第279回:櫻田智也さん

作家の読書道 第279回:櫻田智也さん

2013年に「サーチライトと誘蛾灯」で第10回ミステリーズ!新人賞を受賞しデビューした櫻田智也さん。昆虫好きのとぼけた青年、魞沢泉が活躍する連作集第二弾『蟬かえる』で第74回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)と第21本格ミステリ大賞を受賞、初長編となる警察小説『失われた貌』では手練れのような語り口と怒濤の伏線回収を披露。物語を読んでもピンとこない子どもだったという櫻田さんは、どんな作品に惹かれてきたのか。その読書遍歴や好きな作品への思いをたっぷり教えてもらいました。

その8「初長篇、その後の読書について」 (8/8)

  • 失われた貌
  • 『失われた貌』
    櫻田智也
    新潮社
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  • サーチライトと誘蛾灯 (創元推理文庫)
  • 『サーチライトと誘蛾灯 (創元推理文庫)』
    櫻田 智也
    東京創元社
    792円(税込)
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  • 蝉かえる (創元推理文庫)
  • 『蝉かえる (創元推理文庫)』
    櫻田智也
    東京創元社
    814円(税込)
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  • 対岸の彼女 (文春文庫)
  • 『対岸の彼女 (文春文庫)』
    光代, 角田
    文藝春秋
    704円(税込)
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  • 永い言い訳 (文春文庫 に 20-2)
  • 『永い言い訳 (文春文庫 に 20-2)』
    西川 美和
    文藝春秋
    715円(税込)
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――新潮社の新井久幸さんとのお約束というのが、新作の長篇『失われた貌』なのですね。

櫻田:新井さんは『サーチライトと誘蛾灯』が出た直後に連絡をくださったんです。そんな人は新井さんしかいなかったのでお会いしたんですが、「東京創元社で何冊か出すまで待ってください」と言って、はや8年みたいな感じになってしまって...。会わせる顔がないなと思った時期もありましたが、いつも気さくに声をかけてくださって、それに救われ続けてきました。
2018年にはじめてお会いした時に「次の『蟬かえる』も短篇集なんです」というお話をしたら、「じゃあこちらでは長篇を書き下ろしでやりましょう」という話になったんです。
僕は最初から、長篇をやるならアマチュア探偵ではなく刑事ものをやりたいなと思っていたんです。ただその時は1冊目を出したばかりだったので具体的な話にはならず、ご挨拶させたいただいただけで、本当に具体的に話を進めていきましょうとなったのは、そこから6年を経た去年の8月でした。

――職業探偵ものがお好きだったこともあり、自然と刑事が主人公となったわけですか。

櫻田:そうですね。一度、若林踏さんとの対談企画で、亜愛一郎以外に好きな名探偵はいますかと訊かれた時、僕は答えられなかったんですよ。それで、亜を除くと、どうも僕が好きなのは「名探偵」と呼ばれるようなタイプの人たちではないなと気づいたんです。それってつまりアマチュア探偵ではなく、職業探偵が好きということだなと思って。モース警部だったり、アルバート・サムスンだったり。原尞さんの沢崎も私立探偵だし。
アマチュア名探偵の話だと、混迷を極めたあげくに名探偵が謎を解き明かすスタイルが多いと思うんですけれど、僕が好きなのは、トライアンドエラーを繰り返しながらも着実に進んでいるという実感が得られるタイプの推理小説なんですよ。それこそ最初に読んだ十津川警部ものも、犯人がこの人だと分かっているなかでアリバイを崩すためにうろうろしながら情報を集めていったりする。そういう足取りを楽しむ推理小説が僕は好きなんですよね。長篇を書くなら、自分もそれをやりたいと思いました。

――『失われた貌』の主人公は、J県媛上警察署捜査係長の日野雪彦。家族は妻と中学三年生の娘です。山中で顔を潰された死体が発見されて捜査を進めるなか、彼の周辺では同時進行でさまざまな出来事が起きる。それぞれが少しずつ作用しあっていく過程がめちゃめちゃ面白かったです。ものすごく濃密で、これが本当に初の長篇なのかという。

櫻田:長篇を書き上げたのははじめてでした。最初、新井さんに「月刊櫻田」みたいな感じで、毎月原稿をお送りしたんです。最初の短篇集を出すのに3、4年かかりましたが、そんなにお待たせするわけにはいかないし、とにかく一回形にしたほうがいいなと思い、本編を書き進めて毎月お送りしました。新井さんは「プロットが送られてくると思っていたら原稿が届いたので驚いた」と言っていますけれど。それでいただいたアドバイスを反映して前の部分を直しながら、ようやく全編をお送りできたのが今年の2月でした。だから丸半年くらい「月刊櫻田」をやったと思います。今の分量より結構長くて、そこからは削る作業でした。ただ、新井さんから「ここをもうちょっと推理として読ませてほしい」とか「この人物のことをもっと知りたい」という指摘を受けて、逆に膨らませた箇所もあります。

