WEB本の雑誌

11月28日(火)

 昨夜、帰宅途中の京浜東北線のなかで、武蔵野線全線が不通になっていることを知る。参った。我が東浦和駅は武蔵野線でしか帰れないのだ。他の方法は、蕨からバス、浦和からバス、あるいはタクシーか妻に迎えに来てもらう、であるがどれも面倒くさいのと怖いので却下。結局、浦和駅から徒歩で帰宅することにする。いったいどれくらい時間がかかるんだ?

 トボトボと雨のなかを歩いているときに閃く。そうだ、我らが聖地・駒場スタジアムに寄っていこう。ちょうど通り道だし。

 ということで、コンクリートに水が染みこみ、まるで廃墟のようになった駒場スタジアムへ向かい、アウェー席の<出島>とメインスタンドの隙間のネットからピッチを覗く。

 92年のナビスコカップから始まる浦和レッズの歴史。僕は前の会社の先輩敏さんや、相棒とおるとこの駒場スタジアムへ通いつめた。その後は兄貴と、そして母親と父親が加わりいつの間にか杉江家一家全員がここへ通うようになった。母親と父親はいまじゃ生きる糧として浦和レッズを大切にしている。しばらくすると出版関係のレッズ仲間が集まり、今じゃ20数人の観戦仲間とともに、ここやさいたまスタジアム、そして妻の許しの出たアウェーで喉が潰れるまで叫び、戦っている。

 いろんなことがあった、本当にいろんなことがあった駒場スタジアムに、今は誰もいない。
 選手も観客もいない。

 しかし魂はあった。
 僕ら浦和レッズの魂がそこにあった。

 きっとここで流した多くの悔し涙が、今度の土曜日にうれし涙と変わることだろう。
 僕は駒場スタジアムに住む、サッカーの神様に、そう祈って、家路に着いた。
 浦和駅を降りてから1時間30分後に家を扉を開けた。

★   ★   ★

 もはや本なんてとても読めない。
 先週から1冊の本も読了していない。

 電車の中ではサッカー専門紙「エル ゴラッソ」とi-Podで音楽を聞くだけ。
 仕事は、浜田が夏休み中なので会社から一歩も出られず、電話番とデスクワーク。
 頭の中は当然、浦和レッズ!