作家の読書道 第290回:夕木春央さん
2019年にメフィスト賞を受賞した『絞首商會』(応募時のタイトルは「絞首商會の後継人」)でデビュー、2022年刊行の『方舟』が大ヒットした夕木春央さん。古典的なミステリの名作を時代順に読んできたという夕木さんの好きな作家と作品、小説を書き始めたきっかけは? 自作についてもたっぷりおうかがいしました。
その3「古典を時代順に読む」 (3/7)

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- 『密告者 (光文社文庫)』
- 高木 彬光
- 光文社
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――中学校を終えて、高校には行かずに?
夕木:そうです。完全に無気力になってしまって。両親は高校に行かせようとしていたはずですがそうもいかず、家にいました。本を読む以外、何かをやる気もなく。人の少ないときを選んで散歩をしたりとかはしました。
――ご両親との確執もあるなか、大変だったのではないかと思ってしまうのですが。
夕木:まあ大変でした。紆余曲折あって20歳くらいの時に家を出ました。今はもう、いろんなことが解消していて、両親との関係も改善されています。
――では、10代半ばからの読書といいますと。
夕木:その頃は乱歩以外の変格探偵小説を読んでいました。有名なところでいうと夢野久作とか、小栗虫太郎とか。それこそ夢野久作の『ドグラ・マグラ』はそういう時期、そういう状況で読むとすごく効くんですよ。あれは絶対的な影響を受けた作品のひとつです。
その流れで「新青年」など戦前の雑誌に掲載された作品のアンソロジーを買って読んでいました。たしか70年代くらいに戦前の怪奇幻想もののリバイバルがあって、結構いろんなところから出ていたんです。
鮎川哲也も双葉社から『怪奇探偵小説集』(現在ハルキ文庫から復刊)を全3巻で作っていて、それがすごくいい内容でした。
――海外作品はいかがですか。
夕木:10代のその頃、いちばん古典文学を読んでいました。スタンダールの『赤と黒』はラストシーンがものすごく鮮烈でした。他にはドストエフスキーの『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とか。作中の要素要素はいまだに自分の中に残っているんですが、10代の頃に読んでどこまで理解していたか微妙なので、今感想を言うとボロが出そうです(笑)。
――ちなみにその頃は、本格や新本格にはまったく触れず?
夕木:何も知らずに怪奇幻想ものを読んでいました。いわゆる本格に出合ったのは、怪奇幻想ものの流れで戦後の横溝正史作品を読んで、ですね。こういうものがあるんだと思って、そこから高木彬光、山田風太郎に触れて、いわゆる黄金期の本格の古典を読み、さらに遡ってポーなどを読みました。ミステリは特に、有名作を年代順に古いものから少しずつ順に読んできたところがありますね。
この頃に読んだ大坪砂男の『天狗』という短篇は強烈に印象に残っています。かまいたちに遭ったような感覚でした。一体何を読まされたんだ、となるようなお話なんですけれども。たったこれだけの分量でこんな衝撃を残すことができるのか、という短篇でした。
――高木彬光や山田風太郎はどの作品好きですか。
夕木:高木彬光は、本格ミステリとしてはやっぱり、よく言われる『人形はなぜ殺される』がいちばん印象に残っています。高木彬光はとにかく作品数が多いですよね。角川文庫でも80冊くらいありました。昔は時間が無限にあると思って順番に読んでいたんですけれど、途中でこれは限りがないと気づいてやめました。好みの作品を挙げると、定番ですが『白昼の死角』。それと、『密告者』という長編がすごく好きです。なぜ好きかを説明してしまうとネタばらしになってしまうんですけれど。高木彬光はすごく器用にいろんなものを書いているようである種ベースにいわゆる古典的な本格の発想があった人だと思っています。『密告者』はそういう作家性が浮き彫りになった長篇なんですよね。
