第1回 博水社に、サワーの秘密を聞きにいく

7.焼酎割り飲料の知られざる世界

 低成長時代、中小企業は特色ある商品づくりができなければ、淘汰されます。各メーカーが自社専門製品を模索する中で、東京では焼酎割り飲料のジャンルが、独自の発展を遂げてきました。なかでも博水社は、ミキサードリンクへの専門化でバブル前後を乗り切った、代表的な企業です。

 それでも、田中会長は「チューハイのブームはピークを過ぎた」といい、博水社を含め、まだ20軒程度残っている東京の「割り材屋さん」も、ほとんどが売上を減らしていると指摘します。コンビニに行けば100円ちょっとで缶チューハイが買える時代なのですから、経営環境の悪化は避けられません。

 前掲の『酒類食品産業の生産・販売シェア』によれば、2005年の清涼飲料販売総額は約3兆6千億円ですが、うち上位10社だけで約3兆1千億円を占めています。全国の清涼飲料メーカー673社のうち、従業員300人以上の10社(1.5%)で、全体の約9割を生産しているわけで、中小メーカーがいかにささやかな存在であるかが理解されます。

 私も学生時代、ちょっと変わった清涼飲料をコンビニで探し、自販機で缶コーヒーを選ぶのを楽しんでいました。そんなちょっとした贅沢のために、毎年何千アイテムもの新商品が出ては消え、3兆円以上が消費されているのがこの国です。

 もっとも私の場合、この10年間というもの、そんな金銭的余裕はなくなり、水しか飲めません。何をおいても酒を呑むことが優先だからです。

 浴びるほど酒が呑みたい私が普段通える店は、中島らものいう「せんべろ」(1000円で酔っぱらうこと)が可能な、200円台の焼酎ハイボールを出す大衆店だけ。焼酎の濃さと、いくらでも飲めるドライな口あたりのありがたさが、身に沁みます。

 家で飲む酒も「大五郎」や「ビッグマン」ですが、ストレートでは飲みづらいので、割り材を加えるようになります。これまで当たり前すぎてスルーしていたハイサワーの、甘みのない本格的な味に、遅ればせながら気づきました。

 焼酎のミキサードリンクとの出会いを通じて、それがいかに合理的で素晴らしいか、そして東京の歴史遺産ともいえる下位文化を形成しているかを、身をもって知ったのです。

 昭和の階級食(クラスフード/クラスドリンク)を、平成のワーキングプアが再発見することで、地場を商圏とする東京の小さな清涼飲料メーカーに対して、違う見方ができるようになりました。そこで、今回の取材に至ったわけです。

 地サイダーや、廃業したニホンシトロンを「レトロ」と面白がっているうちは、小さな企業が消えていくのも「世の自然な流れ」に映り、居酒屋チェーンで頼むちょっと珍しいサワーの裏側にどんな別世界の構図があるのか、想像することはないでしょう。

 焼酎割り飲料のメーカーについて、私はもっと知りたい。中小企業の社長たちの、モノづくりに対するこだわりと職人技は、記録して残す価値のあるものだと思います。

 博水社の成功の秘訣は、レモンと酒とのベストな関係を追求する企業努力でした。そして、今後博水社がさらに飛躍できるかを決めるのも、レモンではないか。第1回目の取材を終えて、そう感じました。

(第1回 了)

kud108.jpg■ 酎ハイ名店ファイル
・ばん
住所:目黒区祐天寺2-8-17
電話:090-4706-0650 (マスターへの直通)
営業時間:16:00~23:00
定休:日曜・祝日
[ひとこと]...甲類焼酎を炭酸水で割り、レモン果汁を加える「サワー」を編み出した、歴史あるモツ焼き屋。創業者・小杉正氏は、博水社の田中専一・現会長と相談し、当時「炭酎」とか「酎炭」と呼ばれていた焼酎の炭酸割りを「酎サワー」⇒「サワー」と名付けた。現在の店舗は、弟の小杉潔氏が祐天寺で05年3月に復活させたもの。

« 前のページ | 次のページ »