第279回:櫻田智也さん

作家の読書道 第279回:櫻田智也さん

2013年に「サーチライトと誘蛾灯」で第10回ミステリーズ!新人賞を受賞しデビューした櫻田智也さん。昆虫好きのとぼけた青年、魞沢泉が活躍する連作集第二弾『蟬かえる』で第74回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)と第21本格ミステリ大賞を受賞、初長編となる警察小説『失われた貌』では手練れのような語り口と怒濤の伏線回収を披露。物語を読んでもピンとこない子どもだったという櫻田さんは、どんな作品に惹かれてきたのか。その読書遍歴や好きな作品への思いをたっぷり教えてもらいました。

その3「ブラウン神父の魅力」 (3/8)

  • 十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫 あ 52-14)
  • 『十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫 あ 52-14)』
    綾辻 行人
    講談社
    946円(税込)
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  • 時計館の殺人<新装改訂版>(上) (講談社文庫 あ 52-23)
  • 『時計館の殺人<新装改訂版>(上) (講談社文庫 あ 52-23)』
    綾辻 行人
    講談社
    792円(税込)
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  • 新装版 密閉教室 (講談社文庫 の 7-10)
  • 『新装版 密閉教室 (講談社文庫 の 7-10)』
    法月 綸太郎
    講談社
    902円(税込)
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  • 新装版 長い家の殺人 (講談社文庫 う 23-11)
  • 『新装版 長い家の殺人 (講談社文庫 う 23-11)』
    歌野 晶午
    講談社
    858円(税込)
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  • 新装版 8の殺人 (講談社文庫 あ 54-11)
  • 『新装版 8の殺人 (講談社文庫 あ 54-11)』
    我孫子 武丸
    講談社
    726円(税込)
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  • 黄色い部屋の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
  • 『黄色い部屋の謎【新訳版】 (創元推理文庫)』
    ガストン・ルルー,平岡 敦
    東京創元社
    1,012円(税込)
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  • ブラウン神父の童心【新版】 (創元推理文庫)
  • 『ブラウン神父の童心【新版】 (創元推理文庫)』
    G・K・チェスタトン,中村保男
    東京創元社
    814円(税込)
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――埼玉大学を進学先に選んだのは、どういう動機があったのですか。

櫻田:いちばん大きいのは、いずれ戻るにしても一度は北海道を出てみたかったということですね。親元を離れて暮らしてみたかったし、このまま北海道の大学に進んで就職したら、もう一生北海道から出ないかもしれないなと思って。私立に行けるような経済状況でもないから国公立から選ぶことになるんですが、僕は理系を選択していたのに数学が壊滅的にできなかったんです。算数はできたけれど数学になったとたんにもう何を言っているかが全然分からなくなっちゃって。数学ができないから当然物理はできないんですけれど、生物と化学はできて、で、相変わらず国語だけは抜群にできたんです。生物学がやりたい気持ちがあって、関東のあたりで行けそうな大学を探してみたら、埼玉大学の試験の点数配分が数学と英語が低くて生物と化学が高かったので、ここなら受かるのではないかっていう。そういう理由でした。

