作家の読書道 第292回:佐原ひかりさん
2019年に「きみのゆくえに愛を手を」で第2回氷室冴子青春文学賞大賞を受賞、2021年に同作を改題した『ブラザーズ・ブラジャー』でデビューした佐原ひかりさん。青春小説にとどまらずさまざま角度から登場人物の繊細な機微を描き出す著者は、どんな作品を愛読してきたのでしょうか。小説はもちろん、好きな漫画や映画についても、たっぷりおうかがいしました。
その4「部誌の締切に追われた高校時代」 (4/8)
――高校時代の読書はいかがでしたか。
佐原:高1のはじめに席が隣になった男の子がすごく本好きで、その子と3年間本の貸し借りを続けたんですけれど、ほとんど喋ったことがなかったですね。メールで「明日何々を持っていく」という連絡をして廊下でサッと交換する、みたいな。それを卒業するまでずっとやっていました。私は彼に京極夏彦さんの京極堂シリーズを貸し、向こうからは坂木司さんの本を貸してもらったりしました。
私はそれまで「世界がピンチだ!」みたいなスペクタクルの本ばかり読んでいたので、日常の謎解きみたいな本を読むのがはじめてで、「こんなのあるんだ」と思って。坂木さんの本はその子から全部借りました。ひきこもり探偵の『青空の卵』とか、『シンデレラ・ティース』とか。
――佐原さん、京極堂のシリーズも読まれていたのですね。
佐原:母親が好きだったのか、家にあったので私も読んでいました。私は榎木津が好きです(笑)。
――高校では部活に入っていましたか。
佐原:文芸部と図書部に入りました。図書部は、学校に図書委員がない代わりにこの部活がある感じで、カウンターに座ったり、図書広報を出したりと、図書委員のようなことをしていました。なので、高校の図書室も結構利用していました。
文芸部で図書部というとめちゃめちゃ本が好きという印象を持たれると思うんですけれど、違うんです。動機が不純なんです。なにかしら部活に入りたかったんですけれど、上下関係が嫌で。運動部は無理だから文化部で、できるだけ先輩のいない部活に入りたいと思いながら部活動紹介冊子みたいなものを見ていたら、文芸部は3年生の先輩一人だけだったんですよ。私たちの高校って5月の文化祭で3年生は引退なので、1か月耐えれば1年生しかいなくなる状況だって気づいて入りました。そうしたら同じことを考えていた子があと7人もいたんです。廃部寸前だったのに8人も集まったら活動をしないといけない感じになり、部誌を作ることになったんですけれど、私たち全員何の心得もなかったので、「部誌は2か月に1回作ればいいんじゃない」となりまして。そのせいで2か月に1回短篇を書き、さらに文化祭と文化部発表会でも部誌を出していたので、締切に追われることになりました。私、今現在は徹夜してまで小説を書くことはないんですけれど、高校の時は普通に徹夜して小説を書いていました。締め切りに間に合わない!って言いながら。しかも、あみだくじで負けて部長になっちゃったんですよ。
部活は一応週3回活動していたんですけれど、書くことって基本家でやるので、部活では教室に集まってUNOをしたりお菓子食べたりしていました。8人中4人が数学部と兼部していたので、その子たちは前の黒板で数学オリンピックの問題を解いたりしていました。変な部活動でした。
――それがはじめての小説創作活動なわけですよね。書けました?
佐原:書けましたね。印象に残っているのが、違うクラスの知らない男の子から急に手紙を渡されて、ラブレターかと思って開けたら、その子のお母さんからの手紙だったんです。文化祭で配った部誌の一篇を読み、それがすごく好きだったっていう。いわゆる初のファンレターをいただきました。
――どんな短篇だったのでしょう。
佐原:昔ネットに公開していたんですけれど、元の話はちょっと違うかもしれません。「夏眠」という話で、仲良かった三人組の一人の男の子が亡くなってしまって、残された男の子と女の子の話、みたいな。
――高校時代に印象に残っている本はありますか。
佐原:高校の頃、個人の人が経営している予備校みたいなところに通っていたんですけれど、そこの先生というのが武蔵野美大と東京理科大を出て、昔出版社で働いていたというおじいちゃん先生だったんです。私たちが授業をやっている後ろで美大受験の子がデッサンしているんですよ。ちょっと不思議な予備校でした。
その先生が、澁澤龍彦とか種村季弘とかの本を置いていたんです。私は現代文学以外はあまり読んでこなかったんですけれど、そこではじめてそれらの本を読みました。先生は「ええか。澁澤を読むんはええけど、澁澤に傾倒しとる男とは結婚したらあかんで」みたいなことを言っていました。その先生、「佐原は将来小説家になるからな」ってめっちゃ言っていたんですよ。当時私は小説家になるつもりはまったくなかったから、「先生何言うてんの」という感じだったんですけれど。
――どうして先生は見抜いていたんでしょうねえ。小論文とか?
佐原:私、国語の出来が異様に良くて、高1の時から高3の受験生のクラスに入って、二次の論述問題を解いたり、小論文を書いたりしていたんです。もしかしたら、そういうのを見てくれていたのかもしれないです。
――でもご本人は小説家もいいかな、とは思わなかったのですか。
佐原:思わなかったですね。短篇を書いているといっても部活動だと思っていたし、勉強のほうが好きだったんですよね。部活がない日や部活が終わった後はその予備校に行って、そこで最後まで過ごしていました。なので一般的な青春の記憶があんまりなくて。街で遊んだ記憶が一回もないんです。友達と寄り道したとか、友達と休日にどっかで遊んだ記憶が本当にないんです。
真面目に勉強していたつもりなんですけれど、卒業した後に「佐原よく阪大に受かったよね」「あんなにさぼってたのに」みたいなことを予備校の子たちに言われました。「今日ちょっと流星群流れるらしいから公園に見にいってくるわ」と言って予備校の授業を途中で抜けたりした記憶はあるんですけれど。予備校にピザを配達してもらったり、炊飯器でご飯を炊いたり、みんな結構むちゃくちゃなことをしていましたけれど。
ただ、青春ものを書く人間として、高校生として放課後や休日にどういう遊び方をしたかの記憶がないので、そこはちょっと困るなと思ってはいます。
――勉強が好きだったというのは、とりわけ好きな教科があったのですか。
佐原:理系科目はあんまり好きじゃなかったです。結局は物語のある教科が好きでした。現代文、古典、日本史はめちゃ好きでしたね。図書館に行って古典に出てくる作品の現代語訳を全部読んで憶えたりしました。倫理も好きでした。とにかくストーリーがあると憶えられるし、楽しかったので。