――警察の人間や事件の関係者、さらに町の住民などいろんな人が登場しますよね。曲者っぽい弁護士の剣菱やバーのマスターなど、この人出てくると絶対面白いシーンになると思わせるキャラクターもたくさんいる。

櫻田:剣菱を挙げてもらえるのは嬉しいです(笑)。

――日野が語り手である地の文も会話部分もめちゃくちゃ面白くて、ずっと読んでいたくなりました。結構ユーモアもありますよね。地の文で声出して笑った箇所もありました。

櫻田:そういってもらえると嬉しいです。僕がハードボイルドタッチな小説が好きなのは、とにかく読んでいて面白いからなんです。この世界にずっと浸かっていてもいいなと思える推理小説が好きなんですね。それに、笑える部分は入れたいんですよね。最初はもっと過剰で、抑えなさいと新井さんに言われました(笑)。

――そして、もう、後半は伏線回収がものすごくて。

櫻田:当初は海外ミステリーの「あ、これ伏線かと思ったのに関係なかったんだ」という感じがもうちょっとあったんです。ただ、捜査を進める過程で登場人物が際限なく増えてしまうので、それまでに出てきた人物のエピソードを利用したことが伏線回収になった部分もあります。前半で作為なく書いていたものが後半になって「あ、伏線回収に使える」となったものもありますし。

――これ、シリーズ化を考えていたりします? 期待してしまいますが。

櫻田:あ、いや......。本当に書き終えて本になるまではとてもじゃないけれど余裕はなく、何も考えずに書いておりました。

――さて、執筆時間など、一日のタイムテーブルって決まっていますか。

櫻田:全然ルーティンというものがなくて。ルーティンがないからこんなに書く時間がかかっているんですけれど、書く時はずっと書いているし、今日は全然書けないって時はもう書かない、という感じです。

――じゃあ、朝型夜型もない感じですか。

櫻田:ああ、ちょっと前までは会社勤めしていたので朝起きていましたけれど、今は若干寝坊して深夜まで起きている感じです。でも、よっぽど追い詰められていないと宵っ張りで仕事をすることはないですね。

――本を読む時間はありますか?

櫻田:僕は小説を書いている期間は本が読めないんですよね。読む時間があるくらいなら書く時間にあてたい、というのもありますけれど、人の小説を読むと自信を失っていく気がして。今は『失われた貌』を書き終えたところなので、少しずつ読んでおります。

――デビュー後の読書で、印象的だった作品があれば教えてください。

櫻田:デビューした後で苦しんでいる時にミステリー以外の小説に手を伸ばすようにしていたことはお話ししましたが、その時に好きだったのは、角田光代さん。『対岸の彼女』がすごく面白くて、そこから立て続けに何冊か読みました。それと、僕がとても好きなのは西川美和さんの『永い言い訳』なんです。

――西川さんの監督・脚本で映画もありますよね。

櫻田:僕はあの小説が好きすぎて、映画が怖くて観れてないんです。文章を読んで大泣きしたのは『永い言い訳』が最初で最後な気がします。本を読んでしんみりくるとか、ジーンとする、みたいなことはあったとしても、公園のベンチかどこかで読んでいて屋外でボロボロ泣いたのはこの本だけです。主人公に共感してどうこうということじゃなくて、あるシーンでなんか、いたく感動して大泣きをしてしまったんです。今でも、たまにそこだけ読み返して泣くという楽しみがあるんですけれど(笑)。
話のスタートは本当にしょうもないんですよね。自分が不倫の逢瀬をしている最中に、妻が事故に遭って死んでしまう。そんな話なのになぜ、俺はこんなに感動しているんだろう、みたいな感じもあって。なんか、忘れられない一作ですね。

――櫻田さんが大泣きしたのって、どこのシーンでしょう。

櫻田:事故の遺族説明会で知り合い、親しくなった男性が、あるトラブルを起こすんですね。それを聞いた主人公が夜の町を駆けるシーンがあって、そこがまあたまらなかったですね。
これは、主人公が自分の真の姿を受け入れていく、みたいなことが描かれた小説だと思うんですけれど、わりとユーモアある文体で、ぜんぜん悲愴感がないんです。読み口としてはかなりライトなんですけれども、それでいて圧倒的な感動を呼び起こすのが、なんか、すごいなあと思います。

――さて、今後の執筆のご予定は。

櫻田:東京創元社の「紙魚の手帖」の10月号に魞沢ものの短篇を寄せることになっているので、今そのために頑張っているところです。

(了)