8月11日(月)
ここのところ発行人の浜本の機嫌が妙に悪い。
キーボードを叩く音がいつにも増して激しく、ひっきりなしにタバコを吸っている。そして消すときも力強く押しつけ、給湯室に捨てられた浜本のタバコは「くの字」に折れている。もちろん仕事の指示も厳しくなり、編集部の松村や金子は悲鳴を挙げている。
長期化する出版不況のなかこんな吹けば飛ぶようなチビ会社の経営はさぞかし辛いだろう。でも会社の雰囲気が悪くなるのには耐えられない。本の雑誌社のムードメーカーを自負する僕が解決しようではないかと立ち上がった。
「浜本さん、どうしたんですか?」
「何が!」
「いやその『何が!』なんですよ、最近妙に苛立っているじゃないですか」
「別に何もないよ」
「そんなにうちの会社、経営状態悪いっすか?」
「違うよ、トーマスが集まらないんだよ!!!」
「はっ?」
その後は決壊したダムのように、浜本の愚痴が始まった。
息子が『きかんしゃトーマス』にハマった。いくつかおもちゃを買い与えた。そのうち自分がハマっていた。特に海外製の『木製レールシリーズ』という奴に。しかしそれがなかなか見つからない。イライラがつのる。……。
社員一同、呆然と聞き入った。
僕も呆然と聞き入りつつ、とにかくムードメーカーとして会社の雰囲気を変えることを最優先することにする。『木製レールシリーズ・きかんしゃトーマス』を探せば良いんだな!
本日の営業先は池袋で、ちょうどA書店さんへ向かう途中におもちゃ売場あって、子供にまじって覗くとなんといきなり『木製レールシリーズ・きかんしゃトーマス』があるではないか。いやはやこんな簡単に見つかるとは…。おお、おまけにパンフレットまであるし、とりあえずこれを持って帰れば、浜本の機嫌も会社の雰囲気も良くなるだろう。
営業を終え、凱旋気分で会社に戻り、早速浜本に報告する。
「ありましたよ、池袋に」
浜本はパンフを眺めながら
「どれが置いてあった?」
と質問してくる。
そういう質問は予期していたので、メモして置いた店頭在庫を読み上げる。
「トーマス、エドワード、ヘンリー、……。」
おお、これで一件落着。明日からは気持ちよく働こうと浜本の席から離れようとしたところ再度問いかけられる。
「それだけか?」
「ハイ!」
「違うんだよ、オレが欲しいのは、デュークで、杉江が今読み上げたのはみんな持ってるんだよ。それにデパートは定価だろ? 出来れば20%割引で買いたいんだ。ああ、もう!!!」
いきなり会社に暗黒の雲が立ちこめる。カミナリがいつ落ちてもおかしくない。
もしかして僕、ムードメーカーじゃなくて、ムードクラッシャー?