――山田風太郎はどうですか。彼もいろんな作風の作品を書いていますよね。
夕木:僕の中では山田風太郎はミステリ作家としての印象がいちばん強いです。『妖異金瓶梅』や『明治断頭台』は、今自分がミステリの打ち合わせをしていてもしょっちゅう引き合いに出してしまいます。すごく型破りな発想で書かれたミステリなんですよね。具体的に説明するとネタバレになるので記事には書けないと思いますが、めちゃくちゃ影響を受けています。
――ではミステリの書き手として影響を受けているのは、山田風太郎になりますか。
夕木:いちばんに出てくるのは山田風太郎かなと思います。あとはチェスタトンの系統の逆説の趣向の作品ですね。日本でいうと連城三紀彦とか泡坂妻夫といった作家が、直接的な影響というところでは大きいです。
――それらの作家はおいくつの頃に読まれたのですか。古いものから時系列順に読まれて現代作家にたどり着いたわけですよね。連城さんはぎりぎりご存命だったのでは。
夕木:時系列に読んで、20代に入るくらいの頃だと思います。たしかに、連城さんはご存命でした。
――チェスタトンもお好きなんですね。夕木さんのデビュー作の『絞首商會』のエピグラフには、『木曜日だった男』からの引用がありますね。好きな作品なのですか。
夕木:ミステリとして優れていると思うのはやはりブラウン神父ものの1冊目、『ブラウン神父の童心』なんですけれど、好みでいうと『木曜日だった男』ですね。個人的に自分が面白く思うミステリって、現実によるものからお話が始まっているのに、それを組みあわせていくうちに自然と現実から逸脱してしまうところに重きを置いているんですね。チェスタトンの『木曜日だった男』はまさにそういう長篇です。現実を舞台にしていながら、奇妙な論理などによって、現実にあるものの組み合わせが非現実的なところに帰着してしまうという。
――泡坂さんと連城さんの作品ではどれがお好きですか。
夕木:泡坂妻夫は短篇なら『亜愛一郎の狼狽』だと思います。連城三紀彦はどれかひとつと言われたら、やっぱり『戻り川心中』を挙げますね。
――どちらもミステリとしてのアイデアが素晴らしいですが、『亜愛一郎』はユーモラスな作風で、『戻り川心中』は流麗な文章ですよね。
夕木:連城作品はあの文章の美しさがないと、あの逆説的な部分の説得力が出ないはずなんですよね。僕はミステリ的なアイデアと小説的なものが不可分になっているものが好きで、連城さんはその典型かなと思います。
――ミステリ以外で、印象に残っている作品はありますか。
夕木:三島由紀夫の『豊穣の海』はすごく鮮烈でした。作者の意図をどこまで汲み取っているかは自信がありませんが、ただ、あれはある意味アンチミステリ作品に通じる強烈な酩酊感を抱かされるんですよね。 それと、書き手として影響を受けてよいお話ではないかもしれませんが、大西巨人の『神聖喜劇』。明確なストーリーがありつつ、そこから脱線とはまた違うんですけれど、ひたすらディテールが積み上げられていく。延々と異常に解像度が高いお話なんですよ。どうすればこれが書けるのかまったく分からない、みたいな作品なんです。それと、稲垣足穂の『一千一秒物語』も好きです。
――あ、足穂は意外な気がします。
夕木:大正時代に発表された作品だからというわけではないんですけれど、僕が惹かれていたロマンティシズムみたいなものが一番純粋な形で結晶化された作品だと思います。論理もなにもない散文詩のような、でも一応お話である、みたいな作品ですけれど、それがすごく心地よかったんです。もしかしたら人生で読み返した回数ではいちばん多いかもしれないです。デビュー前にオマージュ作品を書いたことがあるくらいです。モチーフを借りて、それに似たようなものを書きました。今後世に出す機会があるか分からないですけれど。
――そうなんですか! この先そうした作品も書いていきたいというお気持ちは。
夕木:そうですね。自分の原体験が、ロジカルではない、いわゆる変格ミステリなので、そういうものに対する思い入れはあります。















