11月28日(木)
浜田が顔を腫らして出社。おっと、こう書くとケンカとかおたふくとか大泣きとかそういう大きな腫れだと思われそうなので、早めに否定しておくが、そういった腫れではなく、これは前夜の酒によるちょっとした腫れだ。
彼女はかつて二日酔いで早退したことのある逸話の持ち主で、酒と酒宴が大好きなのだ。たぶん昨日もどこかで大がかりに酒宴があったのだろう。それがハッキリ顔に出ている。しかしここは武士の情け。深く聞かずに見逃してやろうと営業の用意をしていた。
すると経理の小林がいきなり核心をつく質問をした。
「昨日は楽しかったですか?」
オイオイ。イヤミにしても、それはヤバイだろう。女性同士のケンカほど面倒なものはない。と僕は身を固くした。しかし浜田はアッケラカンと答える。
「すごい楽しかったです」
その後二人に続いた会話を盗み聞きしていると、どうも僕の勘は当たっていたものの、その酒宴は周知の事実のようであった。直帰を繰り返していると会社の話題に非常に疎くなるもので、こういうとき何もわからず<?>だらけになってしまう。二人の会話は勢いを得て、果てしなく続く。
「吉田さんの料理がおいしくて、もう食べて飲んで楽しかったですよ」
「そうですよね、吉田さん上手ですもんねぇ」
「松村さんも久しぶりに栄養満点の料理で身体に良かったんじゃないですか。わたしは飲み過ぎちゃいましたけど」
なんだ。吉田(伸子)さんの家にお呼ばれしての酒宴だったのか…。吉田さんは、人をもてなすのが好きな人で、おまけに面倒見がイイ。ときたまこのようにして後輩である浜田や松村を呼んで、おいしい食事とお酒を振る舞い、愚痴を聞いてあげつつ、叱咤激励をしてくれているのだ。昨日もそんな酒宴だったのだろう。
冷やかしも茶々もいれる余地がなさそうなので、僕は自分の仕事に向かった。しかしあることが思い浮かび、その手がふと止まる。
吉田さんの家にお呼ばれされているのは浜田と松村。それからたまに金子が原稿を受け取る方々、ご馳走になっているようだ。むむむ。そういえば、超ベテラン助っ人のヤノッチと旧・タカもよく吉田さんの家に遊びに行っている。おぉ、呼ばれていないのは僕と浜本だけではないか……。うん? そういえば、ここのところ顧問目黒の「笹塚日記」で『吉田伸子から電話』という記述が多いような気がする。もしかして、もしかして。
吉田さん! 「本の雑誌新社」を立ち上げようとしているんじゃないのか!?
吉田さんは『本の雑誌』を誰よりも強く愛していることは間違いない。助っ人時代・編集者時代と一心に本の雑誌に身を捧げ、退職後も何かと面倒を見てくれていた。それに本人の出版記念パーティーのスピーチですら「わたしのことより『本の雑誌』をよろしくお願い致します」と頭を下げていたのだ。きっとその愛情が深まり過ぎて、そして今、どうも自分の愛していた『本の雑誌』が変わってきたと思い、ついに立ち上がることを決断したのではないか。
そうか、絵が見えたぞ。顧問目黒から設立資金を引っ張り、顧問よりも偉い会長職なんていうのを与えておいて、現・本の雑誌社の柱である3人を一気に引き抜き、おまけに何も言わなくても次の仕事がわかるベテラン助っ人まで懐柔し、『新☆本の雑誌』なんていうのを創刊する気なんだ。
ヤバイ、ヤバ過ぎる。てっきりこの会社で出世するためには、社長である浜本と仲良くしておくのが一番だと考え、毎日肩を叩いたり腰を揉んだり車を洗車してあげたりして、ご機嫌を取っていたのだ。これで椎名と浜本と3人で残ってしまったら僕はどうすればいいんだ。どう考えても恐ろしい毎日ではないか。
ああ、時代小説の読み過ぎなのか…。それにしてはやたらにリアルな吉田さんの豪快な笑いが頭のなかで響いている。