6月9日(日)炎のサッカー日誌 ワールドカップ篇その2
稲本がゴールを決めた後、限りなく永遠に感じた40分間。
僕は、まるで死ぬ間際に見ると言われる人生の走馬燈のように、サッカー人生を思い出していた。
釜本の強烈なシュートを目にしたのは小学生のときだった。日本人離れした顔つきの奥寺のポスターを部屋に貼り付けたのも小学生のときだった。木村和司のフリーキックを国立で見て、本当にボールがあんなに曲がるんだと知ったのは中学生のときだった。それから水沼、都並、カズ、ラモス、福田、井原、堀池、前園、岡野、城…。今まで日本代表で活躍した選手が僕の頭のなかで浮かんでは消えていく。
哀しい思い出も蘇る。メキシコW杯アジア予選で韓国に負け、ついに望みを絶たれたとき。アメリカW杯アジア予選では、近所中から悲鳴があがったドーハのロスタイム。フランスW杯予選の国立では山口の芸術的なゴールの後、選手交代に失敗し、一気に韓国に攻め立てられ逆転された。
その延長線上にいるのが、今、僕の目の前で必死にボールをクリアーしている選手達だ。経験が積み重ねられ発展し勝利は目前に迫っていた。あれらの悲劇がまた起こらないことを祈るしかできず、そのソワソワした気持ちを隠すために「ニッポンコール」を叫んだ。それでも時間はあまりにゆっくりと流れていった。
隣で見ている兄貴は、何度も何度も腕時計を確かめ「あと20分」「あと15分」と叫んでいた。しかし、それ以降は時計を見ることすら出来ず、ただただ固唾を飲んでピッチを見つめていた。
そして中田がロシア選手にアタックし、終了のホイッスルが鳴った。
7万人近い観衆の歓喜は、夜の一部を切り取り、まるで太陽が目前に現れたようなものだった。僕は、その熱に溶けながら、兄貴と抱き合い、堅い握手をし、ピッチにいる選手達に拍手と声援を贈り続けた。
僕は、この日を絶対に忘れない。
サッカーを愛し続け、すべてを費やしてきた人生を誇りに感じた夜を…。
日本代表に。
そしてすべてのJリーガーとサッカー選手に。
ありがとうと伝えたい。