していました。
――あ、ヒーローヒーローしたヒーローを描いていたのですか。
櫻田:ああ、そうですね。勝手なもので、自分が作ったヒーローには愛着があったようです(笑)。漫画家になりたいと言いつつ、どうやったらなれるのかも分からず、漫画家になるために何かをしたわけではなかったです。漫画家入門みたいな本を読んで、ペンとか紙にはいろんな種類があると知っても、田舎でどうやってそれを揃えたらいいかも分からなかったし。だから結局何もせずに終わってしまいました。ただ、僕が漫画を描いていた印象が残っているみたいで、昔の友達には「小説家より漫画家になると思ってた」と言われます。
――学校ではにぎやかな子だったのか、それともおとなしいタイプだったのでしょうか。
櫻田:にぎやかだったんだと思います。よくふざけて先生に怒られていました。
――国語の授業は好きでしたか。
櫻田:国語はとにかく苦手で、テストでも全然点数が取れなかったんですよね。どう勉強したらいいか分からなかったんです。でもあまりに国語の点数が悪くてこれはどうにかしなきゃいけないと思って、中学時代に現代文も古文も教科書をひたすら繰り返して読むようにしたんです。そうしたら点数が上がりました。まあ単純に、何回も教科書を読んでいると、漢字の読みとか穴埋め問題とかは分かるようになりますし。で、国語が得意教科になると同時に文章を読むことにも慣れて、それでちょっと物語を読むことにピンときたところがあって。小説が分かるようになったというよりも、読むことに慣れたというくらいの感覚だったんですけれど。
教科書に載っていたもので、今でも印象に残っている作品もありますね。山川方夫さんの『夏の葬列』はすごく印象に残っています。谷川俊太郎さんの詩の『二十億光年の孤独』も。それらがすごく刺さって、小説や詩って面白いんだなと、なんとなくピンときたのが中学校の頃でした。
――ちなみに、国語の他に好きな科目はありましたか。
櫻田:なんだろう...。小学校の頃からそろばんを習っていたので、計算という意味の算数だけはやたら得意でした。小学校3年生くらいから始めて、中学3年までやっていたので、いっときは趣味兼特技がそろばんみたいなことになっていました。
――暗算がめっちゃ早いってことですか。
櫻田:僕は暗算七段を持っています。昔、消費税が導入された時は、買ったものの金額を合計して消費税まで計算してきっちり払う、みたいなことをやっていました。もう今はそんなことは面倒くさいのでやめましたけれど。