WEB本の雑誌

4月18日(木)

 先日、当欄で宮部みゆき著『あかんべえ』(PHP研究所)の感想を書いたところ、長老みさわさんのHP味噌蔵(http://member.nifty.ne.jp/misogura/)にて半村良氏を薦められた。

 僕は他のことはほとんど人の言うことを聞かないけれど、本に関しては割と素直に聞くようにしている。じゃないと読書の世界が広がらない。

 というわけで、早速お薦めの『かかし長屋』(集英社文庫)を読んだ。てっきり市井の人々の人情物だと思って読み始めたところ、これはまあ確かに半分はそうなんだろうけれど、残りの半分はもっともっと深い小説で驚いてしまった。そのことに気づき、あわてて埼京線のなかで姿勢を正し、じっくりと読む。

 時は江戸、場所は浅草三好町。そこに人格者である和尚さんが建てた2棟10軒の長屋がある。住んでいるのは大工・左官・飴売り・畳屋・扇職人など様々だが、共通点は誰もが極貧でその日の生活にも困る者達だった。

 そもそも和尚さんがこの長屋を建てたのには理由があって、極貧生活者達に貧者としての生きた方を教えようとしものだったのだ。下を見ずに上を見ること。上といっても金ではなく生き方であること。それ以下の生活に落とさせないため、まず身奇麗にすることを進めた。徐々にその効果は現れ、貧者であることには変わらないけれど、住民は何かしら誇りを持つようになっていく。

 みさわさん、この後、どう紹介したらいいのでしょうか? 玉の輿に乗って結婚していく娘の話もあるし、泥棒の話もある。おまけに最後は浪人と戦ったりするけれど、何だかそれがそれほど重要な部分とは思えないんです。もっともっと深い流れがあるような気がして、でもうまく言葉にできません。というか言葉にしてしまうとあまりに陳腐な言葉になってしまうような気がするのです。だからといって別に小難しい話でもなく、やっぱり本を紹介するのは難しいです。

 この本を読み終わって気づいたのは、いつの間にか僕はこういう市井物というか、一般の普通な人達の話が好きになっていたということだ。かつてはヒーローやもっと高い位置から見下ろすような小説が好きだった。例えば村上龍の『愛と幻想のファシズム』などで、あの強者の理論にものすごく憧れていた。きっとその頃そんなヒーローになれると思っていたんだろう。

 けれど時間が過ぎ去り、僕自身が強者ではなく弱者であり、またこの先何物にもなれないと薄々気づきだしたとき、自分と変わらない生活をしている人達が主人公の小説が好きになっていった。たぶんその過渡期は、4年ほど前に唐突にハマった山口瞳氏の著作だったと思う。

 ちなみに『かかし長屋』の最後がカッコイイ。僕は小説結末文章対決というのがあったら是非これを推薦したいと思った。

「走る走る、和尚が走る。和尚は走ってもいい気分らしい。」

 この訳の分からない文章がなぜ良いのか知りたい方は、是非、読んでみてください。現在多くの書店さんで半村良氏の追悼フェアをやっているので探しやすいと思います。それから、長老みさわさんありがとうございました。ただいま他の半村作品にも飛び込んでおります。