――入学してからは寮生活だったのですか。

櫻田:そうなんです。僕は大学院までいたので、6年間学生寮に住んでいました。なのでずっと二人部屋で、二人暮らしでした。

――その頃の男子学生寮というと、毎晩お酒飲んだり麻雀やったりしているイメージが...。

櫻田:まさにそうでした。僕は麻雀ができないので参加しませんでしたけれど、麻雀部屋とされている部屋がありました。各階に学部8年生とかのボスみたいな人がいてフロアごとに特色があって、異界というか、すごい世界でした。
僕も学生寮に馴染み過ぎてしまって、学校に行くより寮にいる時間が長いタイプだったので、本を読む時間はありました。自炊しないから食事はコンビニで買ってばかりで、たしかよく行っていたコンビニに綾辻行人さんの『十角館の殺人』があったんです。僕らの世代はみんな御多分に漏れず読んでいると思うんですけれど、その時僕は綾辻行人という名前も新本格というジャンルも知らなかったんです。なにか推理小説を読みたいなと思っていたらタイトルに「殺人」と入っている本があったので、なんの気なしに手に取って読んでみたら、これがとても面白い。ああ、こういうやり方があるのかと感動しました。その当時綾辻さんの作品は5作目の『時計館の殺人』まで文庫になっていたのかな。そこまで一気に読んで、そこから講談社文庫で法月綸太郎さんの『密閉教室』や法月綸太郎シリーズ、歌野晶午さんの『長い家の殺人』、我孫子武丸さんの『8の殺人』といった講談社文庫を読んでいきました。当時の僕は、単行本とか文庫といったシステムをよく分かっていなくて、新本格はすべて文庫で出ているという認識でした。それで新本格と書かれている講談社文庫を買って読み漁っていきました。
『十角館の殺人』の登場人物はお互いを海外のミステリー作家の名前で呼び合っていますよね。そこでそういう作家がいるんだと知り、じゃあその作家の本を読もうと思って、最初に手に取ったのが、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』でした。それがまた僕にはいたく刺さったというか。面白かったですね。そこから海外の古典にも手を出すようになりました。なので現代ものは講談社文庫、海外の古典は創元推理文庫という二本柱でしばらく読んでいました。
当時の創元推理文庫って、なんか、作品の紹介文の煽り的な文句がなかなか強烈というか、そそってくるんですよ。今思うと多少大げさではないかと思うところもあるんですけれど(笑)、それでどんどん読み進めていっちゃって。ただ、僕はあまのじゃくなので、いきなりメインには行きたくない気持ちがありました。それで『十角館の殺人』に出てくる名前の中でもエラリーとかでなくルルーにいったんだと思います。その流れで、「俺はホームズにいきなり行かずにその周辺から探ってやるんだ」みたいな感じで、チェスタトンのブラウン神父のシリーズを読み始めたんです。当時の創元推理文庫では、「ホームズのライバルたち」みたいな紹介のされ方だったと思います。それでブラウン神父のシリーズを読み、ものすごく好きになって。いまだに海外のミステリーで何が好きからと訊かれたらチェスタトンだと言っています。

――なぜそこまでブラウン神父に惹かれたのでしょうか。

櫻田:まず、ヒーローっぽくないヒーローが好きだったのと同じように、名探偵っぽくない探偵というところです。「どうだ」といわんばかりの謎解きはしないんですよね。罪を暴くことを目的にしているわけではなく、なにかに巻き込まれたとか、たまたまそばで事件が起きたから解いちゃうという、そのさりげなさがすごく面白いなと思いました。
それと、『ブラウン神父の童心』に収録された「青い十字架」なんかが特徴的だと思いますけれど、視点人物は最初、ブラウン神父のことを間抜けでのろまな奴だと思うんですよね。でもブラウン神父が謎解きを終えた時に、視点人物の中に新しい見方が入ってきて、最後に神父に対して敬意を示そうとする。そこに僕はいたく感動しました。謎を暴いた先に、語り手が新たな見方を手にして物語が終わっている、そこに成長みたいなものを感じたし、読者として納得感みたいなものを得られたんですよね。自分もそういうものが書きたいというのは常に思っています。

――その頃、ミステリーを書きたいという気持ちはもう芽生えていたのですか。

櫻田:大学1年2年の頃はなかったと思います。どうやったらこんなことを思いつくのかという驚きでミステリーを読んでいて、自分に思いつくわけがないと感じていました。それでも長くミステリーを読んでいると書きたくなってくるんですよね。音楽を聴いてバンドマンになりたいと思うのと同じで、憧れに近づきたくなるというか。大学の後半、4年の時だったかな、ちょっとチャレンジしました。50枚くらいの短篇を書いて、オール讀物推理小説新人賞に応募したことがあります。それが、はじめて物語を最後まで書いた経験だったと思います。新本格の影響を多分に受けた話で、でもどこかの島に行くわけではなく、街中で起こる事件の話だったんですけれど。叙述トリックみたいな書き方を使った短篇でした。もはやデータも何も残っていないので、僕も記憶がおぼろげですが、名探偵っぽい人間が出てくるんじゃなくて、ちょっとリアリティー寄りのものだった気がします。学生時代は、他には阿刀田高さんのショートショートの賞に何本か送って一回予選通過に名前が載ったくらいです。

――ちなみに大学ではどんなことを専攻されていたのですか。

櫻田:生物学なんですけれど生き物を観察するような研究ではなく、分子生物学といってDNAなどを調べて仕組みを研究する分野を専攻しました。遺伝子がどんなタンパク質を作って、その結果としてどういうことが起きているのか、とかを調べるんです。分子レベルで解析しようとするので分子生物学と呼ばれていると思うんですけれど。

――大学院にも進まれたんですね。

櫻田:はい。結局ものにはなりませんでしたけれど、何か研究職的な仕事に就けたらいいなと思っていたので修士課程で2年追加しました。大学の学部の卒業研究って、4年生の1年間だけではやったかやらないか分からないくらいの実験しかできないんですよね。なので、自分でちゃんとやったと思えるように、修士までいって終わりたいなという気持ちもありました。

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