第279回:櫻田智也さん

作家の読書道 第279回:櫻田智也さん

2013年に「サーチライトと誘蛾灯」で第10回ミステリーズ!新人賞を受賞しデビューした櫻田智也さん。昆虫好きのとぼけた青年、魞沢泉が活躍する連作集第二弾『蟬かえる』で第74回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)と第21本格ミステリ大賞を受賞、初長編となる警察小説『失われた貌』では手練れのような語り口と怒濤の伏線回収を披露。物語を読んでもピンとこない子どもだったという櫻田さんは、どんな作品に惹かれてきたのか。その読書遍歴や好きな作品への思いをたっぷり教えてもらいました。

その6「会社勤務の傍らライターとなる」 (6/8)

――ところで修士を終えた後は、就職されたのですか。小説は書いていたのでしょうか。

櫻田:最初の就職先に3年勤めて、そこを辞めて転職しようかどうしようかという時に、短篇を一篇書いて東京創元社の短編賞に送ったんです。当時は「創元推理」という文庫サイズの雑誌があって、その創元推理短編賞に応募して、一次は通ったけれど最終には残らなくて。それでやはり転職してサラリーマンを続けていくしかあるまいということで、転職をしました。神奈川県に本社がある会社に入ったんですけれど、そこが岩手に工場を作ることになり「行ってこい」ということで、岩手に転勤になりました。
工場の立ち上げだったんで、めちゃくちゃ忙しかったんです。早朝から深夜まで働いて、土日もない感じでした。その後2年くらいして結婚もしたので、本を読む量も減っていましたし、小説を書こうという気もなくなってはいたんですけれど、やっぱりあまりにも会社ばっかりの生活が続いていたのでなにか違うことをやりたくなったんですね。
その頃、「デイリーポータルZ」というサイトを面白く読んでいたんですけれど、その片隅に「ライター募集」みたいな告知があったんです。ふーんと思って。子どもの頃、漫画家の次に僕がなりたいと思っていたのが、清水義範さんや中島らもさんのような面白い文章を書く人だったんです。「デイリーポータルZ」でライターをすればそれが叶えられるなと思いました。
記事の書き方も分からなかったんですけれどWordに適当に写真と文章を貼り付けて送ったら、何か月か後に「試しに載せるので、ほかの記事を書いてみませんか」みたいなお返事がきて、それがきっかけでレギュラーで書かせてもらえるようになりました。僕にとって原稿料をいただくという、はじめての経験でした。仕事が忙しいのにそんなことを始めてしまったおかげで、なおさら忙しくなったんですけれど。
「デイリーポータルZ」に共感したのは、基本的にライターの匿名が禁止だったんですよ。結局ライター名を使っている人もいますが、基本的に本名で、ライターの写真も自分の顔を出してほしいということでした。それで名前と顔を出して記事を載せてもらうようになって、それは3年か4年続けました。

――面白い文章を書くのって、すごく難しいと思うんですが。

櫻田:正確にいうと、自分の場合は文章だけで笑わせるというよりは、記事全体で馬鹿なことをして笑ってもらう、というものでした。「デイリーポータルZ」の記事がすべて馬鹿なことをしているわけではなくて、変なこと担当みたいな人が数人いるんです。「〇〇にチャレンジしました」みたいな記事で、変わったことをして、写真を撮ってキャプションをつけて、ちょっと変わった地の文があって...みたいな。

――今でも櫻田さんが書いた記事は読めるのでしょうか。

櫻田:やめたほうがいいですよ! 10年以上も前のものですし! あの、すごく馬鹿なことをやっているんです。岩手で真面目に食品会社の品質保証部の会社員をやっていて、その傍らで週末ごとに同じ町でわけのわからない写真を撮って歩いていたんです。ある時、仕事のトラブルで保健所さんのお世話になることがあって、いろいろ見てもらって、真面目に事情などを説明したことがあったんです。退職して北海道に戻るとなった時に、その保健所の方に「いろいろお世話になりました」とメールを送ったら、返信に「じつは『デイリーポータルZ』の読者でした」みたいなことが書かれてあって。僕がその人の前で真面目くさって工場の説明をしていた時、その人はずっと厳しい顔だったんですよね。でもじつは「デイリーであんな馬鹿なことをしている人が、真面目くさって説明してるなあ」とか思っていたのかと思ったら、もう本当に深夜にパソコン見ながら大汗をかきました。

――そういう記事も書いていたけれど、やっぱり小説も書きたい、という気持ちが生まれていったのでしょうか。

櫻田:震災が大きかったんです。2011年に震災があって、2012年くらいには会社を辞めようと決めて、1年くらいかけて引継ぎなりなんなりをし、2013年に辞めて北海道に来たんです。別に転職先を見つけたわけではなくて、疲れもあったしひとまず休もうと思い、全然次の仕事も決めていませんでした。岩手で馬鹿な写真を撮り続ける気持ちにもなれなくて、震災直後に「デイリーポータルZ」も辞めていました。
北海道でまた仕事を探すのか、それとも何か違うことにチャレンジしてもう一回気持ちを立て直すのかと考えた時に、「デイリーポータルZ」で文章を書いていたこともあり、またちょっと小説欲が出てきたんです。昔目指したものにもう一回チャレンジしてもいいかなということで、2012年に東京創元社のミステリーズ!新人賞に応募して、それは落ちたんですけれど2次選考くらいは通してもらえたので、だったらもう1年頑張ったらものになるかもなと思い、次の年までに作品を練り、応募した短篇で新人賞をもらいました。北海道に来て、ハローワークに通っている時期に新人賞を獲りましたという連絡をいただきました。

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