第1回 博水社に、サワーの秘密を聞きにいく

3.商標登録と営業活動

 ハイサワーには、時代の追い風も吹いていました。焼酎のネガティブなイメージが、大きく変わろうとしていたのです。1974年のアメリカで、国民酒のバーボンが無色透明のウオッカに抜かれ「ホワイト・レボリューション」と呼ばれた社会現象を見て、日本でもくせのないスピリッツが受けると考えた宝焼酎が、焼酎「純」を1977年に発売。他社もこれに追随し、無色で香りが薄く、割りやすい甲類焼酎が、ハイサワーの登場を待っていました。


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ばん(文末「酎ハイ名店ファイル」参照のこと)

 さらに、運命的な偶然も味方します。博水社が業務用炭酸水を卸していた近隣の飲み屋で、生のレモンを絞った焼酎のソーダ割りを「サワー」と呼び、人気メニューとなっていました。1958(昭和33)年創業の中目黒の名店「ばん」です(現在は祐天寺に移転)。


 サワーと名のつくカクテルは、昔からあります。中村健二・著『カクテル400』によれば、「サワーとはロング・ドリンクのスタイルの一種で、"すっぱい" "酸味がきいてる"という意味」。サワースタイルのカクテルにはウイスキー・サワー、ブランデー・サワー、ジン・サワー、ラム・サワー、テキーラ・サワーなどがあり、いずれもレモンジュースを混ぜるほか、「現在では、ソーダ水を入れるレシピがポピュラーになりつつある」とのことです。

 ジンならぬ焼酎フィズの呼称に苦慮した田中会長は、「ばん」のメニューにヒントを得て、サワーでいこうと決心します。1980(昭和55)年のことでした。でも自社製品の登録商標にはもう一ひねり必要です。


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ガラス瓶入りハイ(輩)サワー

「はじめは、高級なサワーという意味でハイサワーと名づけましたが、登録商標にスペシャルやハイを使うと却下される。そこで、この商品は自分が作った=我輩が作ったんだという意味をこめて"輩サワー(ハイサワー)"で商標をとろう、と」。
 ハイサワーの正式登録名は、漢字の輩でした。中小企業らしい小回りのきいたアイデアです。こうして、本邦初のガラス瓶入り輩サワーが誕生しました。

 さらに、新製品の営業活動にも知恵を絞ります。

「ラムネ屋は昔から3ちゃん企業です。営業マンなんていないし、広告宣伝をする予算はありませんから、4-5人いた工場の従業員が頼りでした。冬は早く仕事が終わってしまうので、氷を詰めたクーラーボックスに、ハイサワーと焼酎を入れ、さらに1ケース(24本入り)を肩に担がせて、行きつけの飲み屋に持たせたんです」。

 通いなれた近所の赤提灯に行き、焼酎をハイサワーで割って、店主に一杯飲んでもらいなさい。残りは、タダで置いてきなさい。その際に、ハイサワーのポスターを店内に貼らせてもらいなさい。そんな指示を出したそうです。さらに、飲み代として1軒あたり5000円を渡しました。

 驚いたことに、田中会長はほとんどお酒が飲めません。ハイサワーの宣伝戦略は、呑み助の生態を観察する中で、思いついたそうです。というのも、


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ハイサワーポスター

「呑兵衛というのは、ひとり4-5軒くらいは顔なじみの店がある。常連客でもある従業員が頼めば、居酒屋の店主も、まあタダならいいか、と、とりあえずは置いてくれる。それに呑兵衛は好奇心が強い。常連になっている店で、初めて見るハイサワーと書かれたポスターがあると、おいオヤジ、あれはいったい何だ、となる。すると店主は、一杯飲んでごらんと、そのお客さんに商品をすすめてくれるんです」。

 その後、従業員が知っている範囲内の、わずか30軒程度に営業をかけただけで、注文が舞い込んでくるようになったといいます。すると噂を聞きつけた卸業者からも問い合わせが増えて、「あっという間に火がつきました」。発売して2-3年で、自社生産では間に合わないほどの売れ行きをみせるようになりました。

「当時は酒の種類が少なかったから、新しい飲み物は珍しかったんでしょう」と田中会長は回想します。飲み飽きない味で、しかも安い(当初の価格設定は300円)ハイサワーには、多くのファンがつきました。

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