『星月夜』李琴峰

●今回の書評担当者●精文館書店中島新町店 久田かおり

 本を読み終わった後、すぐに感想を書きたい派である。物語が自分の中で温度を持っているうちに一気に思いを言葉に変える。そして一晩寝かせたあと文章を整える感じ。

 けれど今回は読み終わった後、この一冊の本に対する言葉を勢いで出すことにものすごい抵抗を感じた。
 うわっつらの言葉で語ることができない大きな何かのカケラしか見つけられなくて、それを自分の中から探したくてしばらく漂っていた。
 今もまだその何かを見つけられたとは思えないけれど、それでもこの一冊を、この一冊を必要としている誰かに届けなきゃ、と思っている。

 自分が普段どんなにいい加減に「中国」という国をとらえていたか、にまず愕然とした。
 中国も台湾も香港も新彊ウイグル自治区も、まるっとまとめて「中国」と言ってきた。そこに住む人は「中国人」と。
 そこで国がどんな政治をしているか、人々が何を信じ、どんな生活をしているか、どんな言葉を話しどんな文字を書いているか。何も知らない、知ろうともしてこなかった。すぐ隣に暮らす人たちなのに。

 例えば名前の読み方ひとつとってもそこにはそれぞれの読み方や発音や意味があったのだ、と今更ながら。日本では漢字で書かれたその名前を彼らの発音とは違う音で呼ぶことも多い。
「名前」それはヒトがほかの誰でもない自分であるというしるし。それをあまりにも軽視していた気がする。

 そして、最近自分の身の回りにもたくさんいる彼ら彼女たちが何をするためにここに来たのか、何を求めてここにいるのか、も知ろうとしてこなかった。ただ単に「中国から来た人たち」という名札を貼り付けてみていただけだった。

 日本の大学で留学生たちに日本語を教えている台湾人柳凝月、新彊ウイグル自治区から留学してきて大学院を目指す玉麗吐孜(この名前の読み方も日本語、漢語、ウイグル語それぞれ違う)、二人の女性が、日本で日本語を通して知り合い、お互いに必要としあい、そしてその関係が変化していく過程が描かれる。

 二人は日本に住む日本人じゃない人たちで、同性愛者だ。いくつも重なる少数派のレッテルを背負って生きている。彼女たちの間には、本当はもっと言葉に、日本語に出来ない、だから私には理解できない思いがあるはず。それを読みきれないことに忸怩たる思いを感じる。

 ヒトとヒトが分かり合うために必要なもの。言葉がなくても分かり合える、と言うけれど、それもある意味真実ではあると思うけれど、それでも、やはり共通の言語というのは必要不可欠なもの。

 言葉を通してしか共有できない思い、気持ち、考え、について、読み終わってからずっと考えている。
『星月夜』というタイトル。読み方で表すものが変わる。それが「分かり合うことの最初の一歩なのかもしれない。

 私はこの小説から何を得たのだろう。
 いまだ混沌としている頭で考える。
 何を自分の中に見つけ、何を自分の中から出していけばいいのだろう。
 いつか、自分の言葉で誰かに伝えられるときが来るのだろうか。

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精文館書店中島新町店 久田かおり
精文館書店中島新町店 久田かおり
「活字に関わる仕事がしたいっ」という情熱だけで採用されて17年目の、現在、妻母兼業の時間的書店員。経験の薄さと商品知識の少なさは気合でフォロー。小学生の時、読書感想文コンテストで「面白い本がない」と自作の童話に感想を付けて提出。先生に褒められ有頂天に。作家を夢見るが2作目でネタが尽き早々に夢破れる。次なる夢は老後の「ちっちゃな超個人的図書館あるいは売れない古本屋のオババ」。これならイケルかも、と自店で買った本がテーブルの下に塔を成す。自称「沈着冷静な頼れるお姉さま」、他称「いるだけで騒がしく見ているだけで笑える伝説製作人」。